古代史ブログ講座
《古代史ブログ講座》古代日本語の成立過程
講師:歴史研究家「金原 政敏」
◎クダラもマレー語
このマレー語は、百済を「クダラ」と読むことにも残っている。
百済は漢字のもつ発音でも意味でも、
どんなにしても「クダラ」とは読めない。
だがマレー語で「クダ」は「馬」のことである。
もうおわかりのように朝鮮半島の百済は、
ヒミコ当時は「馬韓」と書かれている。
これはマレー語の「クダ」に
「韓=カラ・ガラ」を、
「が国(ラ)=の国」の意味で当て字としてつけたもので、
「馬国」という国名だったのである。
国をラと発音する人々には、
それは「クダラ」としか発音できなかったのだ。
そこが後に「百済(ホズミ)」のものになっても、
漢字を知らない人々にとっては、
そこは「クダラ」という土地でしかなかった。
あとから来た「百済」という漢字は、
やはり永遠に「クダラ」と読まれることになった。
これとまったく同じことが、
奈良の「飛鳥」や「春日」でも起こつている。
マレー語は、
日本、朝鮮半島だけではなく、
もっと北のシベリアにもたくさんの地名を残している。
スンガリー(松花江)は「大河」。
ウスリー(烏蘇里江)は「源」というマレー語。
このウスリー江はハンカ湖という
独特の広大な源をもった川だからである。
それはソナカ宣布団が
マレー語圏から大量の人々を連れて来たし、
それ以前にもカリエン人などが、
水稲栽培を日本列島や朝鮮半島南部にひろげている。
そしてこれまで
古代史解明に最も重要で欠くことのできない言語として
「沖縄語」が登場しているが、
その第一の特徴である
「三母音語」はマレー語族の特徴なのである。
それを遠くシベリアまで運んだ人々が
『ジンム』でお話ししたカリエン人だったことは、
もう申し上げるまでもないと思う。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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