2014年3月13日木曜日

高皇産霊尊・神皇産霊尊(6)


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
 Matのジオログ
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:加治木義博

 高皇産霊尊・神皇産霊尊(6)

 『記・紀』ともに祖神はインドの神名

 『日本書紀』と『古事記』の根本的な違いに基づくものである。

 その違いがなぜ生まれたかも見ておこう。

 『日本書紀』の冒頭

 「天地開闢(てんちかいびゃく)」の後に初めて姿を現わしたのは、

 葦の芽のような形をした「国常立尊」で、

 続いて「国狭槌尊」「豊斟淳尊」の計3神であると書くが、

 すぐそのあとに続く複数の

 「一書」では、この3神の別名や、

 最初に現われたのは葦の芽のような神「可美葦牙彦舅尊」で

 国常立尊は2番目、

 次が国狭槌尊で豊斟淳尊はいない。

 といったふうに諸説紛々で、どれが本当なのか決められないが、

 まず国常立尊説が多い。

 その中に一つだけ、がらっと異なる3神のものがある。

 「天御中主神」が最初で、

 次ぎが高皇産霊尊、

 3番目が神産霊尊だというのである。

 『古事記』は一つも「一書」を挙げない、

 この天御中主尊以下3神だけである。

 『日本書紀』と『古事記』は、

 まず信仰する祖神から異なる事実をよく認識しておく必要がある。

 ではその祖神はどう違うのか、

 日本列島先住民固有のものか、外来のものか。

 その答は次の通り一目瞭然である。

 「国常立尊」

 古代インドの主神・プラ(国)ヂャー(常)パチ(立) Prajapati

 「天御中主神」 

 天(天竺)の御中主(美チュウヌシ・ン)

 毘紐納神 Visnu『記・紀』ともに祖神はインドの神名

 《Key Word》

 高皇産霊尊・神皇産霊尊
 高皇産霊尊・神皇産霊尊

0 件のコメント:

コメントを投稿