2014年10月19日日曜日

五穀の起原・保食神の死


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 ≪古事記≫五穀の起原

 ※出典:≪古事記≫天照大神と須佐之男命5五穀の起原

 (原文)

 又食物乞大氣都比賣神 

 爾大氣都比賣 自鼻口及尻 種種味物取出而

 種種作具而進時 速須佐之男命立伺其態 

 爲穢汚而奉進 乃殺其大宜津比賣神 

 故所殺神於身生物者 於頭生蠶

 於二目生稻種 於二耳生粟

 於鼻生小豆 於陰生麥 

 於尻生大豆 

 故是神産巣日御祖命 令取茲 成種

 (読み下し文)

 又、食物(くらいもの)を大氣都比賣(おおげつひめ)の神に乞いき。

 爾くして大氣都比賣、鼻、口、と尻より

 種種(くさぐさ)の味物(うましもの)を取り出だして、

 種種に作り具えて進(たてまつ)る時に、

 速須佐之男の命、其の態(わざ)を立ち伺い、

 穢汚(けが)して奉進(たてまつ)ると爲(おも)いて

 乃ち其の大宜津比賣の神を殺しき。

 故、殺されし神の身に生りし物は、頭に蠶(こ)生(な)り、

 二つの目には稻種(いなだね)生り、二つの耳には粟(あわ)生り、

 鼻に小豆(あづき)生り、陰(ほと)に麥(むぎ)生り、

 尻に大豆(まめ)生りき。

 故、是に神産巣日御祖(かむむすひみおや)の命、

 茲(こ)の成れる種を取らしめき。

 
 ≪日本書紀≫保食神の死

 ※出典:【日本書紀 卷第一 第五段 一書第十一 原文】

 (原文)

 一書曰

 伊奘諾尊

 勅任三子曰

 天照大神者 可以御高天之原也 

 月夜見尊者 可以配日而知天事也

 素戔嗚尊者 可以御滄海之原也

 既而天照大神 在於天上曰

 聞葦原中國有保食神 宜爾月夜見尊 就候之 

 月夜見尊 受勅而降 已到于保食神許

 保食神 乃廻首嚮國 則自口出飯 

 又嚮海 則鰭廣鰭狹亦自口出 

 又嚮山 則毛麁毛柔亦自口出

 夫品物悉備 貯之百机而饗之 

 是時 月夜見尊 忿然作色曰

 穢哉 鄙矣 寧可以口吐之物 敢養我乎

 廼抜劒撃殺 然後 復命 具言其事 

 時天照大神 怒甚之曰

 汝是惡神 不須相見

 乃與月夜見尊 一日一夜 隔離而住

 是後 天照大神 復遣天熊人往看之 

 是時 保食神實已死矣

 唯有其神之頂 

 化爲牛馬 

 顱上生粟 

 眉上生 

 眼中生稗 

 腹中生稻 

 陰生麥及大小豆 

 天熊人悉取持去而奉進之

 于時 天照大神喜之曰

 是物者 則顯見蒼生 可食而活之也

 乃以粟稗麥豆 爲陸田種子 以稻爲水田種子

 又因定天邑君

 即以其稻種 始殖于天狹田長田

 其秋垂穎 八握莫莫然 甚快也

 又口裏含 便得抽絲

 自此始有養蠶之道焉

 保食神 

 此云宇氣母知能加微 

 顯見蒼生 

 此云宇都志枳阿烏比等久佐

 (読み下し文)

 一書に曰く、

 伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、

 三はしらの子(みこ)に勅任(ことよさ)して曰く、

 「天照大神(あまてらすおおみかみ)は、

  以ちて高天之原(たかあまのはら)を御(しら)すべし。

  月夜見尊(つくよみのみこと)は

  以ちて日に配(なら)べて天(あめ)の事を知らすべし。

  素戔嗚尊(すさのおのみこと)は

  以ちて滄海之原(あおあまのはら)を御すべし」。

 既にして天照大神、天(あめ)の上に在りて曰く、

 「葦原中國(あしはらのなかつくに)に

  保食神(うけもちのかみ)有りと聞く。

  爾(いまし)月夜見尊、就(ゆ)きて候(み)るべし」。

 月夜見尊、勅(みことのり)を受けて降り、

 已に保食神の許(もと)に到る。

 保食神、乃(すなわ)ち首(こうべ)を廻(めぐら)して

 國に嚮(むか)わば、則(すなわ)ち口より飯(いい)出(い)ず。

 又、海に嚮わば、則ち鰭廣(はたのひろもの)・鰭狹(はたのさもの)、

 亦、口より出ず。

 又、山に嚮わば、則ち毛麁(けのあらもの)・毛柔(けのにこもの)、

 亦、口より出ず。 夫(そ)の品物(くさぐさのもの)を悉く備えて、

 百机(もものつくえ)に貯えて饗(みあえ)す。

 是の時に、月夜見尊、忿然(いかり)て色を作(な)して曰く、

 「穢哉(きたなきかな)。鄙矣(いやしきかな)。

  寧(いずくに)ぞ口より吐(たぐ)れる物を以ちて、

  敢(あえ)て我を養うべきか」。

 廼(すなわ)ち劒(つるぎ)を抜きて撃ちて殺しき。 

 然(しか)して後に復命(かえりごともう)して、

 具(つぶさ)に其の事を言いき。 

 時に天照大神、甚(はなは)だ怒りて曰く、

 「汝は是(これ)惡しき神なり。相い見るまじ」。

 乃ち月夜見尊と一日(ひとひ)・一夜(ひとよ)を隔て離れて住みき。

 是の後に天照大神、復た天熊人(あめのくまひと)を

 遣(つかわ)して往きて看さしめき。

 是の時に、保食神、實(まこと)に已に死にき。

 唯、其の神の頂(こうべ)に 牛・馬化爲(な)り、

 顱(ひたい)の上に粟(あわ)生(お)い、

 眉の上に(かいこ)生い、

 眼の中に稗(ひえ)生い、

 腹の中に稻生い、

 陰(ほと)に麥及び大小豆(まめあずき)生いて有り。

 天熊人、悉く取り持ち去りて奉進(たてまつ)る。

 時に、天照大神、喜びて曰く、

 「是の物は、則ち顯見蒼生(うつしきあおひとくさ)の

  食(くら)いて活(い)くべき也」。

 乃ち粟・稗・麥・豆を以ちて陸田種子(はたけつもの)と爲し、

 稻を以ちて水田種子(たなつもの)と爲す。

 又、因りて天邑君(あまのむらきみ)を定めき。

 即ち其の稻種(いなだね)を以ちて、

 始めて天狹田・長田(あめのさた・おさだ)に殖えき。

 其の秋の垂穎(たりほ)、八握(やつか)に莫莫然(しな)いて、

 甚だ快(こころよ)し。

 又、口の裏に(かいこ)を含みて、

 便(すなわ)ち絲(いと)抽(ひ)くを得たり。

 此より始めて蠶(こ)を養(か)う道有り。

 『保食神』、

 此を宇(う)氣(け)母(も)知(ち)能(の)加(か)微(み)と云う。

 『顯見蒼生』、

 此を宇(う)都(つ)志(し)枳(き)阿(あ)烏(お)

 比(ひ)等(と)久(く)佐(さ)と云う。

 ≪参考≫

 (古代史獺祭 : こだいし だっさい)

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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