2014年7月31日木曜日

大量の日本語誕生時代


 浦和レッズレディース
 古代史ブログ講座

 《古代史ブログ講座》古代日本語の成立過程

  講師:歴史研究家「金原 政敏」
 
 ◎大量の日本語誕生時代

 <一大>は<壱岐>に対して国名として用いられた。

 在来説はこの<大>を<支>という字の間違いだと、

 いとも簡単に片づけてしまっているが、

 それは無知も甚だしいのである。

 中国音を借るまでもなく<キ>は沖縄音で<チ>である。」
 
 その<チ>は<津>を意味し、<都>を意味する。

 <大>の字は<チ>に対する<ティ>か、

 <都>に対する<タ>に当てられたもので決して誤りではないのである。

 なぜなら<伊都国>は厳格な稜威(いつ)の国であり、

 違反者と違反物を検察する関所でもあった。

 だからこそ先に通過した厳木(きゅうらぎ)が

 「厳城(いつき)」であり、また一大国がある。

 固定した無意味な国名ではなく

 <イツ>の国という機関の職名であったから時と共に位置を変え、

 方言差によって、魏人の耳には別の国名と聞こえたのである。

 この<伊都>、<一大>の語源もまたマレー語であり、

 それの語源であるインド諸語である。

 私たちが「行っておいで」という所を、

 鹿児島では「行たい来やい」という。

 この<イタイ>はマレー語の

 「行く。出発する。来る。着く」という語に一致する。

 行くと来るでは全く逆でおかしく思われるであろうが、

 これは出発点を強く意識して、

 行くということは結局無事に帰るということという、

 祈りと願望を伴なわないと口(くち)に出せない。

 という所からきている。

 これは日本語が多くの方言でも

 結局「行って」「おいで」型になっているのと、

 全く同じものなのである。

 その<イタイ>はサンスクリットでは<イター>となり

 「ここから」とやはり出発点を意味する。

 マレー語化しても日本語化しても常に出発点が強く意識されるのである。

 これはパーり語では<イト>になる。

 そして同じ語で<ソチ>は<平安>、<安泰>、<幸福>を意味する。

 日本語の<サチ>と非常に近いことはすぐおわかりになったと思うが、

 さらにこの語は<シバ>という語と全く同意なのである

 <イト>・<ソチ>というパーリ語で呼ばれ、

 これに対する当て字によって、

 後世人は意味のない漢字に意味を錯覚して、

 <葦津>、<足津>、<牛津>の同意化が起った。

 ということになる。

 一方魏人は、その発音の類似と、卑弥呼の宗教のイメージから、
 
 これを<一大率>と当て字して疑がうことをしなかった。

 ということになる。

 邪馬臺国時代は、

 まだまだ他にも多くの日本語を

 生み出した時代であったことがわかっている。

 それは多民族の混成が生み出した当然の帰結であったが、

 このことが日本人の思考と思想に与えた影響は大きなものがる。

 『言霊(ことだま)のさきはふ国』という表現や、

 カナ文字の考案もこれを意味しているのである。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

日本語~マレー語:分裂対立していた共通語


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 《古代史ブログ講座》古代日本語の成立過程

  講師:歴史研究家「金原 政敏」
 
 日本語~マレー語:分裂対立していた共通語

 <アイ>は『魏書倭人章』に「噫」とある。有る、在らぬは万葉に多出する。

 歩くは万葉。<以下、( )に万とする>)。

 粗(あら)(万)。

 荒海(万)。

 天津(記紀万)。

 あぐ(万)。

 麻(万)。

 振る(万)。

 力(記紀万)。

 つかむ(万)。

 攻む(紀)。

 せめく(字鏡、名義抄)。

 千鳥(万)。

 つつく(記紀)。

 つけ=調(つき)(記紀万)。

 近(記紀万)。

 ええっ(記)。

 えらく(万)。

 御主(紀)。

 からい(紀)。

 暗う(紀)。

 浜(記紀万)。

 払う(万)。

 鄙(ひな)(万)。

 行く(記紀万)。

 帰る(万)。

 イサチる(記紀)。

 良からぬ(万)。

 去る(万)。

 九十余語のうちの約三分の一、三十語ほどしか見当らない。

 もっと詳細に行なえば多少の増減はあるが、

 この大数が、それほど変るものではない。

 これは明らかに、万葉時代の日本語は、

 マレー語は含むが、そればかりでなく、

 他の要素が別に実在したことを物語っている。

 物事を深く考えない人は、ここでマレー語は借用語である。

 と結論を出してしまいたいところであろうが、

 果してそれでいいだろうか?

 まだまだ考えなければならないものが残っているはずである。

 まず、残りの三分二の共通語は、万葉以後に日本語に入ったことになる。

 ということは、漢字と同じように、

 マレー文字が大量に、日本へことばを運んできた、

 ということになるのだが、一体そんな事実があったのであろうか?

