古代史ブログ講座
《古代史ブログ講座》古代日本語の成立過程
講師:歴史研究家「金原 政敏」
◎日本語は大量のマレー語でできている
数81の問題:『日本書紀』に「天皇崩。時に年八十一」と書いてある。
[後漢書・烏桓伝]の81は「部族の数」で、
『古事記』の 81は「船の数」で、
『日本書紀』 の81は「天皇の寿命」で、
どれもまるで一致しない。
これは単なる「偶然」の一致、
関係があるとみるのはムリだと思ったこともあった。
しかし、『日本書紀』の81は、
意識的にスリ替えたものだとわかると、
残る「部族の数」と「船の数」の問題は、
立派に理由のある食い違いで、
偶然ではないと立証するつぎのようなキーがみつかった。
そのキーは「マレー語」である。
日本語は大量のマレー語でできているということは、
私(加治木義博)の『邪馬臺国の言葉』(コスモ出版刊、1976年)で
詳しくお話ししたが、
お読みでない方のために別の例をあげてみよう。
『魏書倭人章』の
女王国の旁国の中に「巴利(ハリ)国」というのがあるが、
その後の移動発展を追っていくと、
現在の兵庫県、昔の「播磨(ハリマ)」になる。
それは国を「マ」と発音したからで、
古代の日本周辺の国々ではこの「マ」を含めて、
国のことを「ラ・マ・ヤ・ナ」という発音と、
その方言訛りで呼んでいたことが実証されている(『ジンム』参照)。
この巴利国は、今の鹿児島県下にあり、地名遺跡もある。
この地方は日向、日の国と呼ばれた地域である。
日をハリと発音するのはマレー語だ。
だがこれ一つでは証拠には不十分だ。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ日本書紀』に「天皇崩。時に年八十一」と書いてある。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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