2014年1月29日水曜日

「あらはばき」と神社(3)


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 諏訪大社
 諏訪大社
 Wikipedia:氷川神社
 Yahooh検索『武蔵一宮:氷川神社』
 武蔵一宮:氷川神社・境内案内

 出典:記紀解体・133~144頁:近江雅和著
   :アラハバキ神と古代史の原像

 【青森県】

 ◎津軽は平安時代にいたるまで、中央の大和朝廷の勢力が及ばなかった

  化外(けがい)の地であったから、アラハバキ社がかなりあったはずである。

  今はわずかに菅江真澄の調べによって知ることができるだけである。

 ◎青森市松森に鹿脛縢明神社(あらはばきみょうじんしゃ)があった。

  (菅江真澄の『すみかの山』所載)

 ◎五所川原市の東にある中山山地は中山修験の霊場で、

  かつては古修験の聖地だったが、仏教による修験道への変化とともに

  その信仰形態は古い姿は痕跡を残さないまでに消えてしまったために、

  古代アラハバキの名は見られないが、恐山のイタコの信仰とともに

  最も古い信仰が津軽に残っていることは、

  古代アラハバキの名残と推測される。
 
  この追求は今後に譲りたい。

 ◎津軽の荒磯神社・洗磯神社・磯崎神社はかつて荒覇吐神社であった。

【宮城県】

 ◎岩出山町下一栗字荒脛巾(旧、玉造郡上一栗邑)に

  荒脛社(旧、荒鎺権現社)がある。(『封内風土記』所載)

  同社の縁起によると

  「祭神は天・地・水の三神を基として、日輪(日、月星)を

  父なる神、万物を育む地、水(山海)を母なる神とする、

  自然信仰で、二千年に及んで鎮座する産土神である」として

  元初の最高神だったことを伝えている。

  それも何時しか「みずいぼの神」と呼ばれ、

  「目、耳、鼻」の神にもなってしまった。

  同地区には製鉄にまつわる片葉の葦の伝説が残っている。

 ◎多賀城市市川奏社(旧、宮城郡市川邑)に

  荒脛巾神社(旧、阿良波々岐明神社)がある。

  『封内風土記』には一の宮・塩竃神社末社と記していることは、

  塩竃神社の祭神がアラハバキに関係があったことを示している。

  『先代旧事本紀大成教』は

  「ナガネスヒコが大和で敗れ陸奥に退いたとき、

   民に塩を焼いて施し、軍船を司った。

   よって陸奥の鎮としたのが今の塩竃の神である」

  と述べている。

  菅江真澄が『すみかの山』で血鹿の浦を訪れたとき
 
  故郷のアラハバキと同じだといったのはこれを指している。

  多賀城址の西に「南宮」の小字名もあり、製鉄とのかかわりを示している。

  南宮(なんぐう)が製鉄に関係があるのは、

  南宮社と中山神社は製鉄、冶金の神・金山彦を祀っているからである。

  それぞれ各地の産鉄地にあるが、

  中でも岐阜県不破郡垂井町の南宮神社は、

  美濃国一の宮で式内社の名神大社。

  古くは仲山金山彦神社と称していた。

  「中山」の名の由来は中国最古の地誌といわれる『山海経』からきている。

  同書の鉄の生産を伝える「五蔵山経」は

  南山経、西山経、北山経、東山経、中山経の五篇で構成されており、

  その中でも中山経は産鉄・製鉄について

  物語が描かれていることからとったものである。

 《Key Word》

 山海経
 山海経・画像

 五蔵山経

 五蔵山経・画像

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