 私たちの知る限りでほ、日本にはマレー語の古文書など残っていない。

 マレー文字がどんなものであるかさえ知っている人はほとんどない。

 しかも、間違いなく、

 万葉時代以後に加わった大量のことばが実在する。

 この謎をとくためには、残りの三分の二の観察が必要である。

 各語の特徴といえば、方言型がみられたことであった。

 それを念のため、各語に附記して行こう。

 現在標準語化しているものは空白のままとするが、その語が、

 ある方言から出ていることが明らかな場合は、

 その方言名をいれて区別した方が手がかりが多くなる。

 また方言名は、できるだけ簡噸化して、

 全体が見やすいようにした方がいい。

 武=武家語。

 幼=幼児語。

 東=関東弁。

 西=関西弁。

 和=和製漢音語。

 南=南日本弁。

 沖=沖縄弁。

 ?注意を要するもの

 あれへ(武)。

 ばっちい(幼)。

 坊や(東)。

 番外(和)。べ

 ちゃつく(西)。

 ベラ(南)。

 バット(南)。

 ぶらり(南)。

 ぶるぶるがくがく。

 ぼろい(西)。

 不恰好西、和)。

 ちょびっと西)。

 辛か(南)。

 ちょろまかす(西)。

 ちょっと。

 好かん(南)。

 黙いやん(南)。

 談判(和)。…で。黙れ。

 ジンキ(<悋気>)(南)。

 どおぞ(南)。どお。

 ツラ(〈面>)(南)。

 ずるい(南)。

 いじった(西、南)。

 ウンチュ(<御主>)(沖)。

 雛=女性(?)。

 カタ(<抵当>)。

 カラ(<空>)(南)。

 我慢(和)。

 がみがみ(南)。

 カンカン(南)。

 がんたれ(南)。

 がしんたれ(西)。

 かろい籠(こ)(南)。

 苦労(和)。

 頑張る(南)。

 拳骨(和)。

 錐。

 飯場(西)。

 半端(西)。

 おはん(南)。

 はんつ(西)。 

 はつ(<鉢>)(南)。

 ひまつ(<始末>)(南)。

 鼻糞。

 行こまい(西)。

 いのう(<帰ろう>)(西)。

 十六夜(いさよい)。

 邪悪(和)。

 矢来。

 やる(南)。

 掠う(南)。

 去っ(南)。

 じやち(<だとサ>)(南)。

 ずばー(南)。

 ジェジェー(南)。

 辛れえ(東)。

 自若(和)。

 じろい(南)。

 じやが(武)。

 ちょいと(東)。

 ジュジョな(南)。

 一見して特徴的なのは、非常に<南日本語>が多いということである。

 これは、ごく大まかな分類で、正確には、

 他の表記のものも南日本語中に含まれているものが大半であるから、

 これは、

 南日本に、万葉人以外のマレー語人が存在した、と考えるほうが、

 仮空のマレー文字や、マレー文書、借用語の大群を考えるよりも、

 はるかに合理的である。

 私たちはもうすでに<倭国>と<日本国>が二つの別の国であり、

 唐書以後合併して一つの<日本国>として扱かわれるのを見た。

 この一方が<万葉国>であり、

 他方がこの<南日本方言国>であったと考えると、

 言語の合体も、別に不思議ではなく、むしろ当然のことであって、
 
 この事実に気づくのが遅すぎた、といわねばならないほどである。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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日本語~マレー語:共通単語の証言


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  講師:歴史研究家「金原 政敏」

 日本語~マレー語:共通単語の証言

 方言以外まったく説明を必要としない言葉が、ずらりとならんで、

 これまで日本独得のことばと思っていたものが、

 海の向うで現在も話されているという事実に、

 今更のように感銘があつたと思う。
 
 しかもこれはからまでの部分の中で、対応の状態が複雑なもの、

 方言化や変型のみられるものを除外した残りだけである。

 その総量がどれ位になるかは想像できると思う。

 次は、順番に拾っただけのこの材料を使って、

 これらの共通語がどういう特徴や傾向をもっているかを調べてみよう。

 これは量としては少いが無作為に集めたものだけに、

 充分全体の状態を代表していると考えられるからである。

 まず眼につくのは古い日本語の型をもっていることである。

 有らぬ、在らす、あれへ、あまつさえ、荒る、振りすつる。

 といった言葉は、

 一見しただけで古い時代のもので近世の交流によるものでない事がわかる。

 次に印象的なのは番外地などの<番外>という単語をはじめ、

 <不恰好>、<悋気>、<我慢>、<苦労>、<拳骨>といった

 日本製漢語のようなものが、

 ちゃんとあったことである。

 もちろん、

 マレー語圏には古来中国の人々が多数移住して重きをなしているから、

 中国語が沢山まじっている。

 しかしそれらは発音に特徴があるため、

 過去のマレー語学者もちゃんと見分けていて、

 出自が中国であることを、辞書などでも明記しているので、

 はっきり区別でき、

 それらは、他の語源のものと共に除いてあるのである。

 第三に特徴的なのは、鹿児島方言との近似性が特に高い、という点である。
 
 また、<ツ>を<チュ>と発音するのは沖縄弁で、

 さらにハッキリ河内や和歌山弁、

 いわゆる江戸っ子弁も見あたる。

 これらは、ざっと見て<黒潮域>の人々のもの、

 あるいは<隼人系>とでも分類すべき人々の居住地域、

 表日本語とのつながりを証明しつつある。

 第四にこれらの単語は、

 一つ一つが、さらに他の日本語の語源的役割を果していることがわかる。

 <有>と<在>の<アル>は、日本語ではさらに<所有>と<居住>の、

 ありとあらゆる語に関係しており「粗い」「荒い」も、

 <粗末>から<暴力>、<波乱>の意味に

 広い機能を発揮している。

 さらに新しい単語を一つ例にあげると、

 <カタング>=(背負籠、肩掛袋など)。

 という単語は、一方では鹿児島方言の担(かた)ぐと結びつき、

 それは肩(かた)という単語と結びつき、

 担ぐの語源が「肩上(かたあ)ぐ」であったことと、

 いま「担(かつ)ぐ」といっている標準語の方が、

 <カタグ>よりもさらに靴って方言化したものだ、

 ということなどがわかるのである。

 また<カタング>の語尾の<グ>と、

 さきに見た<ガリング>(からい寵)の<グ>とは

 共に<籠>を意味している。

 このことで<カゴ>という音は、<ング>と対応することがわかる。

 <カ>と<ン>は、助詞の「ガ」と「ヌ」であつて、

 ともに「の」にあたることばであったから、

 <ン>が<ガ>になりさらに<カ>になったものと、

 <グ>が<ゴ>になったものであることをつきとめられるのである。

 では<ヌ>と<ガ>、<グと<ゴはどこで交替したか。

 これはもうすでに沖縄語と鹿児島語との対比で

 幾度も幾度も見てきた所である。

 マレーの<ングが沖縄で<ヌグ>になり、さらに鹿児島で<ガゴ>になり、

 さらに<ガ>だけが清音化して<カゴ>になったのである。

 ところが、この籠は古く<コ>と発音されたことも多く記録に残っている。

 これは、<ガゴ>の<ガ>を助詞として取去ったものを、

 さらに清音化した人々がいたことを物語っている。

 それは一体だれであったか?

