2014年8月13日水曜日

根と足と垣・根子と宿弥と足尼

 浦和レッズレディース
 古代史ブログ講座

 《古代史ブログ講座》古代日本語の成立過程

  講師:歴史研究家「金原 政敏」

 ◎根と足と垣・根子と宿弥と足尼

 「敏達天皇紀」十二年十月の第二の条に、

 「吉備海部直(キビのアマベのアタエ)羽嶋を、

  日羅(ニチラ)を呼び戻すために、百済(クダラ)へ派遣した。

  羽嶋は非公式に密かに日羅を訪れた。

  すると韓婦人はが出てきて韓語で

  『汝(なんじ)の 「根」を、我が「根」の内に入れよ』

  といって家に入ってしまった。

  羽嶋はその謎の意味を理解して婦人について入った。」

 という記事がある。

 この話しで、

 この謎かけの主語「根」は、

 一語で三つの意味を持っていたことが分る。

 なぜなら本来の根の他に、

 「汝の根」と「我が根」の

 二つの意味があったからである。

 そしてその意味は「中に入れ」という返事になっていたのだから、

 「汝」の方は「足」であり、

 もう一つは「垣」を意味していたはすである。

 だが朝鮮語では

 「根」は「プリ」。

 「足」は「パル」。

 「垣根」は「オルラリ」で、さっばり謎は解けない。

 この謎が解ける言葉を世界中の言語から捜してみると、

 マレー語の「足=カキ」だけがうまく行く。

 『汝のカキ(足)」を、我が「カキ(垣)」の内に入れよ』

 となるからである。

 ということは、その「韓語」とは今の朝辞語ではなく、

 マレー語の沢山入った言語だったと見る他ない。

 日本語にもマレー語は大量に入っている。

 だが「カキ」の発音は分ったが、

 何故それに「根」という漢字を当てたのだろう?。

 この謎解きのキーは、

 天皇の「和風諡号(シゴウ)」に

 『根子』という文字が7、8、9、22、43、44代に、

 『足』という文字が12、13、14、34、35、44代と神功皇后に、

 『カキ』と読める字が2、3、8、10、12、15、17、18、19、21、22、

     34、38代に含まれていることである。

 『古事記』序文に

 「帯」を「多羅斯(タラシ・タラス)という」とあり、

 それに対応する『日本書紀』の文字は「足」を使ってある。

 「足る」「足りない」は日用語だが、

 「帯」はやはりマレー語の「タリ」以外合うものがない。

 「根」の字が<足>と<垣根>を意味したとすると、

 その発音も共通でなければならない。

 しかし「帯・足」が「タリ」では『古事記』のいう「タラシ」とは合わない。

 これはどうなるのだろう?。

 7世紀に書かれた中国の『隋書』「倭国伝」に

 「倭王、姓は阿毎(アメ)、

 字(アザナ)は多利思比孤(タリシヒコ)」

 と記録されているのを見ると、

 やはり「タリ」の方が正しくて

 『古事記』序文の方が訛っているともいえる。

 まさかと考えがちだが、

 よく考えてみると、これまでずっと見てきたことは

 全部『記・紀』の名詞などの読み方、

 発音が間違っていたことの立証と訂正ばかりだつた。

 『記・紀』も従来の教育も盲信できない相手だったのである。

 <足>と<根>が同音だということになると、

 「根子」は従来のような「ネコ」という発音ではなくて、

 「定」「帯」と同じく

 「タリシ」または「タラシ」と読まねばならなくなる。

 こう分ってみると、

 マレー語で話した韓(カラ)婦人は、

 たんに「垣」を「カキ」というだけの、

 単純な謎を掛けたのではなく、

 もう一とひねりして

 『汝の「根(タリ=足)を

  我が「根(タリ=足=カキ=垣)」の内に入れよ』

 といったのだということが、はっきり分ってくる。

 それでなくては敵に簡単に解読されて、暗号としての投に立たない。

 允恭天皇の和風諡号にも

 「雄朝津間稚子の宿祢」と使われている称号に

 「宿祢(スクネ)」があり、「足尼」とも書かれる。

 足尼は「タラシネ」「タラチニ(=沖縄型)」とも読める。

 従来は宿祢は単なる敬称だとされて来たが、

 「多利思・多羅斯」の語源はスキユタイ語系の

 「タラス=親・親分・首長・王」に近いもので、

 それに当て字された「根子」から

 「タラシ…タラシネ…足尼…スクニ 

 (=沖縄発音。ソクり=スク)…宿祢…スクネ」

 と転訛した経路がたどれる。

 だとすれば「大田々根子」とは、

 実は天皇クラスの人物ということになる。

 また沖縄語では

 「ネ」は「ニ」、

 「シ」は「チ」と発音するから

 「根子」の漢音は「ニチ」で、

 『魏書倭人章』の伊都国の最高官の官名

 『爾支(ニチ)』にも完全に一致する。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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