古代史ブログ講座
《古代史ブログ講座》古代日本語の成立過程
講師:歴史研究家「金原 政敏」
◎根と足と垣・根子と宿弥と足尼
「敏達天皇紀」十二年十月の第二の条に、
「吉備海部直(キビのアマベのアタエ)羽嶋を、
日羅(ニチラ)を呼び戻すために、百済(クダラ)へ派遣した。
羽嶋は非公式に密かに日羅を訪れた。
すると韓婦人はが出てきて韓語で
『汝(なんじ)の 「根」を、我が「根」の内に入れよ』
といって家に入ってしまった。
羽嶋はその謎の意味を理解して婦人について入った。」
という記事がある。
この話しで、
この謎かけの主語「根」は、
一語で三つの意味を持っていたことが分る。
なぜなら本来の根の他に、
「汝の根」と「我が根」の
二つの意味があったからである。
そしてその意味は「中に入れ」という返事になっていたのだから、
「汝」の方は「足」であり、
もう一つは「垣」を意味していたはすである。
だが朝鮮語では
「根」は「プリ」。
「足」は「パル」。
「垣根」は「オルラリ」で、さっばり謎は解けない。
この謎が解ける言葉を世界中の言語から捜してみると、
マレー語の「足=カキ」だけがうまく行く。
『汝のカキ(足)」を、我が「カキ(垣)」の内に入れよ』
となるからである。
ということは、その「韓語」とは今の朝辞語ではなく、
マレー語の沢山入った言語だったと見る他ない。
日本語にもマレー語は大量に入っている。
だが「カキ」の発音は分ったが、
何故それに「根」という漢字を当てたのだろう?。
この謎解きのキーは、
天皇の「和風諡号(シゴウ)」に
『根子』という文字が7、8、9、22、43、44代に、
『足』という文字が12、13、14、34、35、44代と神功皇后に、
『カキ』と読める字が2、3、8、10、12、15、17、18、19、21、22、
34、38代に含まれていることである。
『古事記』序文に
「帯」を「多羅斯(タラシ・タラス)という」とあり、
それに対応する『日本書紀』の文字は「足」を使ってある。
「足る」「足りない」は日用語だが、
「帯」はやはりマレー語の「タリ」以外合うものがない。
「根」の字が<足>と<垣根>を意味したとすると、
その発音も共通でなければならない。
しかし「帯・足」が「タリ」では『古事記』のいう「タラシ」とは合わない。
これはどうなるのだろう?。
7世紀に書かれた中国の『隋書』「倭国伝」に
「倭王、姓は阿毎(アメ)、
字(アザナ)は多利思比孤(タリシヒコ)」
と記録されているのを見ると、
やはり「タリ」の方が正しくて
『古事記』序文の方が訛っているともいえる。
まさかと考えがちだが、
よく考えてみると、これまでずっと見てきたことは
全部『記・紀』の名詞などの読み方、
発音が間違っていたことの立証と訂正ばかりだつた。
『記・紀』も従来の教育も盲信できない相手だったのである。
<足>と<根>が同音だということになると、
「根子」は従来のような「ネコ」という発音ではなくて、
「定」「帯」と同じく
「タリシ」または「タラシ」と読まねばならなくなる。
こう分ってみると、
マレー語で話した韓(カラ)婦人は、
たんに「垣」を「カキ」というだけの、
単純な謎を掛けたのではなく、
もう一とひねりして
『汝の「根(タリ=足)を
我が「根(タリ=足=カキ=垣)」の内に入れよ』
といったのだということが、はっきり分ってくる。
それでなくては敵に簡単に解読されて、暗号としての投に立たない。
允恭天皇の和風諡号にも
「雄朝津間稚子の宿祢」と使われている称号に
「宿祢(スクネ)」があり、「足尼」とも書かれる。
足尼は「タラシネ」「タラチニ(=沖縄型)」とも読める。
従来は宿祢は単なる敬称だとされて来たが、
「多利思・多羅斯」の語源はスキユタイ語系の
「タラス=親・親分・首長・王」に近いもので、
それに当て字された「根子」から
「タラシ…タラシネ…足尼…スクニ
(=沖縄発音。ソクり=スク)…宿祢…スクネ」
と転訛した経路がたどれる。
だとすれば「大田々根子」とは、
実は天皇クラスの人物ということになる。
また沖縄語では
「ネ」は「ニ」、
「シ」は「チ」と発音するから
「根子」の漢音は「ニチ」で、
『魏書倭人章』の伊都国の最高官の官名
『爾支(ニチ)』にも完全に一致する。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
0 件のコメント:
コメントを投稿