2014年6月4日水曜日

坂戸神社、天の岩戸と大宮神社


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
 Matのジオログ
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 課題:千葉と上総の坂戸神社
    ―人身御供神事の真実と蘇我・大宮―

 「千葉県」

 惣態(そうたいじんじゃ)香取郡多古町次浦

 惣台:そうだい 松戸市上本郷の地内

    風早神社、風早荘、戦国期とみえる地名 (現)松戸市総代

 宗角村 市原市永吉 文禄3年(1594年)の上総国村高帳に総角村

 草牛村 君津市草牛 天正19年(1591年)11月の

     徳川家寺領寄進状況(神野寺文書)に周淮郡惣久郷

     江戸期~明治22年の村名

 神納  飯富の式内社飯富神社の加納田であったとも、

     卒土神社に神鏡を納めたことに由来するという。

     口碑によれば、源平の乱の際宇治川の戦いに敗れた

     摂津源氏の一党六名が当地に逃れ帰農したのが草分という。

     神社卒土神社

 坂戸市場 坂戸神社、逆手神社 弘長3年~(1263~)

  袖ヶ浦市坂戸市場、古くは磐戸(いわと)神社

  ※磐戸「いわと」=「いわべ」/伊和 ,,YHWH

 久留里 Geliloth 波多野氏姓多い。八角氏あり(角の神の意か)

 浦田=宇都=富田?=浮戸

 葛原=Gade(ガド人)

 小櫃:おびつ=KFSH

 旧家:須 藤本家 sur-tav 久留里市場下町浮戸:うきど(= 秦)神社

               君津市久留里市場 須藤重・須藤護

    SVR-TAV(雄牛-水牛:水牛の牡牛)

 内田郷・内田村 養老川支流の内田川流域、

  南北朝期~室町期にみえる郷名

 内田(市原市) 水沢 石川、奥野、市場、堀越、宿、真ヶ谷、

        米沢、江古田などの地域

   ※旧村名 荏田、悪谷、大西、腰巻、真福寺、真谷、宿、

        島田、堀越、市場、奥野、水沢 石川、江古田

 南郷

 青柳 

 巻物:大宮神社[千葉県市原市]

  1.千葉県市原市草刈1335

  2.千葉県市原市五位1597

  3.千葉県市原市君塚481

  4.岩野見神社、千葉県市原市岩野見439、440、441

  5.千葉県市原市平田842

  6.島穴神社 千葉県市原市島野1129、1130

  7.千葉県市原市迎田116

  8.千葉県市原市海土有木1713

  9.石神神社 千葉県市原市相川98

 10.千葉県市原市川在1032

 11.千葉県市原市小折4

 12.千葉県市原市馬立1609

 13.千葉県市原市寺谷754

 14.千葉県市原市妙香1369

 15.大蔵神社 千葉県市原市大蔵136

 16.千葉県市原市江古田252

 17.千葉県市原市池和田932

 市原:いちはら

  「シパラ」(Heb.),סֶפר,SFR,sefar 巻物、書物、本

 大宮の「大」

  "オウ"(Heb.),ֶֶַֻנ,AVN,aeuen 石、岩石

 ※よって「大宮」は「岩の宮」を表わす。

 ※「坂戸神社と天の岩戸」"袖ヶ浦町史"「西かずさ昔むかし」 

  坂戸神社 祭神 天手力男命=逆手

   "元は逆手神社"といい、人身御供の言い伝えがあり、

   昔お祭の日には村人が集まって、くじ引きで、

   神さまの「いけにえ」になる人を決めたという。

   くじに当たった人は神前に用意された俎板の上に乗せられ、

   神主さんが刀を抜いて「いけにえ」になった人を

   魚を料理するような手つきで切る真似をし、人身御供に

   したということだ。

   切る真似で、からだには全然さわらないのだが、

   このくじに当たって人身御供になった人は、

   三年のうちに必ず死んだという。

   お祭だから仕方がないとはいえ、

   誰もこのくじ引きは止めたいと思っていたが、

   さいわい、

   里見義堯が治めるようになってから止めることにし、

   代りにお祭りが始める前に、竹で作った八角形の一つ目の

   お面を被った人が馬に乗って、神輿の通る村々の道を走り、

   終わりにお面を捨てて、

   同じ道は通らずに帰って来るようにしたという。

  ○祭神 天手力男命、天児屋根命、天太い玉命

      前方後円墳あり。

 「甲賀紀行」身と光圀 延宝2年(1624年)房総を旅行

   それより市場村に至る。左の方に坂戸大明神の社、

   少しばかり高き丘阜の上の林中にあるなり、

   社人が云く、手力男命を勧請したるなり、

   故に天ノ岩戸の流れ落ちたる河とて、

   巽(たつみ)の川を浮戸と云ふなり、

   里俗にうけとと云ふは誤りなり。

  ○例祭 陰暦6月27日。今は7月29日

    「人身御供」の奇習、あらかじめ「くじ」で決められた

    氏子の一人を大きな板の上に載せて神前に供え、

    神官が断ち切る真似をするのであるが、

    その人は3年以内に必ず死ぬといわれた。
  
    安房を統治して上総地方に進出した里見義堯は、

    この風習を禁止し、

    代りに青緍(あおざし)10貫文を寄進したという。


   ※明治4年~坂戸市場、中野、牛込、中島、瓜倉、畔戸、

         久津間、萬石、江川、高柳、牛袋野、

         牛袋旧12村の鎮守

  ○「みかり」神事 陰暦11月27日~12月3日までの7日間。

    後に11月24日に神主、社家、社僧8名が本社に詰め切る。

    里見義堯・里見氏六代(1500年代)

  ○市場 

    船橋市 market(九日市村)(五日市村)(西夏見村)

    袖ヶ浦市

    市原市 市場 内田市場村、八坂神社

    木更津市 下郡 市場村

    君津市 久留里市場

    君津市 久留里清和市場 曽根氏 市場陣屋跡

    山武郡 成東町市場

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