2014年5月10日土曜日

武蔵国の地名と旧約聖書(10)


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
 Matのジオログ
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 課題:武蔵国の地名と旧約聖書
    ―荒川・入間・幸手などの隠された真義―

 埼玉県・幕屋(9) 新座:和光市、狭山市、朝霞市-1

 白子(和光市)地名の起りは

 天平宝字2年(758年)帰化の新羅僧らを

 武蔵国の閑地に移して新羅郡が置かれたが、この新羅が転訛し、

 中世の頃には白子と呼ばれるようになったという(地名辞書)。

 台地の周辺部から縄文期の土器・住宅跡や貝塚・弥生式土器・須恵器などが

 数多く出土しており、

 古代から人が住みついていた地であることが知られる(文化財を訪ねて)。

 [中世]白子郷 戦国期にみえる郷村名。新座郡のうち。

  「新編武蔵」には、応安元年(1365年)の文書に

  「白子郷」の名がみえるとあるが、この文書の所在・内容は不明。

  「梅花無尽蔵」の著者僧万里集九は、

  長享2年(1488年)太田道真の詩歌会に臨むため川越に向かう途中

  白子里に一泊したとあり、これが地名の初見。

 白子(飯能市)地名は白っぽい土地の意(日本の地名)。

  [中世]戦国期に見える郷村名。高麗郡のうち。

  初見は天文12年(1543年)7月1日

  滝山城(東京都八王子市)城主の大石定久が長念寺に寺領を寄進し、

  大石の後を継いだ北条氏照が永禄9年(1566年)正月13日に

  印判状をもって「白子之内」の長念寺領を

  定久の時の如く寺領を安堵している。

 新倉:にいくら(飯能市)

  地名は新座郡の中心をなした地域であることによるという。

  [中世]新倉 戦国期にみえる地名。

  新座郡のうち、「役帳」には、

  川村跡として「五十五貫文 同(江戸)新倉」~。

  [近世]新倉郡、「新編武蔵」にみえる郷名。新座郡のうち。

  中世末期頃から用いられたと思われる。

  属した村々は、

  岡・広沢原新田・根岸・台・上新倉・下新倉の6ヶ村。

  現在の朝霞市・和光市の辺り。

 広沢(和光市)[近代]昭和44年~現在の町名。
  
  はじめ大和町。昭和45年から和光市の現行地名。

  もとは大和町大字白子・下新倉・新倉の各一部。

 広沢郷[古代」平安期にみえる郷名。幡羅郡のうち。

  「和名類聚抄」幡羅郡8郷の一つ。

  現在の妻沼町一帯に比定する説(地名辞書)と

  熊谷市一帯とする説(旧県史)がある。

 広沢荘[近世]「新編武蔵」にみえる荘名。新座郡のうち。

  中世末期頃から用いられたと思われる。

  現在の新座市・朝霞市・和光市辺り。

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