2014年10月3日金曜日

日光泉太郎と東山道(11)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 <鉢伏山>

 出典:「小泉小太郎」:「日本の民話10.信濃・越中扁
     <「信濃の民話編集委員会編>昭和51年(1976年)未来社
     175~178頁
 
 小泉小太郎(東筑摩郡)

  むかし独鈷(とっこ)山というけわしい山に、

 若い坊さまのすむ寺があった。

  いつの頃からその坊さまのところへ美しい女が通ってくるようになった。

 いつも真夜中に訪ねてきて夜明けにどこかへいってしまう。

  不思議に思った坊さまは、ある夜、

 そっと女の着物に糸のついた縫針をさしておいた。

  夜があけてみると、糸は庭をぬけて山の沢を下り、

 産川(さんがわ)の上流にある鞍淵の大きな石のところまでつづいていた。

  ふと岩の上を見ると、

 生まれたばかりの赤児を背にのせた大蛇が苦しそうにのたうっている。

  大蛇は坊さまに気がつくと、

 「こんな姿を見られては生きていることはできない。
  
  針をさされたにで鉄の毒も体にまわった。

  どうかこの子をおたのみ申します。」

 といって赤児を岩の上におろし、

 ざざーっと水煙をあげて淵の中へ姿を消してしまった。

 坊さまはおそろしさにふるえあがり、赤児をそこにのこしたまま、

 あともみずににげかえってしまった。

  こうして岩の上には赤児一人がとりのこされた。

  しかし、赤児は少しも泣かず、岩の上にあおむけにころがされたまま、

 すやすやとねむり、おきれば指をしゃぶって三日たった。

  三日目の夕方からはげしい雨がふりだし、ごうごうと水かさをました。

  川の水は赤児のいる岩をひたし、赤児は水に流されて川を下っていった。

  次の日の夜あけ、

 小泉村というところで子どものない婆さまがこれを見つけた。

 「まあず、たまげたもんだ。このあか(赤ん坊)はよ、

  水の上をらくらく流れてきただに。

  こりゃ神さまのさずかりものかもしれね。」

  と、婆さまはよろこんでその赤児をひろいあげ

 小太郎と名をつけて育てることになった。

  飯を一杯くえば一杯だけ、二杯くえば二杯だけと、

 小太郎はどんどん大きくなったが、

 どうしたことかくっては眠り、くっては眠り、

 すこしも働こうとはしなかった。

  小太郎が十五になった時、婆さまは云った。

  「小太郎よ。われももう一人前になっただ。

   ちっとはばばの手伝いもしてくれや。」

  それを聞いた小太郎は婆さまに悪いと思って、

 のっこらのっこら小泉山へ薪取りにでかけていった。

  そして山にある萩という萩の木を根こそぎとりつくし、

 山のようになったのをたった二抱えの束にし夕方にはもどってきた。

  「婆さま。おら、山じゅうの萩とってきただに。

   この束は結びなわをとかんで、一本ずつぬいて焚いてくろや。」

  「ああよしよし。お前のいう通りにするんだに……・」

 と婆さまは答えてみたものの腹の中はおかしくてしょうがない。

  たった一日で山じゅうの萩がとれるもんか。

  こんな小さな束にまるかる(束ねられるものか)ものか。

  小太郎はすこし頭がたりねえでねえか……。

  と、こばかにして、小太郎のるすに結びなわをといてしまった。

  とたんに萩ははぜくり返って、婆さまは外へはじきだされてしまった。

  そこへ小太郎がかえってきた。
 
  小太郎は大声で笑い出し、婆さまをひょいと座り直させ

 自分は家にはいって家中にはぜくり返った萩の束を

 元通りにちいさく束ねた。

  ようよう息をついた婆さまは、腰をさすりさすり、

 小太郎を見上げていった。

  「小太郎よ。われはへえ、ただもんでねえだ。

   腹の横には蛇のこけらのようなあとがあるしょ。

   今思えば川さ流れてきた時から、へえ、

   ただのあかではなかっただに……・」

  「なんだね婆さま。その、川から流れてきた、っていうのは。」

  小太郎はに聞かれて婆さまは今迄のことをすっかり話した。

  わけをきいた小太郎はじっとしておれなくなった。

  そして婆さまに別れをつげて旅にでた。

  自分が流れてきたという産川をさかのぼり、

 どしどしあるいていくと鞍淵にでた。

  底しれぬ淵をのぞいていると青い水の中に声がした。

  「小太郎よ。西南の方へ高い山をふみこえていけ。

   そこに大きな湖があり犀龍(さいりゅう)という龍が住んでいる。

   それこそお前の母だ……。」

  それを聞くと小太郎は西南をさしてまたどしどしあるいていった。

  けわしい山ばかりで人間などいそうもなかったが、

 そんな山と山の間にも人は住んでいて

 小さな畠をたがやしたり木をきったりしていた。

  「お前はみかけねえお人だが、どこへいくだね……。」

 と、村人たちは小太郎にきいた。

  「山をこえて大きな湖へ……。」

 と、答えると、みんなはためいきをついた。

  「そうよな。あのひろい湖をみんな田んぼにしたらな……。 

   おらたちはどんなに助かるかもしれねのに……。」

  そんな話をきくと小太郎の胸はじいんとあつくなった。

  なにかいい事をして、

 貧しい村の衆によろこんでもらいたいと思った。

  「そうだ。湖にいっておっかさんにあったら、まずこの事を話してみる。」

  小太郎は心にきめて、またどしどし山を越えていった。

  ある日、高い峰をのぼりつめた時、

 眼の下にまんまんと水をたたえた大きな湖をみりことができた。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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