古代史ブログ講座
《古代史ブログ講座》銅鐸の古代名称が判明した
―その用途・機能・金属成分・製造地・発掘状況からの考察―
出典:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
講師:歴史研究家 黒田 光一
銅鐸の古代呼称が判明した(1)
弥生時代の米作りと伴に大陸より金属器が入って来た。
工具・武器・祭器として利用された。
最初から青銅器と鉄器とが
同時に入って来ているのが日本の特徴である。
ヨーロッパや西アジア、中国、朝鮮半島においては
石器時代、青銅器時代を経て刃物を鉄で作る鉄器時代へと発展した。
<青銅器の利用>
朝鮮半島―→銅剣、銅戈、銅矛等武器に利用
日本―――→武器祭器が多い。
刃物以外のものの種類が多い。
剣形祭器、戈形祭器、矛形祭器、銅釧(腕輪)、
巴形銅器(盾の飾り金具)等祭の道具や、
装身具に多く使われた。
美しい形や紋様を出すのに青銅器は適していた。
日本では青銅器の製作には鋳造から始まった。
ちなみに鍛造品には金、銀、銅版、鉄が多い。
<鋳造の方法>
① 鋳型に注ぐ方法
② 二つの鋳型に合わせ、その中に湯を注ぐ方法
剣、矛、戈、祭器、銅鏃
③ 外型と内型(ナカカゴ)で造る 例 銅鐸、矛形祭器
鉄器――→鍛造――→鋳造 中国 戦国時代に始まる
日本 9~10世紀頃に始まる
<青銅器の材料入手先>
① 朝鮮半島の鉛―→古い銅鐸、多紐祭文鏡
② 中国北部の鉛―→銅鐸、武器祭器
近畿式、三遠式、
ともに北部の鉛で画一的で均質な鉛である
③ 中国南部の鉛―→古墳時代の鉛
④ 日本産の鉛 ―→7、8世紀以降に使われる
<以上から言える事>
◎ 朝鮮式小銅鐸 10㎝~20㎝位で紋様なし
朝鮮製の青銅器や模造品は北部九州、山口で出土
墓にそえて埋められている
◎ 日本の銅鐸 デザインは縄文文化からのパクリである
「聞く銅鐸」⇒「見る銅鐸」形も大型化し変質している
◎ 見る銅鐸
△ 銅矛、銅剣文化圏<=>銅鐸文化圏と対照をなす
祭器が異なるだけ
中国、四国、近畿では銅鐸と武器祭器が同じ穴から出土する
△ 稲作の祭で銅鐸が使用されたか 特別な色・音
△ 大事な特徴
① 弥生土器、木器と同じ紋様を銅鐸は使っている
この事が意味するのは銅鐸は特定の個人の持ち物では無くて
村人の共有財産であった
② 墓に埋められていない
武器、祭器も墓から出土しない
依って特定の所有物ではない
<銅鐸の画題>
① 鹿 角を欠いているものが多い
また牝、小鹿連れが多い
② 水鳥(鶴)
③ 猪、トンボ
④ その他 クモ、カマキリ、カエル、トカゲ、カニ、イヌ、高床建物
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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