 これもまたよく御存知の<カコシマ>と発音する人々、

 鹿児島に建国したのち、

 朝鮮半島へ移住した天孫降臨神話の持ち主たちだったのである。

 《参考》



 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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マレー語と日本語-共通語の実在-


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 マレー語と日本語-共通語の実在-

  「地図:マレー語圏の拡がり」(加治木原図)

 地図を一見して戴いただけでマレー語圏の広大さがおわかり戴けると思う。

 これは最近の研究結果によるもので、

 これはさらに拡大されても、小さくなることはない。

 もっとも言語だけでなく、あらゆる分類というのは、

 僅かに標準が変っただけで、

 ガラリと揺れ動く不安定なものである。

 これが絶対に正しいといえる分類など、この地球上には一つもない。

 あくまで。

 大体の、おおよその、ほぼといった形容詞が必要なもので、

 必ず主観が混入している。

 ことに言語の分類は、境界のない地球上を、人為的に区切って、
 
 常に移りかわる人の流れと時の流れを止めて、

 仮の基準を作り出したものにすぎない。

 マレー語、ポリネシア語、インド語といっでも、

 その中には互いに同じ共通語をもっているのであることを、

 心にとめておいて戴きたい。

 このおおまかに拡げた網の中に入る単語約7万ほどの中から、

 古来のものと考えられるもの約1万6千を選び出し、

 これを日本語と比較してみた結果、

 日本語と直接間接に関連性をもっているものは半数以上の

 1万語をこえている。

 この共通語辞典は近刊の予定で整理を進めているから、

 詳細はそれに譲って、

 本書進行上必要なものだけを抜粋して御覧にいれ、

 さらに巻末の抄辞典で補なうことにしてある。

 この言語はその地域の広さから、すぐ察しがつくように、

 150から200種におよぶ方言含んでいる。

 しかし、

 いま読者が求めているものは分類でも、語学でも会話の習得でもなく、

 日鮮語との関連を手短かに検討するという一点だけであるから、

 間接的で面倒なものは一切抜きにして、

 一見してわかる形で、カタカナ表記にする。

 これは以後の各語に対しても同様で以後は一々ことわらないから

 御注意戴きたい。

 『日本マレー共通語の一例』

 「マレー語」=「日本語」の順 ()内はマレー語の意味

 アイ=あい(ハイ=そうです)。

 アラン=有らぬ(意味や値打のない)。

 アラス=在らす(居られる)。

 アレヘ=あれへ(位置、方向を変える)。

 アレク=歩く(往来する)。

 アッライ=粗い(大きい)。

 アルウン=荒海=鹿児島弁のアラウンに一番近い(怒涛)。

 アマツ=天津(最上。その上に)。

 アングット=あげた=嘔吐した(悪酔)。

 アングット=あがった=ぼんやりした(恍惚状態)。

 アル=荒る(騒乱)。

 アサ=麻(麻)。

 バチル(下痢)バチソ(悪臭)=ばっちい=汚い。

 バユィ=ぼ-や(赤ん坊)。

 バンガイ=番外(放棄)。

 べチャク=べちゃつく(泥だらけの)。

 ベラバット=ベラは「木竹片、枝」のバットは「木刀」の共に鹿児島弁(木刀)。

 ブラレイ、ブライ=ぶらりハ象の鼻)。

 ブルグガク=ぶるぶるがくがく(震えてがくがくする)。

 プロレー=ぼろい(儲け)。

 ブルスツル=振り捨つる(不和になる)。

 ボンコク=ぶかくこう(不恰好)。

 チュカル=ちから(カ)。

 チュカム=つかむ(つかむ、つまむ)。

 チュビト=つめった。ちょびっと(つまむ)。

 チュラカ=つらか<鹿児島弁>(辛い)。

 チェモク=せめぐ(争う)。

 チョーリン=チドリ(千鳥)。

 チョラン=チョロまかす(ごまかす)。

 チョテク=ちよっと(少し)。

 チュチョク=つつく(つつく)。

 チュケ=つけ(年貢、代金、税金)。
 
 ダイウスカン=だいすかん(嫌いと罵る)。

 ダマイ=ダマイやん<鹿児島弁で「黙れ」>(静かに)。

 ダゥムパン=談判(誇大にいう)。

 ヅカット=直か(近く)。

 ディ=……で(……で)。

 ディアム=ダマれ(黙れ)。

 ジンキス=ジンキ<鹿児島弁>(悋気・嫉妬)。

 ドオ=どおぞ(何卒)。

 ドオ?=どお?・(如何?)。

 ヅリャ=つら(面)。

 ヅルヤナ=ずるいやナ(ずるい。悪い)。

 エエッ=ええッ!(驚きの声)。

 エジット=(いじった)。

 エロク=えらく(大変、素敵)。

 ウンチェ=おぬし(御主)。

 ヒナ=お雛様(女性、娘)。

 ガダ=カタ(抵当)。

 ガラ=カラ<=ソラ=空>(空、空間)。

 ガマン=我慢(我慢できない)。

 ガムガム=がみがみ又はかんかん(怒る)。

 ガンタ=がんたれ<鹿児島弁>がしんたれ<河内弁>(駄目な)。

 ガラ=からい(塩からい)。

 ガリング=かり-こ<鹿児島弁>(背負い籠=担ぐ籠)。

 グラフ=くらう(暗う)。

 クロー=苦労(苦労、ため息をつく)。

 グムビラ=がんばれ(頑張れ、鼓舞する)。

 ゲンガム=拳骨(げんこつ)。

 ギレク=キリ(錐)。

 ハマギガス=ホラ貝<ギガスはラテン語で大きい=ホラ貝の学名>(浜の大貝)。

 ハラウ=払う(追い払う)。

 ハンバ=飯場(労働者)。

 ハムパス=半端もの(屑。かす)。

 ハン=おはん<鹿児島弁>(あなた)。

 ハンツ=はんつ<大阪弁>(できそこない)。

 ヒマツ=しまつ(節約)。

 ヘングス=鼻糞(鼻糞)。

 ヒナ=ひな(鄙、卑賎)。

 イコー=行こう(行こう)。

 イコマイ=行こまい<和歌山弁>(行こう)。

 イクッ=行くっ(ついて行く)。

 イノー=いのう<関西弁>(帰ろう)。

 ケーレ=け-れ<関東その他>(帰れ)。

 イサク=いさちる<日本古語、3~10世紀>(泣く)。

 イサ=いさよい(夕方)。

 ジャガラン=よからぬ(不良)。

 ジャライ=矢来(竹垣の一種、竹やらい)。

 ジャハッ=邪悪(邪悪)。

 ジャレ=やる(有能な)。

 ジャラフ=さらう(掠う)。

 ジャッ=去ッ<鹿児島弁>(去る)。

 ジャチ=じゃち<鹿児島弁>(本当だそうだ)。

 ズバー=ずばー<鹿児島弁>(沢山)。

 ジェジェー=じ上じエに(徐々に)。

 ジェロー=じろっと(にらむ。鋭く見る)。

 ジュレー=つれ-<関東弁>(辛い)。

 ジジャク=自若(態度が不変)。

 ジュガ=じやが(だが)。

 ジュジョー=じゅじょ<鹿児島弁>(かなり、相当長く、手軽でない)。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年7月29日火曜日

