2014年8月13日水曜日

語源はマレー語とインド語

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 古代史ブログ講座

 《古代史ブログ講座》古代日本語の成立過程

  講師:歴史研究家「金原 政敏」

 ◎語源はマレー語とインド語

 百済は大阪から一足跳びに朝鮮へ進出したのであろうか?

 それならなぜ<モズミ>であった百済が

 <クダラ>と発音されたのであろうか?

 <クダラ>は朝鮮にあった国だから、

 朝鮮語なら国名の意味が解けそうに思う。

 しかし、何ひとつそれらしいものはない。

 そこで方向を変えて「馬」は何を意味するかを、

 日本周辺の国々の言葉で調べてみた。

 するとマレー語に、

 馬を<クダ>という発音があったのである。

 マレー語は私(加治木義博)の『邪馬台国の言葉』の

 附録として日本~マレー共通語小辞典をつけておいたとおり、

 日本語に大量に入っている言葉である。

 馬韓の馬は、この<クダ>に対する当て字とすれば理解できる。

 クダが馬を意味するとわかると、

 大阪と朝鮮との中間に、

 この両方の名を一緒にもっている地名が見つかる。

 山口県の西端、

 下関の下はクダるという訓(よ)みをもっており、

 下関は一名、馬関(ばかん)とも呼ばれてきた。

 関(カン)の字も韓(カン)と同音だから、

 ここはクダ韓であり馬韓でもあったのである。

 このクダ韓の名はさらに

 下関から後の百済の公州や扶余への途中にあった国名に気づかせる。

 それは『魏書倭人章』に、

 「倭の北岸」という肩書きつきで記録された[狗邪韓国]である。

 この国は3世紀末現在の国で、

 先にもお話ししたとおり馬韓は弁辰とともに健在であり、

 むしろ三国に君臨していた。

 だから馬韓と狗邪韓とは別ものである。

 しかも倭のいちばん北の端の国と書かれ、

 クジャ韓というクダ韓とは

 わずかな発音差しかない国名をもっている。

 これは後に馬韓を倒して<クダラ>としたと考えると、

 大阪からの遠征よりはるかに合理性をもっている。

 <倭の五王時代の倭と百済と新羅と加耶>

  朝鮮半島の植民地には、

 元の本国であった百済、新羅の名がつけられ、

 ちょうど現在のニューヨークにある、

 リトル・トーキョーや、チャイナ・タウンといったものだった。

 新羅の名は425年に初めて倭王・珍の名乗りに現れる。
 
 <朝鮮半島>百済・加耶・新羅

 <倭>鹿屋(加耶)

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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