2014年3月19日水曜日

高皇産霊尊・神皇産霊尊(15)


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:加治木義博

 高皇産霊尊・神皇産霊尊(15)

 『最初の高塚古墳記録はソナカ(天の椎彦)の喪山』

 古墳時代は、卑弥呼の大冢からでなく、

 ソナカたちの渡来時に始まっていたことも間違いない。

 ソナカの別伝である『天の稚彦』の死を弔った話の、

 彼の遺体を収めた「喪山」という名は、

 彼の墓が山に似た形の高塚古墳だったことを

 明確に記録しているのである。

 その要点を『日本書紀』から抜き書きしてみよう。

 稚彦が高皇産霊尊に報告しないので、

 その様子を見に派遣した雉(キジ)を稚彦が射殺する。

 その矢は高皇産霊尊のところまで飛んでいく。

 高皇産霊尊がその矢を投げ返すと稚彦の胸をつらぬき、

 稚彦は即死する。

 稚彦の父は喪屋(もや)を建てて、殊(もがり)をした。

 稚彦の葦原中国の友人・

 味耜高彦根(アレクサンドロス)の神が弔問に訪れたが、

 彼は稚彦によく似ていたので家族は稚彦が生き返ったと喜ぶ。

 味耜高彦根は

 「死人と間違えるとは何たる無礼」と怒って喪屋を斬り倒す、

 喪屋は天から崩れ落ちて地上の山になった。

 いま美濃の国の藍見川の上流にある喪山がそれだという話である。

 この昔話では「喪山」は天の上から「美濃」に落ちたと書いてある。

 しかし若い卑弥呼の夫の墓が今の岐阜県の美濃にあるはずがない。

 またソナカは仲哀天皇であり彼は九州で熊襲と戦って死んだ。

 はっきり九州だと書いてあるし、

 熊襲が岐阜県にいるはずもないからこの熊襲のいる美濃は、

 のちの女王国の旁国『弥奴(ミノ)』以外にはありえない。

 《Key Word》

 高皇産霊尊・神皇産霊尊
 高皇産霊尊・神皇産霊尊

 『参考』
 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭

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