2014年8月13日水曜日

日本語は大量のマレー語でできている

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 古代史ブログ講座

 《古代史ブログ講座》古代日本語の成立過程

  講師:歴史研究家「金原 政敏」

 ◎日本語は大量のマレー語でできている

  数81の問題:『日本書紀』に「天皇崩。時に年八十一」と書いてある。


 [後漢書・烏桓伝]の81は「部族の数」で、

 『古事記』の    81は「船の数」で、

 『日本書紀』   の81は「天皇の寿命」で、

 どれもまるで一致しない。

 これは単なる「偶然」の一致、

 関係があるとみるのはムリだと思ったこともあった。

 しかし、『日本書紀』の81は、

 意識的にスリ替えたものだとわかると、

 残る「部族の数」と「船の数」の問題は、

 立派に理由のある食い違いで、

 偶然ではないと立証するつぎのようなキーがみつかった。

 そのキーは「マレー語」である。

 日本語は大量のマレー語でできているということは、

 私(加治木義博)の『邪馬臺国の言葉』(コスモ出版刊、1976年)で

 詳しくお話ししたが、

 お読みでない方のために別の例をあげてみよう。

 『魏書倭人章』の

 女王国の旁国の中に「巴利(ハリ)国」というのがあるが、

 その後の移動発展を追っていくと、

 現在の兵庫県、昔の「播磨(ハリマ)」になる。

 それは国を「マ」と発音したからで、

 古代の日本周辺の国々ではこの「マ」を含めて、

 国のことを「ラ・マ・ヤ・ナ」という発音と、

 その方言訛りで呼んでいたことが実証されている(『ジンム』参照)。

 この巴利国は、今の鹿児島県下にあり、地名遺跡もある。

 この地方は日向、日の国と呼ばれた地域である。

 日をハリと発音するのはマレー語だ。

 だがこれ一つでは証拠には不十分だ。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ日本書紀』に「天皇崩。時に年八十一」と書いてある。




《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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