2014年10月7日火曜日

日光泉太郎と東山道(15)

 浦和レッズレディース
 Matのジオログ
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:「日本古典文学大系」:166~167頁
     発行:岩波書店

 古事記中卷●1代神武

 ……
 
 邇神八井命、讓弟建沼河耳命曰、

 吾者不能殺仇。汝命既得殺仇。故、吾雖兄不宜爲上。

 是以汝命、爲上治天下。

 僕者扶汝命、

 爲忌人而仕奉也。

 故、其日子八井命者、【茨田連手嶋連之祖】

 神八井耳命者、

 【意富臣

 小子部連

 坂合部連

 火君

 大分君

 阿蘇君

 筑紫三家連

 雀部臣

 雀部造

 小長谷造
 
 都祁直

 伊余國造

 科野國造

 道奧石城國造

 常道仲國造

 長狹國造

 伊勢船木直

 尾張丹波臣、

 嶋田臣

 等之祖也】

 神沼河耳命者、治天下也。

 凡此神倭伊波禮毘古天皇御年、

 壹佰參拾漆歳。

 御陵在畝火山之北方白梼尾上也。
 

 邇に神八井の命、
 
 弟(おと)建沼河耳の命に讓りて曰(まを)しけらく、

 「吾(あ)は仇(あた)を殺すことは能はず。

  汝命(いましみこと)既に仇を得(え)殺したまひき。

  故、吾は雖兄なれども上(かみ)と爲(な)るべからず。

  是を以ちて汝命爲上(かみ)爲りて、天の下治らすめせ。

  僕(あ)は汝命を扶(たす)けて、

  忌人(いはひびと)と爲(な)りて、仕へ奉らむ。」

 とまをしき。

 故、其日子八井の命は、【茨田連、手嶋連の祖】

 神八井耳の命は、

 【意富臣

  小子部連

  坂合部連

  火君

  大分君

  阿蘇君

  筑紫三家連

  雀部臣

  雀部造

  小長谷造
 
  都祁直

  伊余國造

  科野國造

  道奧石城國造

  常道仲國造

  長狹國造

  伊勢船木直

  尾張丹波臣、

  嶋田臣

  等の祖なり】

 神沼河耳の命は、天の下治らしめしき。

 凡(おほよ)そ此の神倭伊波禮毘古の天皇の御年(みとし)、

 壹佰參拾漆歳(ももちまりみそじまりななとせ)。

 御陵(みはか)は畝火山の北の方の白梼(かし)の尾(を)の上に在り。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年10月6日月曜日

日光泉太郎と東山道(14)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 日光山志 巻之一 33~35頁
 植田孟縉 編輯 

 神橋(みはし)

 神護景雲元年勝道(しょうどう)上人(しゃうにん)

 跋渉(ばつせふ)のみぎり

 此所(このところ)に来(きた)り給(たまひ)しに

 両岸(りゃうがん)の絶崕(ぜつがい)高(たか)く聳(そびえ)

 漲水(ちゃうすゐ)盤(はん)渦(くた)してたたるべきやうなかりしかば

 道公(どうこう)輞然(まうぜん)として厳上に跪(ひざまづ)き

 丹心(たんしん)をくだき神仏に祈誓(きせい)し

 暫(しばらく)念誦(ねんじゅ)し玉ひけるに

 髣髴(ほうふつ)として北崕(ほくがい)に深沙大王の尊容あらはれ

 御手(おんて)に持(もち)玉ふ青赤(せいしゃく)の毒蛇を

 大河に向(むかひ)て放(はなち)玉ふと

 居(を)る而(ところ)に忽(たとまち)飄然(へう ぜん)として

 虹霓(こうげい)の山間に浮(うかべ)るに

 北岸より南崕まで一條の長橋を架せり

 上人奇異の思ひをなし深く大権の冥助を釛喜ましく

 信心者に徹し玉ふといへどもいまだ凡慮を免き給はざれば

 大蛇の長橋を望(のぞ)みしばし躊躇しゐふ所に

 又不思議なる哉(かな)