ギリシャ語・ヘブライ語・サンスクリット語・パーリ語


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  講師:歴史研究家「金原 政敏」

 ギリシャ語・ヘブライ語・サンスクリット語・パーリ語

 -仏教語・梵語-

 「パーリ語とは」      

  ※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    「パーリ語

  ウィキペディア百科事典によれば

 「パーリ語 (paali) (पाऴि)は多量の文献を持つ

  南伝仏教経典で主に使用される言語。

  バーリ語とも。中期インドにおけるアーリヤ系言語、

  プラークリットを代表する言語。

  使用歴は長く、

  パーリ語で書かれた偈の歴史は紀元前3世紀ころまで遡る。

  さらに、パーリ語で書かれた、経典の散文やその注釈は、

  5-6世紀以後にまで及び、

  その後も今日までスリランカ(セイロン島)を中心として、

  パーリ語を使用した新しい文献がある。

  パーリ語は上座部仏教経典のための文語であり、

  元来どの地方の方言であったかは不明確である。

  古い伝説ではマガダ語からの派生であると言われるが、

  アショーカ王碑文との比較から西インド起源とする説が有力である。

  最古の仏教文献は、釈迦の故郷であるマガダ地方の東部方言から

  パーリ語へ翻訳されたと推定されている。

  このために、

  パーリ語はアショーカ王碑文のうち西部のギルナールの言語に最も近いが、

  その中にマガダ語的な要素が指摘されている。」

 と書かれている。

 ※出典:加治木義博:言語復原史学会:大学院講義録7:3頁

 「まんどぅーかのパーリ語ページ
     
 仏教を世界に広めた

 アソカ王(古代インド・マガダ国王)の王子マヒンダが

 紀元前243年スリランカに派遣されて、

 スリランカ王デーバナンビヤティツサを信者にし国民に広めた

 上座部仏教の経典に使われていた用語を、

 聖典という意味でパーリと呼んだ言語のことです。

 アソカ王たちはインド~アーリヤ系のシンハラ人で、

 その言語はシンハリ語だったから、

 パーリ語は釋迦が話した言葉を記録したもので、

 Sakya サキャ(塞・スキュタイ)語がインド語化した言語です。

 今のシンハリ(スリランカ)語でもタミル語でもない。

 パーリというのは国や地域や民族の名前ではなく、

 「聖典」という意味です。

 もっとも、「パーリ」の本来の意味は「聖典」ではなく、

 「外耳、線、列」などの意味であり、

 後に仏教聖典のことをそういうようになったということのようです。

 ともあれこの言語は、

 スリランカ、ビルマ(ミャンマー)、タイ、ラオスなどに伝わった

 南伝仏教の聖典に用いられている言語です。

 インドの言語というとサンスクリット(梵語)が有名ですが、

 サンスクリットがその「完成された、洗練された」という名のとおり、

 人工的に磨きのかけられた文語であるのに対して、

 より俗語、日常語に近い言語のことをプラークリットと呼びます。

 プラークリットの中にも数々の言語がありますが、

 原始仏教の膨大な聖典に用いられたパーリ語こそが、

 文献の多さでは他のプラークリット諸語を圧倒しています。

 従来は釈尊(ゴータマ・ブッダ)が説法した言葉こそ

 このパーリ語であると考えられていたこともありますが、

 実際には西方インドで話されていた言語のようです。

 とはいえ、

 釈尊のいたマガダ国の言語の特徴もいろいろ含んでいるなど、

 さまざまな要素が混入した言語です

 (そのせいか、語形変化表が非常にごちゃごちゃしています)。

 サンスクリットに比べて俗語に近いとはいえ、

 やはり古典語、現在では死んだ言葉ですが、

 南伝仏教諸国では非常に重要視されており、

 僧侶を中心に学ぶ人も多く、

 これらの諸国の僧侶が

 お互いに意思の疎通をするのに使われたりもします。

 豊富な造語力を利用して近現代の語彙も作られており 

 (飛行機=a-ka-saya-na、汽車=ayoya-naなど)、

 その意味ではまるきり死語ともいえない。

 『参考ブログ』

 「パーリ語学習書・辞書

 「パーリ語入門


 ○日本語の中に千語以上のパーリ語がある

  標準語のウオ(魚)という発音は鹿児島生まれだと説明したが、

  その鹿児島には<魚>を<イオ>と発音する人々がいる。

  また沖縄では<イユ>と発音する。

  これまでは、

  これは単に<ウォ>という本州語発音が訛った方言だと思われていたが、

  事実はそんなに単純ではなかったのである。

  沖縄県の最も西の端は<与那国島>である。

  この島の「ヨナ」という変わった名前は、

  卑弥呼政権の祭政一致の国家宗教、

  当時の帯方郡使が「鬼道」と呼んだ仏教の用語パーリ語で

  ギリシャを意味する名詞「ヨナ」だったことがわかっている。

  この<ヨナ>は、

  古代ギリシャの一地方だった「イオニヤ」の訛ったもので、

  <イオニヤ>の語源は

  「イオン」すなわち「行く・遠征する」という言葉だから、

  「イオニヤ」とは「遠征によって取った地方」

  または「遠征隊の国」を意味していた。

  <与那国>という名も、

  この「遠征隊の国」というギリシャ語が

  「イオニヤ」と発音されていたものを、

  沖縄へ<仏教>を広めにやってきた

  <アシャカ仏教宣布団>の宣教師たちが、

  パーリ語訛りで<ヨナ国>と呼んだので、

  <与那国>という当て字が現在まで残ったのだとわかっている。

  こうした事実はすでに市販されている

  私(加治木義博)の著書に詳しく解説済みなので、

  もっと許しく知りたい方はそれらをお読み戴きたい。

  この<ヨナ>は、沖縄語では「ユナ」と発音される。

  これは東南アジアでも同じ地域が多いから、

  マレー語圏やミャンマーではギリシャ人を

  「ユナン」とか「ユナニー」と呼んでいる。

  これに中国人が当て字したものが

  「雲南=ユンナン」という省の名として残っているので、

