古代史ブログ講座
《古代史ブログ講座》銅鐸の古代名称が判明した
―その用途・機能・金属成分・製造地・発掘状況からの考察―
出典:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
講師:歴史研究家 黒田 光一
銅鐸の古代呼称が判明した(2)
<青銅器の技術者>
◎ヨーロッパ 常勤専門技術者が担当した。
◎日本 平安時代の末期頃専門集団が生まれている。
青銅器はヨーロッパと同様専門技術者でないとできない。
2ミリの厚さで青銅器を作る事は現在の技術でもできず
厚く造ったものを削って2ミリにしている。
鋳型も熱しないと湯が回らない。
微量金属砒素(ひそ)を使う合金の技術が当時あった。
◎材質の組合せの古い順
① 銅―――錫
② 銅―――錫―――鉛
③ 銅―――錫―――鉛―――ヒ素
④ 銅―――錫―――ヒ素
⑤ 銅―――亜鉛 (黄銅)16C~17C初めに製造
スズを入れると硬くなる
合金の呼び方は時代と伴に変っている
(事例) 白銅 銅とスズ 現代では 銅とニッケルの合金を言う
<銅鐸、矛形祭器の埋納の意味>
◎大小の地域社会の出入口、境界地点に置いて邪悪なる
霊の侵入を防いだと考えた。
「春成秀爾」
神戸市桜ヶ丘 14個の銅鐸 西の出入口
滋賀県野洲郡野洲町小篠原岩山
13、9、1個と三地点から出土 東の出入口
和歌山県日高郡日高町荊木南部川村大久保雨請山晩稲
南の出入口
高知県南国市大埇(オオソネ) 西南の出入口
徳島県阿南市八貫渡 西南の出入口
対馬 倭人の出入口 矛形祭器が多く出土する
※但し上記のように荒神谷の剣形祭器358本に付いては説明できない
<不思議なこと>
政治の主要地からは弥生式青銅器が多く残らずその周辺地から
たくさん青銅器が出土す
※事例 出ない所:大和、河内、吉備、筑前
出る 所:紀伊、近江、三河、出雲
※青銅器が出土したから権力があった地域とはいえない
<最銅器の祭りが終わった理由>
古墳時代の到来は共同の祭りは邪魔になるから為政者は中止させた。
階級社会の成立へ転換が青銅器の儀式の性格を変えた。
参考文献 ①日本の歴史 1 日本人の誕生 佐原眞 小学館
②金・銀・銅の日本史 村上隆 岩波書店
<鉛同位対比から銅鐸の原料分析>
◎古い形式の銅鐸はスズが多くふくまれる 10%以上
終末期のものは近畿式、三遠式は非常に少なくなる 3~5%
『原因の推定』
① 銅利器改鋳説 亀井清 輸入銅利器+純銅
② 素材輸入説
③ 国産原料説 久野雄一郎 自然銅が日本にあった。
事例 伝羽曳山出土銅鐸
<鉛の種類>
① 質量 204 自然界に存在する
② 質量 206 ウランから生まれる
③ 質量 207 ウランから生まれる
④ 質量 208 トリュウムから生まれる
特徴 4種類の混合比が鉛の鉱床によって違う
銅やスズを混ぜても同じ値がでる
銹(さび)が生じても同位対比は変らず
鉛204は放射性崩壊では生成しない存在量は不変
分析には鉛204を分母にするのが最適
ただし、存在量が少ない為誤差が大きい
206Pb/204Pb
207Pb/206Pb
2086Pb/206Pb
他の組合せは、この三つから計算で可能
第1表 銅鐸の鉛同位体比※省略
第2表 鏡・剣・鍑・小銅鐸の鉛同位体比※省略
《参考》
銅鐸分布考
日本書紀の解明・・邪馬台国と大和王権
青銅器の鉛同位体比の秘密
新しく銅鐸出土地名表
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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