 蛇橋の上に忽(たちまち)救根の山菅を生じ

 山間に一路を新に開きたるにこととず

 上人いわく
 
 「勝道上人開闢の時深砂大王の加護を得て蛇橋を渡り登山したまふ図」

 蛇 mas(阿曇語)

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2014年10月5日日曜日

日光泉太郎と東山道(13)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 延喜式神名帳 東山道 上野國
 
 上野國:12座 大3小9

  片岡郡[カタヲカ]:1座 

   小祝神社[オハフリ]群馬県高崎市石原町1245

  甘楽郡[カンラ]:2座大1小1

   貫前神社[ヌキサキ](名神大) 群馬県富岡市一之宮1535 

   宇藝神社[ウケ]宇藝神社[ウケ]

  群馬郡[クルマノ]:3座大1小2 

   伊加保神社[イカホ](名神大) 群馬県北群馬郡伊香保町伊香保1

   榛名神社[ハルナ] 群馬県群馬郡榛名町榛名山849
 
   甲波宿禰神社[かわすくね]群馬県渋川市行幸田673 

   武内神社[たけうち]群馬県渋川市祖母島499

  勢多郡[セタ]:1座大

   赤城神社[アカキ](名神大)群馬県勢多郡富士見村赤城山小鳥ヶ島

   赤城神社[あかぎ]群馬県勢多郡宮城村三夜沢114

   二宮赤城神社群馬県前橋市二之宮町886

  山田郡[ヤマタ]:2座並小

   賀茂神社[カモ]群馬県桐生市広沢町6-833

   美和神社[ミワ]群馬県桐生市宮本町2-1-1

  那波郡[ナハ]:2座並小

   火雷神社[ホノイカツチ]
 
   火雷神社[からい]群馬県佐波郡玉村町下之宮甲524

   倭文神社[シトリ]

   倭文神社[しどり]群馬県伊勢崎市東上之宮町字明神東380

  佐位郡[サヰ]:1座小 

   大國神社[オホクニ]

   大国神社[おおくに]群馬県佐波郡境町下渕名2827

  延喜式神名帳 東山道 陸奥國
 
 下野国:11座 大1小10

  都賀郡[ツカ]:3座並小 

   大神社[オホムワノ]

   大神神社[おおみわ]栃木県栃木市惣社町477

   大神神社[おおみわ]栃木県栃木市平井町659

   大前神社[オホサキノ]

   大前神社[おおまえの]栃木県下都賀郡藤岡町大前383

   村檜神社[ムラヒノ]

   村檜神社[むらひ]栃木県下都賀郡岩舟町小野寺4697

   胸形神社[むなかた]栃木県鹿沼市村井町108

  河内郡[カウチ]:1座大 

   二荒山神社[フタアラノ](名神大)

   二荒山神社[ふたあらさん]栃木県日光市山内2307

   二荒山神社[ふたあらさん]栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1

  芳賀郡[ハカ]:2座並小

   大前神社[オホサキ]

   大前神社[おおさき]栃木県真岡市東郷937

   荒樫神社[アラカシ]

   荒橿神社[あらかし]栃木県芳賀郡茂木町小井戸325

   大前神社に合祀栃木県真岡市東郷937

  那須郡[ナス]:3座並小 
  
   健武山神社[タケムヤマ]

   健武山神社[たけぶやま]栃木県那須郡馬頭町健武2302

   温泉神社[ユノ] 

   温泉神社[おんせん]栃木県那須郡那須町湯本上ノ山182

   三和神社[ミワ]

   [みわ]栃木県那須郡小川町大字三輪726

  寒川郡[サムカハ]:2座並小 

   阿房神社[アハ]

   安房神社[あわ]栃木県小山市粟宮1615

   ムナ形神社[ムナカタ]