  <与那国>の名は何も特別なものではないことがわかるのである。

  それ以上に重要なのは、<与那国>の本来の国名が、

  「イオン=行く」だったことである。

  この<イク>という発音と、この島の王の名の発音が一致すれば、

  それは「名乗り」だとわかる。

  それが実在している。

  卑弥呼政権を倒した<狗奴国男王>は、

  <山上王・位宮>という名乗りを持っているが、

  この<位宮>は「イク」とも読めるので、

  「イク」という発音につけた当て字とみても不合理ではない。

  彼は、卑弥呼の跡をついで女王になった

  <壹與>を<与那原>で即位させている。

  彼が<与那国王>だったのなら、それはごく当然のことだったとわかる。

  「与那原=イオニヤの都」だからだ。

  これで当時の沖縄地方には沖縄語のほかにギリシャ語と日本語、

  パーリ語などがあったことがわかる。

  この内パーリ語は今の日本語と比較しても、

  共通語が軽く1300語以上もあるから、

  日本語の中核になった言語だとわかる。

 ○パーリ語~日本語(共通語抄辞典)

 スラウエシ(セレべス)の部族名

 トリトリ 鳥取 (北部半島)  シギ   信貴 (北部半島)

 トバダ  戸畑 (中部西)   シドンド 志度人(北部半島)

 パリギ  梁木 (トミニ湾)  トロ   登呂 (中部北西)

 カラエ  唐江 (ポソ湖)   モリ   森  (中部)

 トカラエ 宝井 (ポソ湖)   ドンド  焚火 (北部半島)

 セコ   迫  (ポソ湖)   ミナハサ 三縄 (北部東北)

 トシギ  栃木 (北部半島)  ワナ   倭奴 (北部西)

 (メナド語)歯 ヌイシ(歯叱今と尼叱今と爾支)。

 パーリ語~日本語(共通語抄辞典)

 アーガーリヤ    在家の(江戸時代は牢をアガリヤと呼んだ)。

 アーツラ      苦痛。病気。(ああ辛ら)。

 アカ        真実の(アカい心。赤心。は真実の心)。

 アケラ       赤裸。

 アサマ       岩石。(浅間山は溶岩の山)。

 アサマ       浅ましい。変った。(浅ましい姿は変った姿)。

 アチツカマティ   厚かましい。行きすぎた行為。

 アヂナバ      危ない。(薩摩弁アッナカ)。

 アッガッチャツティ あがっちゃって。

 アッタ       在った。

 アッダー      確かに。(薩摩弁アッデー)。

 アッタン      私。あたい。

 アバチンナ     大層。無茶苦茶に。(薩摩弁アバテンネ)。

 バナチ       話し。

 バンゾ       坊主頭。禿頭。

 バリカ       ばりき。強い力。

 バリサ       釣針。

 ビンズ       水。水滴。(沖縄弁ビー。)一(ビー玉)。

 ビラ        片。(花びら。ひとひらこひら、など)。

 ブヒル       震える。恐怖。(ブルブル)。

 ブフクティ     ふくれて。(ふくれっ面)。 

 ブフハタ      殺す者。(武夫。果たす,殺すこと)。

 ブブラ       水泡。(関西弁で水はブブ)。

 ブヘカ       蛙。(薩摩弁ビッキョ)。

 ブホーガ      奉賀。受財。     

 チャッタ      捨てちゃった。(幼児語チャイ)。

 チエカ       知恵者。      

 チェッダナ     切断。    

 チェッパ      しっぽ,尻尾。    

 チンダチ      切断。     

 チャーピー     子供。仔獣。(おチャッピー)。   

 チャーヤー     日蔭。休憩所。

 ダーラ       水流。(ダラダラ流れる。

               垂れる。薩摩弁水流。ヅル)。      

 ダイ        大嫌い。               

 ダマチ       吹く。(ホラを吹く、は、だます)。

           (薩摩では利口者を「生(い)ッダマッ」という)。

 ディ        2。二。(二郎のジ)。

 ディッチ      実地。見る。観察。

 ディンディム    デンデン太鼓。          

 ヅーラッカ     づらかる。逃げる。退ぞく。           

 ゾッカハ      ヅキヅキ痛む。苦痛。

 デワ        天王。天。神。

 デワクラ      天神の福。(古語でホコラをホクラ)。

 デワサダ      運命。神のさだめ。天声。

 ドサ        どさくさ。事故。

 ドパーラ      扉。

 エコジ       頑固。(関西弁エコジ)。

 エクス       致す。考える。

 エッタ       あった。此処に。

 エラカ       走る。(疲れて苦しいを薩摩弁エラカ)。

 ガタ        集団(敵ガタ,身カタは集団をさす)。

 ガチタ       合致した。結合した。(がっちりと)。

 ガナ        金鎚。

 ガンタ       鐘。

 ガラヤ       叱られる。(薩摩弁ガラユ)。

  グハーサ      牧草。(食はす、草)。

  グハナ       鼻。

  グーサ       糞。(くさい)。

  グハチ       鉢。

  ゴーシタ      申した。号令した。宣言した。

  ゴ         牛。

 ゴクラ       牛舎。(舎はクラー庫)。

 ゴッチャカ     群。種類。(ごちゃごちゃ。ごっちゃ)。

 ハー        あー。(感動詞。民謡のうたい出しのハー)。

 ハース       速い。(速さ。速し。馳す。走る)。

 ハシタ       笑う。戯れる。(はした無い)。

 ハタ        除く。(ハタく。塵ハタキ)。

 ハタツタ      果てた。殺された。

 ハラーハラ     騒動。猛毒。(ハラハラするもの)。

 ハラチ       払う。除く。

 ハリ        魅力。(ハリのある声、など)。

 ヒナ        鄙。ひな。(卑しい)。

 ヒマバソト     ヒマラヤ(氷はと。国はマ。)。

 ヒラ        片、杖。(ビラは同じ)。

 フフソカ      軽蔑家。傲慢もの。

 ヘ?        へえ?

