2014年1月28日火曜日
阿良波岐神について
「古代史ブログ講座」開講にあたって
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《参考:年表・資料》
諏訪大社
諏訪大社
『武蔵一宮:氷川神社』
Wikipedia:氷川神社
Yahooh検索『武蔵一宮:氷川神社』
武蔵一宮:氷川神社・境内案内
出典:「阿良波岐神についてについて」雄物川町教育委員会
:雄物川町郷土史史料・第二十集
『阿良波岐神について』
阿良波岐(あらはばき)神とは、
いかなる御事蹟を持つ神であるかを、
「神名辞典」等で調べて見るに、
この神については「御事蹟不明」と記されている。
それ故この神はどうやら皇系の神ではないようである。
従って「古事記」や「日本書紀」には見られない。
一体いかなる神であるのか。
近年この神に関する研究が進められ、色々な論考が発表されている。
これらの事から引用して、
この神の姿を顕現して見たいと試みる次第である。
この神は雄物川町大沢字上法寺、金峰神社にも祀られている。
金峰神社御祭神は
金山毘古神、金山毘売神、阿良波岐(あらはばき)神、
素佐之男命、安閑天皇である。
この内金山毘古、金山毘売、両神は鉱山に関する神であり、
奈良県吉野の金峰山に祀られ、
諸国に勧進されている「金峰神社」の御祭神でもある。
また素佐之男尊は木神として、
また五百三十年第二大和国高市郡曲川村に都を定めた
第二十七代安閑天皇も祀られている。
安閑天皇は二十六代継体天皇の皇子で、
母君は阿部氏族出の阿部波延比売で、
上法家(元阿部氏)とは同氏族の関係にあると見られる。
上法家は養老七年阿部本麻呂を始祖として居り、
越の国の国守である阿部氏との関係が強く知られるのである。
さて祭神として祀られるている荒羽々岐神について、
「荒波波岐神、荒脛神、荒脛巾神、荒吐神、阿良波々神、阿波々幾神」
等の字が当てられている。
上法寺金峰神社は前記の五神を同列に配しているので、
摂社、末社的な関係ではない。
それ故、荒羽々岐神の性格を詳しく探って見ることにする。
荒羽々岐神は大和政権(神話、古墳時代を含む)進出以前より、
土俗民の信仰対象神ではなかったか。
それ故大和政権の神には見られない。
然し時代が進むにつれて、大和政権の神々と同居するもの、
集合するもの、又は抹殺されたものがあったようである。
同居するものとしては、当雄物川町大沢字上法寺、金峰神社がある。
その他を見るに、大社に於いては主祭神としては見られないようである。
唯埼玉県大宮市(かっての武蔵国足立郡)に鎮座する
「氷川神社」に摂社、門客人社のあることが記載され
(新編武蔵風土記稿中、足立郡の条)、
豊石窓(とよいわまど)、櫛石窓(くしいわまど)の二神が祀られていると云う。
豊石窓、櫛石窓は雨岩戸別(あめのいわとわけ)神の別名で、
もとは一つの神であったと見られている。(古事記)
これが古い時代には荒脛巾神と呼ばれていたことが知られている。
氷川神社は考昭帝代、出雲の氷(簸)の川上に鎮座していた
杵築(きづき)大社移し祀り、「氷川(ひかわ)神社」の神号を賜ったものと云う。
それは武蔵国造が、出雲国造と同族であると云うことを
背景にした社伝で、氷川を出雲の簸の川としないで
「新撰姓氏録」に記載される氷連にあてた説とも云われている。
このように古代から大社の客人(まろうど)神又門人として
祀られている荒脛巾神は、大和政権の神々が入る前は、
矢張り土俗の信仰神(地主神)として祀られていたものと推測される。
それが大和の神々の進出によって、同居、習合又は抹殺されると云う
運命を辿ったものと見られる。
それでも「氷川神社」の例のように門客人(もんきゃく)神として
祀られていることは、よい例と云わなければならない。
また神奈川県厚木市小野に鎮座する小野神社は、
祭神が時により変りながらも古体の阿羅波波枳神を守り続けていると云う。
日枝神社
阿羅波波枳神社
淡島神社
但し、これは尾の神社の末社とあり、
神仏習合の汚染を受けない原初的表記を残している。
さて荒脛神は関東以北に多く祀られている。
関西以西では出雲の杵築神社に祀られていることは、
前述の通りで、その他では出雲大社に門客人社として祀られていると云う。
一例として多賀城の荒波波岐神を見るに、
多賀城内郭築地の外の、しかも築地の近くに祀られている。
これは明らかに外敵退散のために置かれたことが伝えられている。
外敵とは当時反乱の虞ある蝦夷のことで、
それを防ぎ守る神として置かれたものと推測される。