   胸形神社[むなかた]栃木県小山市寒川1730

   網戸神社[あじと]栃木県小山市網戸102

  延喜式神名帳 東山道 下野國

 
 陸奥國:100座 大15小85

  白河郡[シラカハ]:7座大1小6 

   都都古和氣神社[ツツコワケ](名神大)

   都々古別神社[つつこわけ]福島県東白川郡棚倉町馬場39

   都々古別神社福島県東白川郡棚倉町大字八槻字大宮224

   伊波止和氣神社[イハトワケ]

   伊波止和気神社[いわとわけ]福島県東白川郡古殿町大字田口字戸神269
   
   白河神社[シラカハ]

   白河神社[しらかわ]福島県白河市大字旗宿関ノ森120

   八溝嶺神社[ヤミソノ]

   八溝嶺神社[やみぞみね]茨城県久慈郡大子町上野宮2129


   飯豊比賣神社[イヒトヨヒメ]

   飯豊比賣神社[いいとよひめ]福島県西白河郡大信村大字豊地字鰻谷地1

   永倉神社[ナカクラ]

   永倉神社[ながくら]福島県西白河郡西郷村大字長坂字長坂36

   石都都古和氣神社[イハツツコワケ]

   石都都古別神社[いわつつこわけ]福島県石川郡石川町下泉296


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

2014年10月4日土曜日

日光泉太郎と東山道(12)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 <鉢伏山>

 出典:「小泉小太郎」:「日本の民話10.信濃・越中扁
     <「信濃の民話編集委員会編>昭和51年(1976年)未来社
     179~183頁

  小泉小太郎つづき(東筑摩郡)

