2014年4月1日火曜日
虫追い〔松明まつり〕と稲作の神(10)
「古代史ブログ講座」開講にあたって
Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
香取神社(かとりじんじゃ)
埼玉県越谷市大沢3-13-38
電話(048)975-7824
出典:香取神社(越谷市大沢):歴史・信仰・氏子
『歴史』
大沢は、近世初期まで猿嶋(さしま)街道(現国道一六号)に沿った
高畑や葛西用水筋(逆川)の鷺後(さぎしろ)周辺に農民が居住していたが、
慶長年間(一五九六-一六一五)の奥州道(後の日光街道)の整備に件い、
それらの多くの人々が街道沿いに移住し、
越ケ谷宿の加宿として取り立てられたという。
当社の創建は『明細帳』に応永年中(一三九四-一四二八)とある。
また、大沢町の草分け百姓江沢太郎兵衛が著した『大沢町古馬筥』によれば、
中世にこの辺りが下総に属していたことから
同国一宮香取神宮を村の鎮守として勧請し、
鷺後(鷺後内野新田耕地)の地に社殿を建立したが、後に奥州道の整備に伴い、
寛永のころ(一六二四-四四)に今の地に移したという。
ただし、鷺後の地には今も「元香取」と呼ばれる祠がある。
更に、化政期(一八〇四-三〇)の『風土記稿』には
「香取社 町の鎮守とす、別当光明院 新義真言宗、末田村金剛院末、香取山と号せり、
本尊十一面観音を安ず、薬師堂」と記されている。
神仏分離を経て、当社は明治六年に村社となった。
現在の本殿は、棟札によると慶応二年(一八六六)に再建されたものである。
その壁面の彫刻の中には、紺屋の作業の模様が刻まれており、
かって当地で紺屋業が盛んに行われていたことをうかがわせる。
現在、祀職は小林家が務める。
『信仰・氏子』
当社は招福除災の信仰が厚く、家内安全・商売繁盛の祈願のほか、
方災除け・厄除け・交通安全(車祓い)などの祈願が多い。
年中行事は、
歳旦祭に始まり、
無火災祈願祭(二月二日)
厄除け析願祭(二月立春に近い日曜日)
祈年祭(二月十一日)
八坂神社祭(七月十四日に近い土・日曜日)
夏越大祓式(六月三十日)
例大祭(十月九日)
新穀感謝祭(十一月二十三日)・
香取市(十二月二日)
年越大払式(十二月二十九日)
除夜御僚祭(十二月三十一日)と統く。
ほかに毎月一日・十五日には月次祭が行われている。
このうち、
無火災祈願祭・祈年祭・八坂神社祭・例大祭・香取市の五つは、
古くから行われている祭りで、
そのほかはいずれも昭和三十九年から始められたものである。
無火災祈願祭は、古来大沢町が度々火災に遭ったことが
背景となって始められた祭事で、
かつては月遅れ正月の初めの辰の日に各家で屋根に水をかけて
その年の無火災を祈念したものであった。
現在は、午前中に越谷市消防団大沢分団の40名ほどの人たちが
境内に集まって消防訓練を行い、
午後三時から祈願祭を執り行っている。
厄除け析願祭は「星祭り」とも呼ばれ、
当日は200名を超える祈願の申し込みがある。
祈年祭に「お備社」とも呼ばれ、七歳になった男子四、五名が射手となり、
竹の弓矢で的を射る神事があったが、昭和十九年を最後に中断した。
現在は古くから行われている神楽の奉納がある。
八坂神社祭は、元々は字宮後の地内から合祀した八坂神社の祭りであり、
昭和に入って各町会で神輿を担ぐようになった。
現在は、土曜日の午後二時から祭典を執り行い、
土・日曜日の両日にわたって各町内の神輿が旧日光街道を中心に巡行する。
夏越大祓は、
夕刻から総代・自治会役員らが参集して鳥居の茅の輪をくぐった後、
大祓式を執り行う。
終わると、かつては氏子から納められた形代を逆川に流したが、
現在は境内で焚き上げている。
例大祭は、かつては盛大な祭りで、神輿渡御と山車の曳航行を行っていたが、
交通車両の増加により昭和三十六年を最後に途絶えた。
現在は祭典後、神楽を奉納している。
香取市は俗に「おかめ市」と称し、
境内に熊手屋などを含む露店30軒ほどが軒を連ね、
更に商店会ではバーゲンセールを行って多くの人出がある。
氏子の間では、この日に七五三の宮参りを行うのが習わしである。
古くから神楽の奉納を行っているが、
近年はこのほかに演芸大会を催している。
一方、鷺後にある元香取の方では、
昭和二十年代から一月八日と十月八日の年ニ回、
お備社と称して祭りを行っている。
当社の氏子区域は近世の大沢村の範囲で、
現在の大沢一-四丁目・大字大沢・北越谷一-二丁目・北越谷東町で、
氏子数は3500戸ほどである。
氏子総代は一六名で、
大沢一・二・四丁目から各二名、大沢三丁目から三名、
大字大沢の鷺後と高畑から各二名、
更に北越谷地区から三名が選ばれる。
任期は四年である。
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