2014年3月16日日曜日

高皇産霊尊・神皇産霊尊(11)


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
 Matのジオログ
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:加治木義博

 高皇産霊尊・神皇産霊尊(11)

 パーリ語版『古事記』『天の若日子物語』

 『日本書紀』の『天の稚彦物語』と

 『古事記』の『天の若日子物語』とを比較してみると、

 同じ物語りなのに根本的な違いがある。

 その違いに注意しながら見てもいこう。

 まず神の名の当て字が異なる。

 高御産巣日の神(高皇産霊尊)と

 天照大御神(『日本書紀』にはいない)とが諸神に、

 「葦原中国に行かせた天の菩比(ホヒ)の神(穂日の命 繁栄王子)が

 久しく報告しない。次は維がいいか?」ときくと、

 思金の神(takketi 思索・選択=武内宿祢=『日本書紀』にはない)が

 「天の若日子がいい」と答えたので降らせたが、

 彼もまた大国主の娘・下照比売と結婚して

 王になるつもりで8年間も報告しない。

 そこで雉(kitti キッチー 名声、賞賛)の

 鳴女(nati ナーチ 親族 ナチ→ナキ +女)に、

 「若日子に葦原国の荒(あら)神を説得にやったのに

  報告もしないのはなぜかと問え」と命じた。

 鳴女が門前のの湯津楓(カエデ)からそれを告げると、

 佐具女(sagameyya サガメイヤ 同郷の 十女)が聞いて若日子に

 「嫌な声の鳥を殺して」と頼み、若日子は鳴女を射殺した。

 胸を射抜いた矢は天の安河にいた

 高木(タケチ)神(高御産巣日の神)のところまで飛んで行った。

 高木神は「着いた血が敵を射た血なら若日子に当たるな。

 命令に背いた血なら麻賀礼(禍(まが)あれ)」といって、

 矢があけた穴から落とすと若日子の高胸坂に命中した。

 これが「還(かえ)し矢」のたとえのもとだ。

 《Key Word》

 高皇産霊尊・神皇産霊尊
 高皇産霊尊・神皇産霊尊

 『参考』
 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ

 古代史獺祭

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