2014年8月14日木曜日

方言・アイヌ語・朝鮮語

 浦和レッズレディース
 古代史ブログ講座

 《古代史ブログ講座》古代日本語の成立過程

 「方言、アイヌ語、朝鮮語」

 講師:歴史研究家「金原 政敏」

 「方言・アイヌ語・朝鮮語」

            ABCDEFGHI JK

 ① 豊  国  主  トヨ クニ ヌシ  NI

 ② 豊  組  野  トヨ クミ   ノ MI

 ③ 豊 香 節 野  トヨ カ  フシノ 

 ④ 浮  経  野    ウカ  フ ノ 

 ④ 豊     買  トヨ カ(イ)(フ)   I

 ⑤ 豊  国  野  トヨ クニ   ノ NI

 ⑥ 豊  齧  野  トヨ クイ   ノ  I
            トヨ カミ   ノ MI

 ⑨ 豊  斟  野  トヨ クミ   ノ MI
            トヨ クム   ノ MU

 ⑩ 豊  雲  野  トヨ クモ   ノ MO

 ⑧ 国  見  野     クニ ミ ノ NI
               クミ   ノ MI

 ⑦ 葉 木 国 野 〔ハキ〕クニ   ノ NI

 11 葉   木(アイヌ読み)‘コム   ニ’

 12 (コム)=(朝鮮語の) ‘クマ ’(ノ)
 
 13 (その意味は)日本語の カシ


 <N>と<M>。は語尾に来た場合、「ン」になって区別がつかないが、

 語頭にあって区別がつかないことはあまりない。

 現代の日本語では、

 <ナ>行と<マ>行がギッシリ言葉でつまっていて、あまり混乱はない。

 しかし方言には、この二つが混乱しているものがある。

 さきにお話しした朝鮮にあったのか、

 逆に日本の中にあったのかと言う任那(ミマナ)も、

 よく見て頂くと、

 本当は<ニンナ>とよむべき字であることが、

 おわかりだと思う。

 この<任>と同音の<壬>を使った有名な地名は、

 新撰組の本拠があった壬生(ミブ)である。

 虹と書いてニジとよむのは常識なのだが、

 大分県から四国、和歌山、三重へかけてと、

 島根県から京都、石川、富山の一部へ、

 とびとびにではあるが

 「ミョージ」あるいは「ミュージ」と発音する所がある。

 蜷(ニナ)川というよく知られた姓があるが、

 この蜷を、

 長崎、鹿児島、宮崎などでは、ミナあるいはビナと発音する。

 さらに南へ行くと、沖縄方言では蓑(ミノ)をンヌ。

 味噌(ミソ)をンシュと発音する。

 八丈島では「苦(ニガ)い」をミガイという。

 大変な訛り方だと思うが、

 私たちがふつうに使っている葱(ネギ)の仲間の

 韮(ニラ)は正しい発音であろうか?

 大言海には、古くは<ミラ>が正しかったと書いてある。

 こうなってくると、

 <ニナ>と<ミナ>も、そのほかも、

 どっちが正しいのか、わからなくなる。

 この例によって、<ニ>と<ミ>が入れかわることも、

 それほど、とんでもないことではないことが理解できたと思う。

 文字の上ではずいぶん違ってみえた、

 この神様の名が、

 本当はそれほど変っていないらしいことが判ったわけである。

 といっても一つの例外があったことを忘れることはできないが。

 例外とは⑦の葉木国野である。

 この<葉木>の二字はどうしても納得できない文字である。

 これに隠されている謎を解いてみよう。

 <ミ>と<ニ>の訛りが、方言で証明されたのだから、

 これも方言の中に答えがありそうである。

 まわりくどいことを言っていても無駄だから、

 タネあかしをすると、

 私(加治木義博)のようにアイヌ語を知っているものには、

 はじめから少しも不思議ではなかったのである。

 葉はコム。

 木はニ。と、アイヌ語では発音する。

 リストの一番下を見て戴くとひと目で判るように、

 コムニはDEIに対応するもので、

 アイヌ語の<コムニ>と

 日本語の<クニノ>と二つが重なつたものなのである。

 ついでにお話ししておくと、

 アイヌ語ではコムニという熟語があって

 「カシの木」を意味する。

 この「カシの木」を

 古事記伝は「熊白樺(クマカシ)」という難かしい書き方をしているが、

 原文では久麻加志(クマカシ)とあるだけである。

 コムニがクマカシであるとすると、

 コムとクマが、

 さきのクモ、クミ、クムの同類であるように見える。

 ここでも手数を省くために私の朝鮮語の知識をお役に立てると、

 熊はコムと発音するのである。

 すると、この三つのことばは、

 お互いに抜きさしのならない重要な関係にあることがわかる。

 アイヌ語のコムニが、

 朝鮮語の熊ということばを誘い出して倭語の熊カシを生んだか、

 倭語の熊カシが、朝鮮でコムの木と呼ばれ、

 それがアイヌ語に移ってコムニということばが生れたか、

 朝鮮でコムは熊、アイヌでコムは橿だったために、

 その双方の接触点「倭」ではカシの木を熊橿と呼んだか。

 いずれにしても、

 その一つが欠けても成立しないサークルを形成した言葉だったのである。

 それが、

 どこからどこへ、どう移ったかを追求するのは、

 もっと先のことである。

 ここでは、アイヌ語が、日本の神名に影響していても不思議ではない、

 という証明さえ得られれば良い。

 それは葉木という文字自身が日本とだけでなく、

 朝鮮とも切り離すことのできない交流があったことを

 立派に証拠立てたのである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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