 ヘッター      下。

 ヘマバタ      ヒマラヤの(バタは端。川端は川のそば)。

 イサカム      いささかも。僅か。少し。

 イチー       患らい。悩み。(痛むもの)。

 イッサツタ     射手。弓士。(薩摩」弁イッサビトは戦人)。戦士。

 イッチカー     女性(イチコは女巫)。

 イッチャチ     いちゃつく。欲求する。

 ジイヤ       老年。

 ジャマタル     婿。(薩摩弁の邪魔太郎。中国でも贅という)。

 ジャミ       屑。くず。安物。

 カーカ       烏。カラス。

 カージタ      噛じった。

 カーマム      構わん。

 カーメチ      欲。(ガメツイ)。

 カーラ       黒。打穀。(カラサオは打穀竿)。

 カター       語る。物語。

 カタッタ      作りごと。(かたり、嘘は作りごと)。

 カッダチ      描き出す。

 カッパカ      床屋。(おカッパは髪を切りそろえる)。

 カツラ       からい。辛い。

 カティナ      堅い。(薩摩弁カテ)。

 カナカ       黄金。(金の中の金)。

 カンカナ      環金。腕輪など。

 カンダチ      悲し。泣く。

 カンナ       娘。少女(奄美以南、カナ)。

 カパーラ      甲羅。頭(かぶり)。鉢。

 カパーラカ     かわらけ。小鉢。

 カパナ       可哀そうな。

 カポーラ      顔。頻。(かぶり)。

 カムミカ      神巫。管理者。

 カヤ        買う。

 カラカ       水瓶。(酒のカン瓶を薩摩ではカラカラ)

 キッカ       きつい。(薩摩弁キツカ)。難かしい。

 キッタ       縁を切った。捨てた。

 キッチー      成功。名誉。吉。

 キラヤータ     嫌った。(関西弁嫌いやった)。不気嫌。

 クサ        草。

 クハーダカ     食った者。

 クハニツチ     鍬。クワ。

 クハマー      我慢。

 クハリガタ     こり固まる。堅くなる。

 クムパ       水汲みガメ。(汲む瓶)。

 クラーバ      倉庫。

 クルーダ      怒った。(サツマ弁クロ-タ)。狂うた。

 ケサ        毛髪。

 ケッタ       田。(古語,食物はケ。食津田)。

 コマーラ      小供等。(関西弁コマイコラ)。小さい。

 マーラ       丸星根。円い部屋。天幕。

 マチカタ      町方。平らにならした土地。

 マヅラター     めづらか。甘美な。

 マド        惑う。酔迷。

 マッカ       嘘。偽書。(マツカな嘘)。

 マッカチャ     猿の。(尻は真っ赤)。

 マッガナー     求める。まかなう。(古語マグは求める)。

 マッサカ      真っ尖。頂上。

 マッジタ      混ぜた。(薩摩弁マジタ)。混じった。

 マッチ       母。雌魚。

           (アイヌ語マチは女性。薩摩弁で雌はメッッ)。

 マッチカ      真土の。土製の。

 マッヤーラ     猫。(沖縄弁マヤー)。

 マナバ       学生。(まなぶ者)。

 マニ(マニカ)   餃子。サイコロ。(古語マニは占い。→マニカ)。

 マル        風の神。(だから船に丸の名をつける)。

 ミタ        量を見た。(見た。と満たす)。計量。

 ムカ        向。前面。門。

 ムッタ       剥いた。(薩摩弁ムッタ)。

 ムッダ       無駄な考え。迷愚。

 ムディク      目出度。喜び。

 モックハチカ    逆立ち。逆転。(杢八貝は道になった貝)。

 ナ         ない。(薩摩弁ナカ。ネ。)