  「まあずでっけえ湖でねえか。国ひとつ、すぽーんと入るほどだに。」

 小太郎は手を口にあてて、

  「おっかさーん。」

 とよんだ。

  すると、湖の水が大きくうねり、がばがばと波立つたかと思うと、

 いつのまにか小太郎の前に美しい女の人が立っていた。

  「小太郎、よくきておくれた。母さんはお前のくるのを、

   長い間まっていたんだよ。」

  それは、かって十五年前、

 独鈷山の若い坊様を訪ねた人と全く同じであった。

  針をさされた為にその毒がまわって、

 ついに蛇の正体をあらわして鞍淵に身をなげたが、

 はげしい流れにおし流されるうちに、針は洗い流され、体は清められ、

 そしてこの湖へたどりつく事ができたのである。

  「おっかさん、おら話すことがある。

   この湖の水、田んぼのない村へ流すことはできねえか。

   この湖をひろい田んぼにかえることはできねえものか……。」

  小太郎はじいんと胸のあつかなった事を思い出して、

 さっそく母にたずねてみた。

  母はそれを聞くと急に涙ぐんで頭をたれた。

  「小太郎よ。この湖はな、母さんの大切な湖なんだよ。

   この湖があれば母さんはいつまでも長生きできるし、

   お前とここで幸せにくらすことだってできるんだよ……。」

  「でもなおっかさん、おら、人の役にたちたいんだ。

   おら、旅をしてきたが、この国はどこをあるいても山また山。

   みんな立ってもおれねえようなところに畠を作って生きている。

   ここにはこんなに水があるのに、

   まわりの土地では水がなくて田んぼも作れねえ。

   おっかさん、おら、力があまっているで、

   明日からでも山をきりひらいて、

   この水流してやりてえんだ!」

  思いつめた小太郎の言葉にうたれて母は立ち上がった。

  「お前がそれまでいうなら母さんも力をかしてあげよう。

   しかしどんのことがあっても、

   おどろいたり悲しんだりしてはいけない。

   小太郎、わかったね。」

  そう云うと母は身をおどらせて湖へとびこんだ。

 と、たちまち水は渦をおこし、

  白い霧をふきだして、母の姿は大きな龍にかわってしまった。

  「小太郎、これが母さんの本当の姿です。

   母さんが生きていくためには広い湖がいるのです。

   この湖の水を流せば母さんはまた

   他の湖をさがして旅をしなければならない。

   でもお前のために、いや、水のない、土地のない百姓のために、

   母さんも力をかしてあげよう。」

  「ありがとう。おっかさん、おらやるよ! そしておら、

   いつまでもおっかさんと一緒に生きるよ……。」

 次の朝。

  小太郎を背にのせて犀龍はゆったりと湖の上を泳いでいた。

 湖は朝日にてらされてキラキラと波をきらまかせ、湖をかこむ山々は、

 ある時は赤く、ある時は青く、ある時は紫に、刻々と色をかえて輝いていた。

  「小太郎、この湖がどうしてできたかを話してあげよう。

   その昔、天の神さまが五色の石を天でねっておいでになた時、

   まちがってその石の一つをおとしてしまった。

   石はものすごい勢いで地面をふかくえぐってとびちった。

   そのとびちった石のかけらが山となり、

   深くえぐられたくぼみにできたのがこの湖なのだよ。」

 母のいう通り、

 まわりの山々はいかにも天から落ちた五色の石のかけらのように、

 するどい峰を天にむかってつきたたていた。

  「小太郎、この山をきりひらくことは大変なことです。

   母さんは満身の力をこめて、あの山々にぶつかります。

   しかし、そのために眼がくらんで方向をあやまるかもしれない。

   お前はしっかり母さんにつかまって、

   私の眼がくらんだらさしずをしておくれ。

   それからどんなことがあっても、

   途中で泣いたり、やめようなどといってはいけませんよ」

  「おっかさん。おら、おっかさんの子だ。きっとやってみせる。」

  「それでは今夜からはじまます。

   山をきりくずすまで何日かかるかもしれないけど、

   お前と力をあわせて、

   この湖の水を遠い北の国までみちびくのです。」

  それから犀龍はじっと眼をとじて神々に祈った。

  小太郎も体にあふれる力をおさえてしかり母の背にのっていた。

  やがて日がとっぷりくれた。

  「小太郎。さおれではいよいよはじめます。

   しっかりつかまって、いいね小太郎。」

 犀龍はカット眼をみひらき、天高く体をのばした。

 ど、ど、ど。どーっ……。

 たちまち空には黒雲がわきおこり、はがしい風雨が野山に吹きあれた。

 するどいいなずまがたえまなく、天にそびえる山々をてらしだした。

  「小太郎いいかい。」

  「おっかさん。」

 あれ狂う雨風をしたがえて、犀龍はどっと山にぶつかた。

 しかし、山はびくともしない。

 あらしは何日もつづいた。

 犀龍の眼はくらみ、吐く息は炎のよう、

 体中に傷を負いながらひるみもせずに山にぶつかる。

