2014年8月31日日曜日

銅鐸の古代呼称が判明した(8)銅鐸は日本人が発明したのか

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 銅鐸の古代呼称が判明した(8)銅鐸は日本人が発明したのか

 『魏書倭人章』には全く書かれていないのに、

 当時まちがいなく近畿中心に、

 栄えていた重要な文化財に銅鐸がある。

 当時として非常に進んだ造型と鋳造技術、
 
 また突然の出現などからみて、

 それは日本だけの発明品でなく、

 どこかに先行文化があったとみるほかない。

 それがどこから来たかを物語るものは、その形や文様である。

 弥生文化のルーツにそって、

 共通の形をもったものを集めてみると、

 銅鐸自身の意義と同時に、

 それを作った人々の正体も明らかになる。


 <写真>

 1 謎の銅鐸型祭器(伝鹿児島県出土)

 2 カンタロス型祭器(べトナム)

 3 絵画銅鐸(神戸桜が丘4号鐸レプリカ)

 4 甬鐘(中国春秋時代)

 5 バンチェン土器(タイ国4000年前)

 6 銅腕輪(タイ国バンチェン4000年前)

 7 ">銀ベルト(タイ山地民族19世紀)

 8 大香炉(韓国高麗時代)

 ※出典:加治木義博『日本人のルーツ』46、47頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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