2014年3月1日土曜日

高麗:神奈川県


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:角川日本地名大辞典

 高麗:神奈川県

 高麗(こま)〔大磯町〕

  大磯丘陵の南東、金目川下流右岸に位置する。

  地名は古くは高麗人が居住していたことに由来するという(新編相模)。

  地内に文政7年北条早雲によって創建されたとされる高麗寺山城がある。

 高麗寺村(こうらいじむら) (現)大磯町高麗(高麗1~3丁目)

  北西に高麗(こうらい)権現〔(現)高来神社〕を山頂(約165m)に

  祀る高麗寺山((現)高麗山)がり、花水(はなみず)川が東部を南へ流れる。

  ~「和名類聚抄」の大住郡高来(たかく)郷に比定する説がある。

  また村名は天台宗高麗寺(廃寺)より起ったと伝える(風土記稿)。

  「吾妻鏡」建久3年(1192)8月9日条によれば、

  北条政子の実朝出産の際、

  安産祈願のため誦経を行った寺のなかに、

  「高麗寺(大磯)」がみえる。

 高来(こうらい)神社 (現)大磯町高麗 〔(旧名)高麗権現社〕
 
  高麗(こま)山(高麗寺山)に鎮座し、

  中央の大堂嶺の上宮、東の天照山の白山社、

  西の毘沙門塔嶺の毘沙門塔を併せて高麗(こうらい)三社権現という。

  東海道に面した南麓に下宮がり、拝殿・本殿などが建つ。

  祭神は神皇産霊尊・瓊瓊杵尊に応神天皇・神功皇后を配祀する。

  旧郷社。

  「北条記」によれば永正16年(1519)北条氏綱が伊豆山権現に詣でた際、

  別当の般若院に縁起を尋ねたところ、

  同権現は高麗国より舟で渡海して高麗寺山に鎮座し、

  その後同上へ移ったと答えたとある。

  「続日本紀」霊雲2年(716)5月16日条によれば

  相模国を初め東国七州の高麗人を武蔵国に移して

  高麗(こま)郡を置いたとあり、

  当社は近辺に居住した高麗人により祀られたことに始まるといえよう。

  ~明治30年(1897)3月高来神社と改称。

 『神編相模国風土記稿』淘綾郡高麗寺村

  ・高麗寺山坤方にあり登八町許(ばかり)、此辺の高山なり、

   山上に高麗権現を祭る。

   (略)其辺、別当高麗寺の旧地と云、故に山に名づくと云へり。

  ・高麗権現社 高麗寺山の頂にあり、又左右の峯に白山毘沙門を勧請す。

   以上合て高麗三社権現と号すと云。

   社伝 に拠るに、本社祭神は、神皇産霊尊にて、

   応神天皇、神宮皇后を相殿とす伝へ。(略)

   又『箱根山縁起』には、神功皇后三韓を征せし頃、

   高麗の神を当初に勧請ありしと伝へ、

   『曰く、神功皇后三韓を討ち、後に武内大臣奏して云ふ、

    異朝の大神を請い奉り、令して天下長く安寧なることを祈願す。

    即ち百済明神を日州に奉遷し、新羅明神を江州に奉遷し、

    高麗大神和光を当州大磯に奉遷し、聳峰に因りて、高麗寺と名づく。

 「日本の神々」(白水社)

 高来(たかく)神社 神奈川県中郡大磯町高麗

  『続日本紀』には、「霊亀2年(716)」5月、

  駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野七国の高麗人、

  千七百九十九人を以て武蔵国に移し、高麗郡を置く」とあるが、

  埼玉県入間郡の(旧)高麗郷(現)日高町の高麗神社を祀る高麗氏の祖

  高麗王若光は、まず当地を開拓し、

  霊亀2年に武蔵国へ移ったというのが定説になっている。

 『筥根山縁起』

  次 神宮皇后討<2>三韓①後 有<2>武内大臣奏<1>

  云、奉<2>請異朝大神<1> 而令<レ>祈<2>願天下長安寧<1>矣

  即 

  奉<レ>遷<2>百済明神于日州<1> 

  奉<レ>遷<2>新羅明神于江州<1> 

  奉<レ>移<2>高麗神和光于当州大磯聳峰<1> 因名<2>高麗寺<1>云。

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