2014年8月31日日曜日

銅鐸の古代呼称が判明した(6)

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 古代史ブログ講座

 《古代史ブログ講座》銅鐸の古代名称が判明した

  ―その用途・機能・金属成分・製造地・発掘状況からの考察― 

  出典:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 講師:歴史研究家 黒田 光一

 銅鐸の古代呼称が判明した(6)

 ◎ 銅鐸は日本では約500個弱出土確認されている。

 ◎ 福田型銅鐸  全国中国地方 4個

          広島市福田木    宗山遺跡

          岡山市足守     上足守

          鳥取県西部     伝伯耆

          島根県出雲市    伝出雲

 <特徴>

  ① 顔や眼が描いてある

  ② 真中に人が万歳(バンザイ)した図柄がある

  ③ 小鼻がふくらんだ目鼻が描いてある

  ※吉野ヶ里と同じ仲間の銅鐸である

 (その他)

  黄帯文、複合鋸歯文、黄帯文に綾杉文や、斜格子文がる。

  黄帯文の間には渦巻文がる。

 <九州出土の福田型> 鋳型が出土している

  佐賀県鳥栖市 安永田遺跡

  佐賀県鳥栖市 本行遺跡

  福岡市    赤穂ノ浦遺跡

 ◎ 北部九州で製造⇒製品は中国地方に広まる

 ◎ 銅鐸は近畿地方を中心に分布しているが、

   一番古いものは福田型銅鐸で九州で製造した。

   ↑佐原氏は反対 もっと古い銅鐸があると言った

   弥生の前期末に近畿で作られた

   京都府日向市 鶏冠井遺跡

          鋳型の破片が出土。

          土器が一緒に出土。

          その土器は弥生の前期末から中期初めのものであった。

  ★ 一番古い銅鐸の原料は朝鮮半島南部で産出。

    その後材料は中国から入手する。

  ★ 福田型銅鐸の鉛同位体を分析すると中国産の原料であった。





 第4表 銅鐸の化学分析値
  ──────────────────────────────────
          分析値%     分析者  文献    分類
  ──────────────────────────────────
 銅鐸名    Cu  Sn  Pb           亀井  馬淵・平尾
                         (元素組成) (鉛同位体)
  ──────────────────────────────────
 泊      74.46 14.25 7.65 亀井 清 註(2)   A     α
  ──────────────────────────────────
 神於     75.9  12.5  5.92 山崎一雄 註(5)   A     α
                 (平均値)
  ──────────────────────────────────
 神戸     83.84 7.62 7.63  近藤眞澄 註(14)   B     β  
  ──────────────────────────────────
 倭文     85.88  3.49 8.89 亀井 清 註(2)    B     β 
  ──────────────────────────────────
 栄根     90.87  4.17 4.27  近藤眞澄 註(13)   C     γ
  ──────────────────────────────────
 (伝)羽曳山* 87.91  4.52 3.38 亀井 清 註(2)    C     γ
  ────────────────────────────────── 
 堂道     89.14 4.93  2.66  田辺義一 註(15)   C     γ
  ──────────────────────────────────
 *亀井論文では羽曳野となっている。

 第11図 小銅鐸、銅鍑・中国鏡の鉛同位体比分布(A式図)

  小銅鐸二個と銅鍑が近畿式・三遠式銅鐸(右上方の楕円形点線)と
 
  同じ同位体比をとることに注意

 ★今まで同鏃をはじめ、

  弥生時代の武器や兵器が大量に出土しているが

  材質面の研究は少ない。

  実戦の武器は「見かけ」ではない、

  いかに優秀な機能を備えた武器を手にするかである。

  有力部族は優秀な武器を作る工人集団を自ら抱えている。

  常に最先端の武器の安定供給をめざしたに違いない。

  特赦技能を持つ工人は特権扱いだったのだろうか。

  工人集団自体が古代においては部族間の紛争の対象に成っていた。

  参考文献②参照

 『結論』

 ① 弥生時代に米作りと同時に金属器が日本に入って来た。

   銅鐸は朝鮮式小銅鐸を改良、用途も日本では変化した。

   元々家畜を使わない農業が変化させた。

 ② 銅鐸の発生は弥生の前期後半から中期後半と説が分かれる。

 ③ 青銅器を製作する技術者は王権とワンセットであった。

 ④ 王権と剣がポイントである。

   剣を黄金色にして生血を捧げる征服した民への儀式として

   捕虜の頚動脈を切る儀式に使われた。

 ⑤ 技術者は材料問屋とネットワークで繋がっていた。

   そうでないと常勤専門技術者として仕事を続けられない。  

 ⑥ 材料卸業者においては材料が届き

   相手側が代金を払ってくれないと成立しない。

 ⑦ 王権側が資金と運送、技術者の生活を賄った。

 ⑧ 王権、運送業者(海運、陸運、防衛)、技術者、材料問屋と

   四者がワンセットで成立していた。

 ⑨ 青銅器は剣がポイントであるが

   銅鐸は王権から少し離れ各村々の要請に応じて作り
  
   強い統一国家が生まれる前後に一斉に破棄されたものである。

   その後の技術者は鉄器生産に従事させられたのであろう。  

 <参考文献>

  ① 日本の歴史 1 日本人の誕生 佐原眞 小学館

  ② 金・銀・銅の日本史 村上隆 岩波書店

  ③ 『展望日本歴史3 原始社会』石川日出志・小杉康編 東京堂出版

  ④ 考古学の最前線

    -ここまでわかった日本列島-安蒜政雄・石川日出志 学生社

  ⑤ 出雲の銅鐸 佐原眞・春成秀爾 NHKBooks

  ⑥ 対論銅鐸  森浩一・石野博信 学生社

  ⑦ 歴史から消された邪馬台国の謎 豊田有恒 青春出版社

  ⑧ アッティラ大王とフン族 -<神の鞭>と呼ばれた男

    カタリン・エッシェー ヤロスラフ・レベンスキー

  銅鐸分布考
  日本書紀の解明・・邪馬台国と大和王権
  青銅器の鉛同位体比の秘密
  新しく銅鐸出土地名表
  銅鐸に伴う「舌」について

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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