2014年3月17日月曜日
高皇産霊尊・神皇産霊尊(13)
「古代史ブログ講座」開講にあたって
Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:加治木義博
高皇産霊尊・神皇産霊尊(13)
仲哀は孝霊時代人。『仲哀紀』の異様な時代配置
A 高皇産霊の尊は神代の神ではなく、仲哀天皇を殺した熊襲である。
その時間帯はソナカの妻・卑弥呼の若い時の事件だから、
倭迩迩日百襲姫の父・孝霊天皇の時代である。
詳細は今後の研究が必要だが、
淡海三船がつけた漢風諡号が意味をもつとすれば、
孝霊は「高=皇+霊]を暗示しているから、
高皇産霊尊は孝霊天皇だった可能性が高い。
B これが違っていたとしても、
仲哀天皇がその「孝霊天皇と同時代の人」であることには
変わりはない。
前記のソナカ関連の記事全部と『仲哀天皇紀』はすべて、
『孝霊天皇紀』と併記しなければウソになるのである。
C するとソナカが崇神天皇の時に来て、
垂仁天皇のときに帰ったというのもウソになる。
崇神天皇は孝霊天皇の曾孫になっているからだ。
D 『記・紀』は、
その仲哀天皇を、崇神天皇のそのまた曾孫・成務天皇の皇子だと書く。
なぜ?『仲哀天皇紀』は、そんなに後へ行ってしまったのだろうか?。
それはご存じの通り卑弥呼と壹與の2人の事跡を、
1人の神功皇后にダブらせて
編集してしまったので、
後世に大活躍した<壹與>の印象が強くて、垂仁天皇より後へ
もって行かれたのである。
《Key Word》
高皇産霊尊・神皇産霊尊
高皇産霊尊・神皇産霊尊
『参考』
前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
古代史獺祭
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