2014年10月22日水曜日

文明の衝突①


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 ≪サミエル・ハンチントン「文明の衝突」の"日本文明"と"中国文明"≫
 
 ※出典:文明の衝突・サミエル・ハンチントン・集英社59~63頁
 
 『中国文明』

 すべての学者が認めていることだが、

 さかのぼること少なくとも紀元前1500年に、

 そしておそらくはその1000年前から

 1つの明確な中国文明が存在していたか、

 あるいは2つの文明があって、

 西暦の最初の数世紀のあいだに

 片方がもう一方を継承したと考えられている。

 『フォーリン・アフェアーズ』誌の論文で、

 私はこの文明を儒教文明と名付けた。

 しかし、

 中華文明といういう言葉を使うほうがもっと正確ではある。

 儒教は中国文明の重要な要素ではあるが、

 中国文明の要素は儒教だけにとどまらないし、

 政治的なまとまりとしての中国を超越している。

 中華文明という言葉は大勢の学者によって使われてきたが、

 これは中国はもちろん、

 東南アジアなど中国以外の土地の中国人社会の共通文化、

 さらにはヴェトナムや朝鮮の関連する文化を適切に表現している。

 『日本文明』

 一部の学者は日本の文化と中国の文化を

 極東文明という見出しでひとくくりにしている。

 だが、ほとんどの学者はそうせずに、

 日本を固有の文明と認識し、

 中国文明から派生して西暦100年ないし400年の時期に

 あらわれたと見ている。

 『ヒンドゥー文明』

 インド亜大陸には少なくとも紀元前1500年ごろから

 1つまたはそれ以上の文明が存在したと広く認められている。

 それらは一般にインド文明もしくはヒンドゥー文明と言われ、

 最近の文明をさす場合にはヒンドゥーという言葉が使われている。

 紀元前2000年以降、

 ヒンドゥー教はいろいろなかたちで亜大陸の文化の中心だった。

 「宗教あるいは社会の制度にとどまらず、

  それはインド文明の核である」。

 ヒンドゥー教は近代以降もずっとその役割を担いつづけてきたが、

 インド自体には強固なイスラム社会や小さな文化的少数グループなどが

 いくつも根をおろしている。

 中華文明と同じように、

 ヒンドゥーという言葉も文明の名称を

 その中核国家の名称と切り離すことができ、

 この2つの例のようにその文明に属する文化が

 広がっている場合には適切である。

 『イスラム文明』

 主要な学者はみな固有のイスラム文明の存在を認めている。

 西暦7世紀にアラビア半島に端を発して、

 イスラム教は急速に北アフリカ、イベリア半島、

 さらには東の中央アジア、インド亜大陸、東南アジアへと広がっていった。

 その結果、イスラム文明のなかには、アラビア、トルコ、ペルシア、

 マレーなど数多くの異なる文化、すなわち下位文明が存在する。

 『西欧文明』

 西欧文明はふつう西暦700年ないし800にあらわれたとされる。

 一般に学者たちは、そこにヨーロッパ、北アメリカ、ラテンアメリカの

 3つの主要な構成要素があると見ている。

 『ロシア正教会文明』

 一部の学者は、ロシアを中心とし、

 ビザンティン文明を親とする正教会文明を

 西欧のキリスト教文明とは異なる別個の文明であると区別している。

 明らかに異なった宗教をもち、

 200年にわたるトルコの支配と官僚専制主義を特徴とするうえ、

 ルネサンス、宗教改革、啓蒙思想など西欧の根幹をなす

 歴史的経験からはごく限られた影響しか受けていないからである。

 『ラテンアメリカ文明』

 ラテンアメリカ文明は西欧文明とははっきり区別される

 独自性をもっている。

 ヨーロッパ文明から生まれたにもかかわらず、

 ラテンアメリカ文明はヨーロッパや北アメリカの文明とは

 異なる道をたどって発展した。

 この文明は協調組合主義的で権威主義的な文化を有するが、

 この特徴はヨーロッパ文明にはあまり見られないし、

 北米にいたってはまったく存在しない。

 ヨーロッパと北アメリカはともに宗教改革の影響を受けて、

 カトリックの文化とプロテスタントの文化を組み合わせてきた。

 今後変わっていく可能性もあるが、

 歴史的に見てラテンアメリカはカトリック一辺倒だった。

 ラテンアメリカ文明は土着の文化と混じりあっているが、

 ヨーロッパには土着文化というものが存在しなかったし、

 北アメリカでは土着文化は事実上抹殺されてしまった。

 ラテンアメリカの場合、

 一方のメキシコ、中央アメリカ、ペルー、ボリビアと、

 もう一方のアルゼンチン、チリでは土着文化の重要性が異なる。

 ラテンアメリカの政治的変化と経済の発展は

 北大西洋諸国に共通するパターンと大きく異なっている。

 主観的に見た場合、ラテンアメリカ人自身の自己認識はさまざまである。

 「そう、われわれは西欧の一部です」と言う人もいれば、

 「いや、われわれには独自の文化がある」と主張する人もいて、

 ラテンアメリカ人や北アメリカ人が著した膨大な文献には、

 彼我の文化のちがいがことこまかに記されている。

 ラテンアメリカ文明は西欧文明の下位文明とも考えられるし、

 あるいは西欧と密接にかかわる別個の文明だとも考えられ、

 西欧に属するかどうかが判断の分かれところである。

 一方でラテンアメリカとの関係、

 また一方で北アメリカやヨーロッパとの関係を含めて、

 文明のもつ国際政治上の意味あいに焦点をしぼった分析には、

 後者の考え方のほうが適切で便利である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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