 ナーマ       名前。

 ナッシ       なし。無。

 ニガーチ      逃がす。敗走する。

 ニッダイタル    寝ぼ助。(薩摩弁ネッタイ太郎)。

 ニッチャ      日常。

 ニッッブハチ    唾吐き。

 ニッパカチ     煮沸。(薩摩弁ニッバカシ)。

 ニミラチ      眼がくっつく。(眠いらしい,沖縄弁型)。

 ニラヤ       地獄。根の国(沖縄弁ニラヤ)。

 オイタ       置いた。

 オコチマカ     醜い。(オカチメンコ)。小さい。

           (関西弁チンマイ)。

 オサーナ      納める。終結させる。

 オサタ       御座った。到着した。

 オサンヘチ     お散髪。髭をすく。

 オサヅイカ     按摩。マッサージ師(サツマ弁オサブイ)+(家)。

 オッカヤチ     置く。

 オッカラ      負う。(薩摩弁カラウ)。

 オッキッタ     落ちた。

 オッサッタ     失った。(薩摩弁ウッサッタ)。捨てた。

 オッツバチ     唾を吐く。

 オハラチ      お払い。取除く。

 オブウタ      負ぶった。

 オプフタ      覆った。覆蓋。

 オラサ       私の。(関東方言オラサ)。

 オリガラ      汚物。どぶ。おり。

 オワリヤーナ    終らせる。禁止する。

 パーチー      鉢。

 パタ        布。(古語ハタ津物)。

 パターカ      旗。

 バタラチ      渡らす。(古語・温水はワタ)。(ハタラキ)。

 パヅマ       蓮。

 ピロチカ      布。(風呂敷)。

 プタ        容器。袋。蓋。(容器の別名・風袋。フータイ)。

 プツ        別。

 プラーナ      古代の。昔の。古伝。

 プレ        古。過去。前。(フルとプレとは同源)。

 ラチ        楽。

 ラッタ       国。都。(羅都)。

 ルーパ       色。(沖縄弁ルー)。

 ロガ        病気。(労咳)。

 サーサティ     させる。やらせる。

 サーベティ     しゃべる。告げる。

 サシーサカ     逆さま。

 サッタ       去った。捨て去った。

 サッバ       一切の。(サバける。サバサバした。サッパリする)。

 サラーバ      台皿。皿鉢。

 サリタ       去った。行った。(薩摩弁サリタは歩いた)。

 シーマー      境域。なわばり。しま。

 シッカティ     しっかり。学ぶ。訓練をうける。

 シッキタ      しきたり。学んだもの。

           (薩摩弁シッキクは、してきた)。

 シラー       岩石。(磐余。石礼とシラの国)。

 スーピ       汁。(薩摩弁、スヒ)。

 スーラー      串。激痛。(貫ぬくもの)。

 スオラッサ     柔和な。(しおらしい)。

 スカリカ      享楽生活。(スッカラカンになる)。

 スシ        清い。清涼。(古語スシ)。

 スッダ       清透。(スンダ)。

 スバ        清らか。美しい。幸福な。(素晴らしい)。

 タータ       父。(トト。テテ。皇室用語ター)。

 タカ        竹。(固い皮層を特にタカと呼ぶ)。

 タクカ       大工。木匠。タクミ。

 タコ        皮膚。(固くなったものタコ)。

 タチ        立。

 タッカラ      玉。球状のもの。

 タッガ       確か。

 タラ        平。平地。掌(手のひら)。

 タラカ       平らな。

 チツタチ      突っ立つ。(薩摩弁チッタチ)。

 チナ        草。(草の輪をチナワ。茅輪という)。

 チリヤー      つる草。蔓性植物。

 ツッタ       突き棒。(薩摩弁ツッタクッは棒で突きまくる)。

 ツンガナーシカ   高い鼻をもった。(ツンとした鼻)。(天狗)。

 ツムバ       壷。

 テナ        泥棒。(手が長いはこの手長)。

 ウッカー      炬火。(<ウ>が大を意味する)。

 ウックッチ     大口あけて。叫ぶ(<ウ>が大を意味する)。

 ウッガーチ     打勝。征服。

 ウッターチ     立ち上る。起つ。(薩摩弁ウッタッ)。

 ウッチェダ     捨てておいた。(薩摩弁ウッチェタ)。うっちゃった。

 ウッチンダチ    死滅した。(薩摩弁ウッチンダチ)。

 ウッパージン    始める。(薩摩弁ウッパジム)。

 ウトラーシン    恐ろしい。(沖縄弁ウトゥルーシャヌ)。

 ウーミ       波。

 ウーナカ      少ない。(九州の一部ウーナカ)。

 ウーハサナ     嘲笑。(噂は一種の嘲笑)。

 ウーハナチ     放つ。放出する。切放す。(薩摩弁ウッパナツ)。

 ウンナ       軽蔑した二人称。うぬら。(薩摩弁ウンナ)。

 パッチャ      糞。(バッチィ。幼児語)。

 ビサダ       見定める。はっきり。(ビ→ミ)。

 ビスーカ      見世物。(薩摩弁ミスーカは見せようか)。 

           (ビ→ミ)。

 ビチ        道。(ビ→ミ)。

 ビッバー      未亡人。(ビ→ミ)。

 ビディタ      見出した。(薩摩弁ミデタ)。(ビ→ミ)。

 ビッコピタ     激しく動揺する。

 ビャーヂ      病気。

 ビャッガ      虎。(白虎は当て字)。

 ベッタ       打った。

 ボッサ       無気力。無精な。

 ヤッカ       厄神。夜叉。

 ヤッタ       やった。努力した。

 ユッタ       結った。結んだ。

 ユッジャ      戦争。(薩摩弁ユッサ)。

 ヨッガ       適当。努力。(薩摩弁ヨカ)。

 ヨージャナ     用尺。(インド古尺。由旬)。

 ヨッタ       捻じた。稔った。縄。網。


 ○「パーリ語は、いつ、はいってきたか?」

  パーリ語はB.C.E.6世紀から11世紀までインドで広く使われた。

  パーリとは聖典を意味し、

  セイロンに始まってビルマ、タイ、カンボジア等に広まった

  南方仏教の用語である。

  日本にはいっている中国経由の仏教とは別のものとされて来た。

  とすれば、この沢山の、

  しかも仏教語でなく日常語としてのパーリ語は、

  一体、いつ日本語の中にはいったのであろうか?

