2014年5月12日月曜日
武蔵国の地名と旧約聖書(11)
「古代史ブログ講座」開講にあたって
Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」
課題:武蔵国の地名と旧約聖書
―荒川・入間・幸手などの隠された真義―
埼玉県・幕屋(9) 新座:和光市、狭山市、朝霞市-2
入西荘[近世]「新編武蔵」にみえる荘名。入間郡のうち。
中世末期から用いられたと思われる。
属した村は堂山村のみ。現在の越生町の辺り。
入西領[近世]「新編武蔵」にみえる領名。入間郡のうち。
現在の坂戸市辺り。
入西郡[中世]
郡内を貫流する入間川を境として、
西北の丘陵地帯を入西:にっさい郡、
東南の平野部を入東郡と分称することもあった。
入西郡の例としては、
文安3年(1446年)3月9日の吾那憲光寄進状に
「武蔵国」入西郡越生郷恒弘名之内田代村菊万在家」(最勝寺文書/武文)、
延徳3年(1491年)4月8日の年紀がある
諏訪神社の鰐口銘に「武州入西郡高坂郷」などとあるが(銘記集)、~。
入曽村(狭山市):北入曽・南入曽
[中世]戦国期みえる郷村名。入間郡のうち。
天正14年(1586年)
※干支は巳とあるので天文14年(1545年)の誤りか
正月3日の出陣衆覚に「武州入曽村拾弐衆」とあるのが初見。
江戸期には南入曽村・北入曽村に分村。
臑折村「新編武蔵」巻之百八十二高麗郡之七。
臑折村は郡の東北入間郡の界にあり、加治領に属す。
土人臑字或は脚と畫す。今臑の是なるに従ふ。
小名 羽折、和田、大堀、中内手、熊野ヶ谷戸。
白髭社 村の鎮守なり。例祭九月廿九日、―羽折〔此村今はなし〕
……七ヶ村の総鎮守なりしと云。
森戸村「新編武蔵」小名 鍛冶屋、市場、宿かしら、本屋敷、二階、
柳原、馬場原、田利、丸山、鶴明神社
大在家村「新編武蔵」浅羽郷松山領に係わり
小名 浅羽屋布:浅羽氏のものの住せし処なるべけれど、
今は伝へず。鶴巻
入間郷「和名類聚抄」麻羽、大家、郡家、高階、安刀、山田、廣瀬
入間・属する所、入間川、奥富二村なり。
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