古代史ブログ講座
銅鐸の古代呼称が判明した(8)銅鐸は日本人が発明したのか
『魏書倭人章』には全く書かれていないのに、
当時まちがいなく近畿中心に、
栄えていた重要な文化財に銅鐸がある。
当時として非常に進んだ造型と鋳造技術、
また突然の出現などからみて、
それは日本だけの発明品でなく、
どこかに先行文化があったとみるほかない。
それがどこから来たかを物語るものは、その形や文様である。
弥生文化のルーツにそって、
共通の形をもったものを集めてみると、
銅鐸自身の意義と同時に、
それを作った人々の正体も明らかになる。
<写真>
1 謎の銅鐸型祭器(伝鹿児島県出土)
2 カンタロス型祭器(べトナム)
3 絵画銅鐸(神戸桜が丘4号鐸レプリカ)
4 甬鐘(中国春秋時代)
5 バンチェン土器(タイ国4000年前)
6 銅腕輪(タイ国バンチェン4000年前)
7 ">銀ベルト(タイ山地民族19世紀)
8 大香炉(韓国高麗時代)
※出典:加治木義博『日本人のルーツ』46、47頁
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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