 ○パーリ語人ソナカらが残した現存する遺物

  丹波がパーリ語の地名から生まれた地名だとすると、

  他にも同じようなものがなくてはならない。

  それを宣布団のリストから拾い出してみよう。

  スバンナ=周防の国(スバゥンナ)・諏訪の国。

  ヨナカ=与那国。

  ヤナカ=柳河・谷中。

  マハーラッタ=真原田。

  アパランタカ=芦原(あはら温泉)。

  マヒサカ=舞阪(静岡県浜名郡)。

  カスミーラ=香住国(カスミーラ)(兵庫県城崎郡香住町)、霞ヶ浦。

  ガンダーラ=カンダハル=神田・上田原。

  パーリ語の発音だと、日印の地名がどれだけ近いか、

  パーリ語を話す人たちが渡来した事実がこれでよくおわかり戴けたと思う。

  その渡来者を『古事記』も記録している。

  崇神天皇の名乗りは 御真木 入日子 印恵 命 だ。

  「御=オ=ウ」「真=シン」「木=キ=王」で、「ウシンキ=牛の王」。

  朝鮮語では牛は「ソ」だから、

  「ソナカ=ソの人」は「牛の人」だと誤解される。

  これがソナカシチがウシキアリシチという

  別名をもっている理由だとわかるが、

  この名は一層よく御真木(ウシキ)入彦に合う。

  インドは発音者の言語差によって、

  sind シンド、Hind ヒンド、Ind インド と変化するが、

  日本語も発音差で

  「入り=ハイリ→アイリ→アリ」

  「ヒコ→日木=ヒキ→シチ(大隈語)」と変化する。

  ソナカと御真木は同一人物の名乗りだったのだが、

  『古事記』編集者が正しく理解できずに、

  まるで別人に見えるように歴史を「創作」してしまったのである。

 ○日本語の中に大量に発見される古代インド・パーリ語の痕跡

  「アショカ仏教が日本に来た」という何か証拠があるだろうか。

  私は第二次大戦末期には鹿児島県北部の栗野国民学校の教師をしていた。

  当時、考古学の大家として全国的に知られていた

  寺師見国(てらすみくに)医師が隣接した大口市におられたので、

  お訪ねしたついでにこの話もした。

  すると「ここには曲田(マガタ)という姓がありますが、

  それは関係ありませんかネ……」というヒントをいただいた。

  なぜそれがヒントになったかというと、

  アショカ王は「マガダ(Magada)国王」だったからである。

  ご存じのように「田」は「ダ」と発音する。

  このマガタは「マガダ」さんだった可能性が非常に高い。

  しかしこれ一つでは「他人のそら似」で証拠にはならないから、

  そんな国名や地名に共通するものがほかにないか、さがし始めた。

  最初にお話した鹿児島語とインド語の共通性はこうしたことから

  研究しはじめた結果だったのである。

  ところがインド、

  ことに古代にシヤカ(釋迦)が使った言葉であったパーリ語が、

  日本語に大量に入っていることが分かった。

  (詳しいことは私(加治木義博)の

  『邪馬臺国の言葉』コスモ出版刊=1976年の付録参照)。

  そのパリー語ではギリシャ人のことを「ヨナ」と呼んでいる。

  まずその「ヨナ」から見ていこう。

  これは日本の南西諸島の中でも、

  いちばん南西にある島である「与那国島」の「ヨナ」と同じである。

  この島に限ってわざわざ「ヨナ国」と国の字がつけてある。

  これは周辺の島々の住民とは違った人間が、

  独立国として存在した名残りである。

  ではなぜ、パーリ語はギリシャと呼ばずに「ヨナ」と呼んだのだろうか?

  ギリシャは古来、大きくなったり小さくなったりしている。

  ご存じのとおりアレッサンドロス

  (英語なまり=アレキサンダーの時代には、

  それはエジプトからインドにまで拡大した。

  しかしアレッサンドロス自身が、それまでのギリシャ人からみれば、

  東のほうから流れてきた「マケドニア=マケド国」国民で、

  それが父王ピリッペ(英語なまり=フィリップ)の時代に、

  隣接したギリシャを「勢力下におさめた」ということだったのである。

  マケドニアは今はユーゴの中に入っているが、

  当時は今のシリア一帯の「イオニア」もその勢力下にあり、

  それらをひっくるめて、ギリシャと呼んでいたのである。

  「ヨナ」というのは、

  このイオニアをパーリ語流に、短く縮めた発音なのだ。

  「ソナカ~パーリ語~ヨナ国」と見てくると、

  私たち日本人の血には、どうやらこれまで余り縁のなさそうだった

  「遠い国」からやってきた血が流れている、

  と思わないわけにはいかなくなってくる。

  それは日本のいちばん南西のはし、

  そしてヨーロビアンの容貌をもった人たちがたくさんいる

  鹿児島~沖縄地方なのだ……。


 ○仏教宣布団より前に来たイオニヤ人

  イオニヤ人の移住が

  アショカ仏教宣布団の渡来とは別だという証拠はまだほかにもある。

  それは仏教宣布団の言語であったパーリ語では、

  イオニヤを「ヨーナ」と発音して決して

  イオニヤとは発音しないという動かない重要な条件があるからである。

  このヨーナという発音からは、

  どんなにしても魚類を「イオ」と呼ぶ発音は生まれない。

  またヨーナの名は全く別の名詞として現在まで残っている。

  それは「与那国島」という島の名や

  「与那原・与那嶺・与那覇」という地名や姓として

  沖縄県に現存している。

  仮にイオニヤ人がバーリ語を話す仏教宣布団の一員として

  やってきたのなら、

  それは先にみた生物名の命名原則に従って魚類を

  「ヨーナ」と呼ばねばならないの「イオ」と呼んできた。

  これはイオニヤ人が別に渡来して、

  すでに新たな日本語を作りつつあった後に仏教宣布団が到着して、

  イオニヤ人の住む島を「ヨーナ国」と呼んだという以外に説明がつかない。

  では彼等はいつ、どんなコースでやってきたのか…。

  古くB.C.E.3世紀の秦の始皇帝の時代に、

  すでに台湾は

  「蓬莱=ホーライ=ギリシャの季節の妖精の名」と呼ばれていた。

  またギリシャ神話には金毛の羊皮を求めて、

  ラコーン(タイから中国南部の古名)や

  マラヤの岬(マライ半島)という地名のある沿岸を東に遠征した

 「アルゴ船」の有名な記録がある。


 ○古典ヘブライ語

  古代のヘブライ人の言葉が

  カナーン語と混じり合ってできあがったものだとされている。

  ヘブライ語で書かれた最も著名な書物は

  「ヘブライ語聖書」(キリスト教徒にとっての旧約聖書)である。

  この言語は当時のオリエント世界の共通語であったアラム語に

  取って代わられていき、

  旧約聖書も一部はアラム語で記述された。

  後の新約聖書の時代においても、

  イエスは日常的にはヘブライ語とともに

  アラム語を話したと考えられており、

  新約聖書にはイエスの言葉として両方の言語の言葉が

  そのまま記載された箇所がある。

  この二言語はきわめて近縁であり、

  さらに長年の言語接触で一種の方言連続体を形成していたことから、

  この時代のユダヤ人は自然とアラム語とヘブライ語の

  バイリンガルとなっていたと推測されている。

  旧約聖書に載るアッシリアによるイスラエルの十支族の

  メディアへの強制捕囚により、

  流浪の民と化した彼等は中央アジアへ出て、

  大陸の真只中で「絹」と解逅し、

  羊飼いから優(有)力な「絹商人」へと変り、

  後にアラビア海からインド洋・太平洋へと船を浮かべての

  海洋貿易商人となり極東へと辿り着いたのです。

  その遍歴の物語をご紹介いたします。

  旧約聖書「イザヤ書」には

  ヘブライ人の同胞が

  「東の地の果て」に至ったことを示す記録があります。

  ヘブライ語には「島々」とあり、日本列島に該当されるのです。
 
  彼等の影響は日本ばかりでなく

  韓半島へも波及していた痕跡が同地に遺留されています。

  「クダラ」「シラギ」名もその証左です。

  また旧約聖書「イザヤ書」〔第二:紀元前1、2世紀成立〕にも

  東方の「地の果て」など極東が想定でき、

  また海岸に彼等の仲間が
 
  活動していたことを示す記述がみられます。

  これらのことは紀元前1世紀までには

  ヘブライ人が極東の当地に到着しており、

  そこの情報が地中海沿岸のエルサレムへ

  伝わっていたことを示しております。

  「クダラ」「シラギ」は「繭玉」を表わすヘブライ語で、

  ローマ帝国へ絹製品を運んだ人々の面目躍如といったとろです。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 


  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