2014年3月30日日曜日
虫追い〔松明まつり〕と稲作の神(6)
「古代史ブログ講座」開講にあたって
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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)〔さいじんさま〕
埼玉県越谷市越ヶ谷1700(越ヶ谷町花田)小林(東小林)
出典:武蔵国越谷郷久伊豆神社略記
虫追い〔松明まつり〕と稲作の神(6)
久伊豆神社摂社五前神社と星祭・旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿
『摂社五前神社と星祭』
久伊豆神社には境内摂社として
五前神社、
諏訪神社、
稲荷神社、
八坂神社、
天満宮、
御嶽神社、
三峯神社などがあります。
五前神社には
久久能遅神(木)、
軻突智神(火)、
埴安神(土)、
金山彦神(金)、
罔象女神(水)が祀られ、
それが陰陽五行思想と習合して、男女吉凶相性を守護し、
また建築土木の安全を守護する神として古来信仰・尊崇されてきました。
二月の星祭の期間には厄除や方位除を本社に祈願すると共に、
この五前神社にも多数の人々が参詣し、祈願をなさいます。
『旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿』
南洋神社は、南洋群島の中心地。
パラオ(現。パラオ共和国のコロール島)に
昭和十五年二月十一日、皇紀一一六○○年に際して、
昭和天皇の格別の思し召しにより創立された神社であります。
その御祭神を「皇祖天照大神」一座とする官幣大社であり、
我々神社人が「本宗」と仰ぐ
伊勢の神宮の「南洋における分社」ともいうべき神社であります。
その後、昭和二十年八月の終戦によって、御社殿は御焚き上げとなり、
神社の祭化は終結、社殿跡地が残るのみとなりました。
しかしながら、創立以来、南洋の地で開拓・入植に励んだ方々が、
また戦時下、アジアの解放と大東亜共栄圏の実現を信じて、
遥か遠く故郷を離れて南方の戦地へと赴いた部隊・兵士たちが
篤い祈りと誓いを棒げられた事実は永遠に消滅するものではありません。
伊勢の神宮と旧南洋神社との御神縁・御神慮を拝し、
神宮当局の御指導・御協カを賜って平成十六年四月十一日、
久伊豆神社境内に「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」を建立いたしました。
この遥拝殿は、氏子・崇敬者共々遥かに、
幾多の兵士の最期の祈りと誓いをお受けになった大神様の御霊を和め、
遠く故国を離れた南洋の地に散華された英霊への
感謝と慰霊・鎮魂、功績顕彰の誠を致す御殿であります。
「五前神社と星祭」
「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」
「久伊豆神社(越谷市東越谷)」
『参考』
前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
古代史獺祭
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