2014年10月26日日曜日

文明の衝突②


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 ≪サミエル・ハンチントン「文明の衝突」の"日本文明"と"中国文明"≫
 
 ※出典:文明の衝突・サミエル・ハンチントン・集英社59~63頁

  さて、西欧文明にはヨーロッパや北アメリカのほかに

 オーストラリアやニュージランドなど

 ヨーロッパからの移住者からなる国が含まれる。

 しかし、西欧文明を構成する二大要素である

 ヨーロッパとアメリカの相互関係は、

 時代の流れとともに変化してきた。

 アメリカ人はその歴史の大半を通じて、

 自分達の社会をヨーロッパとは反対のものと定義してきた。

 アメリカの土地には自由と平等がと機会と未来があった。

 ヨーロッパは抑圧と階級闘争、階層、退化の象徴であった。

 アメリカの文明は独特だという議論さえあった。

 アメリカとヨーロッパを対極におく考え方が生まれたのは、

 少なくとも19世紀末以前のアメリカは

 非西欧文明との接触がごくかぎられていたためである。

 ところが合衆国が世界の舞台に立つようになると、

 ヨーロッパとのより幅広い一体感が新たに生まれた。
 
 19世紀には、アメリカはみずからをヨーロッパと異なり、

 対峙していると定義していたが、20世紀になると、

 アメリカはみずからをヨーロッパを含む
 
 西欧という広範なまとまりの一部であるとし、
 
 じつにそのリーダーとみずからを定義するようになった。

  「西洋」という言葉はいまや多用され、

 西側キリスト教圏と呼ばれてい世界をさすようになった。

 したがって、

 西洋文明は特定の民族や宗教あるいは地理的な場所の名前ではなく、

 羅針盤の方位で認識される唯一のぶんめいである。

 この認識のしかたによって、

 西洋文明はその歴史的、地理的、文化的な背後関係と

 切り離されている。

 歴史的に見れば、西洋文明はヨーロッパ文明である。

 近代では西洋文明と言えば欧米あるいは北大西洋文明である。

 ヨーロッパ、アメリカ、北大西洋は地図に存在するが、

 西洋という場所は見つからない。

 「西洋」という呼び方から「洋風化」という概念が生まれ、

 洋風化と近代化を混同させて誤解を招くようになった。

 日本が「洋風化」とするほうが「欧米化」するよりも想像しやすい。

 しかし、欧米文明は一般に西洋文明と呼ばれるので、

 重大な欠点はあるが、

 本書では西洋文明という言葉を使うことにする

 (訳注-日本では一般に西洋よりも西欧がよく使われており、

  この文明の起源をあらわすにも適切だと考えられるので、

  本書では西欧と統一した)。
 
 『アフリカ文明』(存在すると考えた場合)

  ブローデルを例外として、

 主要な文明研究者のほとんどは 

 明確なアフリカ文明というものを認めていない。

 アフリカ大陸の北部と

 その東岸はイスラム文明に属している。

 歴史的には、エチオピアが独自の文明を構成していた。

 それ以外の場所には、

 ヨーロッパの帝国主義と植民地政策によって、
 
 西欧文明の要素がもたらされた。

 南アフリカでは、オランダ人とフランス人、

 やがてイギリス人の入植者が

 非常に断片的なヨーロッパ文化をつくりだした。

 最も重要なのは、ヨーロッパの帝国主義が

 大陸のサハラ以南のほとんどの地域に

 キリスト教をもたらしたことである。

 アフリカ中で部族ごとの

 強烈なアイデンティティが幅を利かせているが、

 アフリカ人としてのアイデンティティも次第に発達しつつあり、

 おそらくは南アフリカを中核国家として

 サハラ以南のアフリカが固有の文明に

 まとまる可能性が考えられる。

  宗教は文明を規定する中心的な特徴でであり、

 クリストファー・ドーソンが言うように、

 「偉大な宗教は偉大な文明を支える基礎である」。

 ウェーバーの言う5つの「世界的な宗教」のうち、

 4つ―キリスト教、イスラム教、シンドゥー教、儒教―

 は主な文明と結びついている。

 5番目の仏教はそうではない。

 なぜだろうか?

 イスラム教やキリスト教と同じように、

 仏教は初期の段階で大きく2つに分かれた。

 そして、キリスト教と同じように、

 それは発祥の地では生き延びることができなかった。

 西暦1世紀に始まった大乗仏教は中国へ伝えられ、

 ついで朝鮮、ヴェトナム、日本へと伝えられた。

 これらの社会ではさまざまに適応し、

 その土地の文化(たとえば、中国では儒教や道教)に同化して、

 抑圧された。

 そのため、

 これらの社会は仏教を文化の重要な

 構成要素としているにもかかわらず、

 仏教文明に属さないし、

 みずからその一部だと認識しようとしない。

 しかし、小乗仏教文明と言っても間違いないものが

 スリランカ、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアには

 存在している。

 さらにチベットやモンゴル、ブータンの住民の歴史を見ると

 大乗仏教の一派であるラマ教を信じてきた。

 これらの社会は仏教文明の第二地域をなしている。

 だが全般的に、インドで仏教がほとんど滅びていることや、

 中国や日本では既存の文化に順応して

 組み込まれていることなどから、

 仏教は主要…以下略…

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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