2014年3月17日月曜日

高皇産霊尊・神皇産霊尊(12)


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:加治木義博

 高皇産霊尊・神皇産霊尊(12)

 『俀(ダイ)国と大黒と大国の登場人物の凄い一致』

 また先に不明の「多・弗・利」を「タフトイ」に対する当て字としたが、

 それがここでは「経津(フツ)(これは賦都)」=弗として出てくる。

 フト・フツは布屠(フト)で仏(フツ)である。

 これだけ完全に揃えば、

 この部分が『隋書』中の俀国の記事だということは、

 直ぐわかるはずである。

 この熯速日神の子が武甕(みか)槌の神(武御雷(ミカヅチ)男神)だから、

 泉蓋蘇文(イリガスミ)=入鹿に殺された建武王であり、

 武甕槌が最も有名なのは、

 高皇産霊尊の命令で出雲の五十田狭の小汀で、

 大国主に国譲りを迫ったことである。

 するとこの建と、速日の速は、

 素戔鳴の尊の名乗りについた建・速に一致するから、

 さらに真相が見えてくる。

 国譲りは太古の事件記録ではなく、

 俀国の入鹿太子を巡る事件の記録だったのである。

 ダイコクが大黒になったのであり、

 それにはさらにもう一つの意味が重なっている。

 それは高句麗が五彩圏の「黒の国=クロアチア」で、

 その王は当時の習慣で大黒と略称されたからである。

 こうわかると大国主をめぐる様々な別名は、

 出鱈目に呼ばれたものではなく、

 それぞれに深い意味と史実があり、それらは多くの人々が、

 深い関心をもって語って聞かせ、語り継ぎ、記録に残した。

 「史実」に使われていた名詞群だったことがわかる。

 そしてこれによって、

 今の主題である「大国主」の実体が、

 明確に姿を現わしてくることが期待できる。

 《Key Word》

 高皇産霊尊・神皇産霊尊
 高皇産霊尊・神皇産霊尊

 『参考』
 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭

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