従って塞の神、(防障、防疫も兼ねた神)として
祀られた傾向が強く感じられる。
そうとすれば、これは門神である。
門神は神社の門に衣冠束帯姿で脛巾(はばき)をつけた
二対の随身の木像としても見られる。
これは朝廷の御門に脛巾をつけて守っている
衛士から起った名前ではないかとも云われ、
外敵や邪鬼撃退のためのものと見られる。
客人(まろうど)神は神社の主神と関係のある謂わばお客人的神で、
多くは摂社として境内に祀られている。
門客人(もんきゃくじん)神は前記の双方を兼ねた神である。
それ故阿良波波岐神は、その祀るところの神に依り、
客人神であったり、門客人神であったり、又は門神として祀られている。
上法寺、金峰神社(里宮)に脛巾と草鞋が奉納されている。
これは門神として信仰する人の奉納であろう。
いづれにしても神として信ずる人の心に、
有史以前より伝わる土俗民の信仰神、謂ゆる地主神を、
今に伝え信ずることは素晴らしいことと謂わざるを得ない。
またある時代に次のような図式が生み出されたと云われる。
荒羽々岐=役小角=大元帥明王、
大元帥明王は天皇家の秘仏とされ、
一般大衆に於いては祀ることが禁じられたと云う。
後世徳川家がこれを取り入れ祭祀している。
また津軽地方の遺跡より多く出土する遮光土偶が、
荒羽々岐の御神体であるとする説がある。
これは仏教伝来以前に
中国中東より起った牛の角を兜につけた帝王が、
両腋に太陽(神)を抱く姿と符号させたものと見られる。
それ故男女が一体神であるとする。
そこで、「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を見るに
次のような記事がある。
「依って都人の智謀 数なる輩に従せざる者は蝦夷なるか、
吾が一族の血肉は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、
平等相違の暮しを以って祖来の業となし………」と。
これは近世(元禄十年七月)に於いて秋田頼季が書いたものとされている。
秋田氏の祖先は前九年の役に敗れた安部氏であり、
安部氏の祖は神武東遷の際、
天皇に滅ぼされた長随彦の兄、安日彦(あびひこ)で、
戦いに敗れた後は津軽十三港地区に遁れ、やがて豪族化する。
この一族は巨大な勢力を以って南遷を試みるが、
いづれも大和朝廷の軍に敗れ、蝦夷の汚名を冠されて浮沈の歴史を辿る。
然しこの一族には驚くべき文化があったものと考えられる。
それは縄文晩期の出土品に依っても知られる。
従ってこの地区から多く出土する遮光土偶こそが、
土俗民の信仰神である「荒羽々岐神」の御神体であるとしたことも
頷かれる気がする。
然し「東日流外三郡誌」が
秋田孝季とその縁者の和田長三郎吉次の編纂(寛政元年以降)に
なるものであることからすれば多少疑問も残る。
荒吐(あらばき)神累統之譜抄
┏日 神 (シウリ カムイ)
┃
┣月 神 (シバケ カムイ)
┃
イシカ カムイ ┣風 神 (フキ カムイ)
天 神 ┃
┣雷 神 (タラ カムイ)
(男 神) ┃
┣星 神 (オシズ カムイ)
┃
┗刻 神 ( カムイ)
┏木 神 (ドチヤ カムイ)
┃
イシカノコ カムイ ┣火 神 (シボト カムイ)
地 神 ┃
┣土 神 (キムチ カムイ)
(女 神) ┃
┣金 神 (タタラ カムイ)
┃
┗水 神 (ミナト カムイ)
┏海 神 (ツボ カムイ)
┃
┣衣 神 (ドギ カムイ)
┃
┣飢 神 (セモチ カムイ)
┃
┣住居神 (コタン カムイ)
┃
┃
┃
アラハバキ ┃
荒吐神 ┫ ┣荒吐一族
┃
┃
┃
┣山 神 (アンイ カムイ)
┃
┣農 神 (オヤゲ カムイ)
┃
┣軍 神 (シャマイン カムイ)
┃
┗薬 神 (シラタ カムイ)
以上に見る如く、
関東以北に荒羽々岐神の信仰が」強く残されているようで、
これは大和政権の浸透が遅れた東北地方土俗民達が、
強力な信仰心を以って守り続けた関係かも知れない。
この原始時代以来の姿なき神、
「然し時としては荒ぶる神であり、恵みを齎す神として」
今に信仰されていること。
それを信じ続けて来た東北民は、一面かたくなでもあるが、
反面心根が優しく、純朴な気風を育み伝えている。
これは実に素晴らしい伝統と見るべきであろう。
《Key Word》
神名辞典
金峰神社・横手市雄物川町大沢字上法寺37
金峰神社
小野神社
大元帥明王
大元帥明王・画像
遮光土偶
東日流外三郡誌
東日流外三郡誌・画像
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