2014年6月6日金曜日

市場、亥鼻、千葉〔千葉中央区〕

 「古代史ブログ講座」開講にあたって
 Matのジオログ
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 課題:千葉と上総の坂戸神社
    ―人身御供神事の真実と蘇我・大宮―

 市場、亥鼻、千葉〔千葉中央区〕

 久留里神社 治安元年(1021年)

  久留里城主上総介平忠常が創祀、

  もと細田妙見社(千葉六妙見の一つ)

  祭神 天御中主命、伊弉冉尊、天照大神、少彦名命、木花開那姫命

 須賀神社 木更津市祇園 

  承知年間(834~848年)に京都の八坂神社を勧請したと伝えられる。

 白山神社 旧小櫃村俵田字天神台 もと田原神

  祭神 菊理媛命及び弘文天皇

 「小櫃村誌」

  小櫃 白山神社の拝殿に向かい左側の摂社の傍らに

     高さ凡そ1米数十センチの庚申塔がある。

     その表面に小櫃の文字がみえる。

   ○表 寛文(1661~1673)九巳暦十一月吉日建之。

      上総国望陀郡小櫃俵田村

   ○応永の頃(1394~1427)小櫃遠江守、

    一家がこの地を支配していたようであるが、

    小櫃氏は旧姓藤原姓、

    同氏が小櫃の地名を採って改姓されたかどうかは

    わからないが何か関連があるのではないかと思われる。

   ○上総国は養老2年(718)5月に4郡を分割して安房国とした。

    上総国は11郡。そのうち武射(11郷)

   ○久留里市場下町 

    浮戸神社、寛政4年不動尊鳥居を再建

 市場

 ◎千葉市市場町 亥鼻町(旧名猪鼻:いのはな/ちょびTsYVN)

  栗坪くりつぼ(村)(君津市)上総国村高帳に「西坪村」、

  寛文4年(1664)の土屋利直領知目録に村名。

 ◎市場町(千葉市)「千学集抄」によれば、すでに大治元年(1126年)

   千葉常重が千葉城(猪鼻城・亥鼻城)に入り、城下町を築いた際、

   橋より向い御達報までは町人屋敷也、

   これによって河向うを市場と称したいう。

  市原(市原市)市原郷 平安期からみえる郷名

   「和名類聚抄抄」上総国市原郡6郷の1つ、

   現在の市原市北部の市原、熊濠、門前、郡本(地名辞書)

  亥鼻:いのはな(千葉市)地名は

     地形をイノシシノ鼻に見立てたもの。井花とも書く。

 千葉:「日本後記」の延暦24年(805年)の条には

  千葉国造大私部直善人に外従五位下を授けたとの記事が見える。

  ここから善人の祖先である大私部を統率して皇室に奉仕した

  伴造であり、さらに千葉国造に任ぜられていたらしいことが

  推測される。(角川)

 ◎「万葉集」巻20、「和名類聚抄」東急本などで、

  知波の表記または訓がみえ、

  「和名類聚抄」名博本や「延喜式」民部省ではチハ、

  「拾芥抄」ではチバ、天文10年(1541)9月6日の

  下総十一郡之次第(香取文書)では「千葉郡」と訓じている。(平凡社)

  「和名類聚抄」下総国千葉郡千葉郷

 ◎亥鼻城/猪鼻城⇒千葉城 ※猪/亥:チョ・シャ chu

  猪鼻山 

   猪鼻町の小字 西一、南一、東一、北一、亀ヶ岡、市場町、

          本町三丁目、亀井、大地堂、北広町、

   市場町の小字 樋ノ口、西亥鼻、東一、市場町、本町三丁目、

          吾妻町三丁目、川崎、南長洲

 ◎井花:戦国期にみえる地名。下総国千葉荘のうち

 ◎都川:千葉中央区、亥鼻・市場を流れる川名。
 
  都町:明治22年~昭和12年の自治体名。

     辺田、貝塚、川野忍新田、矢作、加曽利の

     5ヶ村が合併して成立。猪:ちょ=都?

  院内: ind₂l 、通町公園 DoLH 

 《参考》

 千葉郷

  「和名類聚抄」所載の郷で、同書高山寺本など諸本とも訓を欠くが、

 名博本では千葉郡にチハと訓を付される。

 郷名より千葉郡家が置かれた郷とされるが未詳。

 現大網白里(おおあみしらさと)町の南麦台(みなみむぎだい)遺跡の

 9世紀中頃の住居跡から出土した石製紡錘車刻書銘に
 
 「下総国千葉郡千葉郷」とみえる。

 「吾妻鏡」文治2年(1186)3月12条に

 千葉庄とみえるのをはじめ、史料上たんに千葉とある例を含め、

 千葉郡のほぼ全域をさす場合と、郡内の限られた地域を

 千葉と称している場合があり、こうした後代の地名所見より

 古代の千葉郷の比定地を想定するのは困難である。

 ただし和銅2年(709)の創建を伝える千葉寺(現千葉市中央区)が

 海上観音院の寺号を郷名にちなんで改称したとみて、

 同寺を含む一帯に比定する説がある(日本地理志料)。

 しかし同寺は中世には池田(いけだ)郷に所在している。

 当郷の比定地は蘇我比咩(そがひめ)神社の鎮座する

 現中央区蘇我(そが)町や同大森(おおもり)町・浜野(はまの)町の

 一帯に想定しておきたい。

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