2014年8月21日木曜日

銅鐸の古代呼称が判明した(1)

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 古代史ブログ講座

 《古代史ブログ講座》銅鐸の古代名称が判明した

  ―その用途・機能・金属成分・製造地・発掘状況からの考察― 

  出典:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 講師:歴史研究家 黒田 光一

 銅鐸の古代呼称が判明した(1)

  弥生時代の米作りと伴に大陸より金属器が入って来た。

 工具・武器・祭器として利用された。
 
 最初から青銅器と鉄器とが

 同時に入って来ているのが日本の特徴である。

 ヨーロッパや西アジア、中国、朝鮮半島においては

 石器時代、青銅器時代を経て刃物を鉄で作る鉄器時代へと発展した。

 <青銅器の利用>

  朝鮮半島―→銅剣、銅戈、銅矛等武器に利用

  日本―――→武器祭器が多い。

        刃物以外のものの種類が多い。

        剣形祭器、戈形祭器、矛形祭器、銅釧(腕輪)、

        巴形銅器(盾の飾り金具)等祭の道具や、

        装身具に多く使われた。

        美しい形や紋様を出すのに青銅器は適していた。

        日本では青銅器の製作には鋳造から始まった。

        ちなみに鍛造品には金、銀、銅版、鉄が多い。

 <鋳造の方法>

  ① 鋳型に注ぐ方法

  ② 二つの鋳型に合わせ、その中に湯を注ぐ方法

    剣、矛、戈、祭器、銅鏃

  ③ 外型と内型(ナカカゴ)で造る 例 銅鐸、矛形祭器


  鉄器――→鍛造――→鋳造 中国 戦国時代に始まる

               日本 9~10世紀頃に始まる

 <青銅器の材料入手先>

  ① 朝鮮半島の鉛―→古い銅鐸、多紐祭文鏡

  ② 中国北部の鉛―→銅鐸、武器祭器

            近畿式、三遠式、

            ともに北部の鉛で画一的で均質な鉛である

  ③ 中国南部の鉛―→古墳時代の鉛

  ④ 日本産の鉛 ―→7、8世紀以降に使われる

 <以上から言える事>

  ◎ 朝鮮式小銅鐸 10㎝~20㎝位で紋様なし

           朝鮮製の青銅器や模造品は北部九州、山口で出土

           墓にそえて埋められている

  ◎ 日本の銅鐸  デザインは縄文文化からのパクリである

           「聞く銅鐸」⇒「見る銅鐸」形も大型化し変質している

  ◎ 見る銅鐸   

    △ 銅矛、銅剣文化圏<=>銅鐸文化圏と対照をなす

      祭器が異なるだけ

      中国、四国、近畿では銅鐸と武器祭器が同じ穴から出土する

    △ 稲作の祭で銅鐸が使用されたか 特別な色・音

    △ 大事な特徴

      ① 弥生土器、木器と同じ紋様を銅鐸は使っている

        この事が意味するのは銅鐸は特定の個人の持ち物では無くて

        村人の共有財産であった

      ② 墓に埋められていない

        武器、祭器も墓から出土しない

        依って特定の所有物ではない

 <銅鐸の画題>

  ① 鹿   角を欠いているものが多い
    
        また牝、小鹿連れが多い

  ② 水鳥(鶴) 

  ③ 猪、トンボ

  ④ その他 クモ、カマキリ、カエル、トカゲ、カニ、イヌ、高床建物

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ  

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