2014年2月19日水曜日

建内宿禰・若子宿禰及び高麗神社(2)


 古代史ブログ講座」開講にあたって
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦 

 建内宿禰・若子宿禰及び高麗神社(2)

 5.建内宿禰〔古事記〕・武内宿禰〔日本書紀〕

  古事記によると第八代孝元天皇の孫に当たり、その子は9人いた。

  ※建内[武内]は(現)葛城市竹内〔(旧)葛城郡当麻町〕がその出自地とみられる。

  「タケウチ[建内]」

   (Heb.)טחודח,THVDH,tuhuudae こだま・共鳴

  ※旧約聖書の「主」は神智をモーセ初め「土師」に対して述べ伝える。

   特にモーセに対し「十戒(戒律)」を授けてときには雷鳴[共鳴]を

   もってし「十戒」は「10のことだま」とのヘブライ語表記がる

  「カツラギ[葛城]」

   (Heb.)גדלה,GDLH,guduluah 大きいこと、偉大さ、名誉、栄光

  これはヘブライの十二支族[ヤコブの子孫]のうちの「ガド族」の基本語である。

  ※つまり建内宿禰の系譜はヘブライ人[イスラエル人]の系譜に列する。

 6.若子宿禰

  「古事記」大倭根子日子國玖琉[孝元天皇]~内色許男命の女

  伊迦賀色許賣命を娶して生ませる御子、比古布都押之命~

  又木國造の祖宇豆比古の妹山下影賣を娶して生める子、

  建内宿禰、此の建内宿禰の子併せて九たり。

  ~又若子宿禰は【江野財臣の祖】

  ※若子宿禰は建内宿禰の第九子

   〔「若子」の呼称を古事記は「わくご」としている〕

  ※その後裔には「江野財臣」がある。

  ※「若子」の地〔建内宿禰の男子の銘にはそれぞれ地名が冠されている〕

   寺口〔葛城市、(旧)葛城郡新庄町:てらうち〕:「竹内」のすぐ南隣

   同地域に「地光寺」の旧称があることから、

   これは「ジコウ」が本来の呼称とみられる。

  「ジコウ・ジャクコウ[寺口]」

   (Heb.)זככ,ZKK,zikek

      (金属を)製錬する 精製する[動詞形]

   同地に金村神社がある[延喜式神名帳大和国忍海郡、祭神は不詳とされる]

   また至近寺口地区の東隣り中戸には古墳名ではあるが「金鋳山」があり、

   「寺口」域で「金」の精製(生産)が行われていたとの証左となっている。

 「ナカト」

   (Heb.)נגיד,NGYD,naguiyd 

      指導者、統治者ではあるが金持ち、富豪としても通称される。

  中村郷[和名類聚抄大和国忍海郡]

 「ナカ・ムラ」

   (Heb.)נחג־מלאכה,NHG_MLAkhH,naig_molaakhah

      [指導者-工作] 工作(王芸)の指導者   

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