2014年10月28日火曜日

文明とは文化である


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 歴史研究家「小嶋 秋彦」:2014/09/25

 ≪文明とは文化である≫

 国民国家=市民国家:日本の市民はいつ育ったか

  文明とは文化である。

  つまり日常的な生活感を基礎としている。

  Culture(文明) is culture(文化).

  Civilization(文明)とは「市民化」「国民化」した人々の文化である。

  実際法治の下、秩序を遵守して職業に務む人々の構成する集団が

 存在する事実によって与えられる用語である。

  よって Chinese culture あっても Chinese civilization は

 未だありえないのである。

  「人民」とは people でただの「万民」「人々」「蒼生」の語義で、

 構成員である「個人」は「市民」・civil/citizen とは

 なっていないのである。

  サミエル・ハンチントンの「文明の衝突」とは

 すなわち「文化の衝突」ということである。

  また「生活感の衝突」でもある。

  日本においては16世紀末から徳川幕府の間、

 戦国時代は動的な国家・国民改革を、

 徳川時代には静的な(読み、書き、そろばん)改革を行い、

 市民を育んできた。

  よって明治維新においては

 支配機構の変革が最重要課題であって、

 市民(国民)のあり方についての変更を

 主題とするものではなかった。

 すでに幕末に至る時、

 日本国民は法の下に安定した生活ができる

 社会制度を獲得していたのである。
 
  といっても武士を政治的支配者とする封建制度である限り

 一般民は表面立った政治参加は許されていなかったが、

 村落における行政は庄屋を先頭にかなり許され、

 各藩[国]の自治は藩主の名において許されていたのである。

  幕府が監視している状況ではあったが、

 いちいち幕府に伺いを立てる項目は決められており、

 それ以外は自己採決采配ができたのである。

  その面を考慮すると

 17世紀・18世紀にはヨーロッパ諸国よりも

 社会的文化度は高かったとさえ言えるのである。

  選挙による政治参加はないが、

 すでに市民化が進められていたのである。

  市民が選挙によって政治に参加する社会を近代国家とすれば、

 明治維新後、「五ヶ条の御誓文」を無視した

 岩倉具視、三條実美などの公家、

 木戸光允、伊藤博文、大久保利通など

 藩閥政治を維持したい勢力の政変による権力掌握は、

 さらに天皇を「皇帝」に改造したいがために、

 市民が政治に参加できる制度への移行は民権運動という

 反国威拡張勢力への反発を経て

 民選議会の創設でその初めとなった。

  ここに政治支配面における近代国家は始まったというべきだが、

 しかし、日本の市民国家はすでに17世紀に始まっていたのである。

 それに比べ21世紀の初頭においても

 中国・朝鮮は人民の国に留まり、

 未だ市民国家を成立させ得ないでいる。

  孫文が「三民主義」で説いた

 「中国人がいちばん崇拝するのは家族主義と宗族主義とである。

  それで中国には家族主義と宗族主義があるだけで、

  国家主義はありません」

 と言った状態は今も変わっていないのである。

 唯一台湾だけが「国家」を成立させた。

  台湾においては日本の統治時代における政治・教育などにより

 市民が育ってきていたからである。

  人民革命を繰返している限り市民国家は誕生し得ない。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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