  「おっかさん、こっち、こっちの山だ・」

 小太郎の声がさかまく波と黒雲をつらぬいてひびきわたる。

  「動いたよ。おっかさん。山がうごきはじめていた。」
 
  「もう一息だ、おっかさん。」

  「ようし。」

 犀龍が最後の力をふるしぼってぶつかった時、ど、ど、ど、ど、ど、……。

 はげしい山鳴りと共に、山はくずれ、

 そのさけ目から水が滝となって流れおちた。

 流れにのって……小太郎をのせた犀龍は山をきりひらき、

 森林をおし流し、

 とうとうと信濃国をつらぬいて北の海へおどりだしていった。

  はじめて雲がきれて、光りの筋が地上をてらした。

  ちょうど夜明けであった。

  新しく生まれた川がキラキラ光ってどこまでも続いていた。

  山々にかこまれた湖の底からたいらかな、

 よく肥えた土地が次第に現れていくのがよく見えた。

  犀龍と小太郎がそれからどこへいったかは知らない。

  だが、洪水や日でりで人々が苦しんでいる時、

 この犀龍にのった小太郎が現れたのを見た人がいるという。

 そして川は今でも犀川とよばれ、湖の後に生まれた土地こそ、

 今の松本、安曇の両平野だったのである。

 後記

 このお話は筑摩の里におさまましたが、

 各地にいろいろな形となっている伝説です。

 所によっては白龍太郎とも泉小太郎ともよばれています。

 南安曇、北安曇、東筑摩、小県の各部にのこっているお話をまとめ、

 小県郡丸子町の黒坂周平先生や塩田町の宮島博敏さんのお話も参考にして、

 これを一つの物語にしました。


 再話 瀬川 拓男

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 
 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年10月3日金曜日

日光泉太郎と東山道(11)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 <鉢伏山>

 出典:「小泉小太郎」:「日本の民話10.信濃・越中扁
     <「信濃の民話編集委員会編>昭和51年(1976年)未来社
     175~178頁
 
 小泉小太郎(東筑摩郡)

  むかし独鈷(とっこ)山というけわしい山に、

 若い坊さまのすむ寺があった。

  いつの頃からその坊さまのところへ美しい女が通ってくるようになった。

 いつも真夜中に訪ねてきて夜明けにどこかへいってしまう。

  不思議に思った坊さまは、ある夜、

 そっと女の着物に糸のついた縫針をさしておいた。

  夜があけてみると、糸は庭をぬけて山の沢を下り、

 産川(さんがわ)の上流にある鞍淵の大きな石のところまでつづいていた。

  ふと岩の上を見ると、

 生まれたばかりの赤児を背にのせた大蛇が苦しそうにのたうっている。

  大蛇は坊さまに気がつくと、

 「こんな姿を見られては生きていることはできない。
  
  針をさされたにで鉄の毒も体にまわった。

  どうかこの子をおたのみ申します。」

 といって赤児を岩の上におろし、

 ざざーっと水煙をあげて淵の中へ姿を消してしまった。

 坊さまはおそろしさにふるえあがり、赤児をそこにのこしたまま、

 あともみずににげかえってしまった。

  こうして岩の上には赤児一人がとりのこされた。

  しかし、赤児は少しも泣かず、岩の上にあおむけにころがされたまま、

 すやすやとねむり、おきれば指をしゃぶって三日たった。

  三日目の夕方からはげしい雨がふりだし、ごうごうと水かさをました。

  川の水は赤児のいる岩をひたし、赤児は水に流されて川を下っていった。

  次の日の夜あけ、

 小泉村というところで子どものない婆さまがこれを見つけた。

 「まあず、たまげたもんだ。このあか(赤ん坊)はよ、

  水の上をらくらく流れてきただに。

  こりゃ神さまのさずかりものかもしれね。」

  と、婆さまはよろこんでその赤児をひろいあげ

 小太郎と名をつけて育てることになった。

  飯を一杯くえば一杯だけ、二杯くえば二杯だけと、

 小太郎はどんどん大きくなったが、

 どうしたことかくっては眠り、くっては眠り、

 すこしも働こうとはしなかった。

  小太郎が十五になった時、婆さまは云った。

  「小太郎よ。われももう一人前になっただ。

   ちっとはばばの手伝いもしてくれや。」

  それを聞いた小太郎は婆さまに悪いと思って、

 のっこらのっこら小泉山へ薪取りにでかけていった。

  そして山にある萩という萩の木を根こそぎとりつくし、

 山のようになったのをたった二抱えの束にし夕方にはもどってきた。

  「婆さま。おら、山じゅうの萩とってきただに。

   この束は結びなわをとかんで、一本ずつぬいて焚いてくろや。」

  「ああよしよし。お前のいう通りにするんだに……・」

 と婆さまは答えてみたものの腹の中はおかしくてしょうがない。

  たった一日で山じゅうの萩がとれるもんか。

  こんな小さな束にまるかる(束ねられるものか)ものか。

  小太郎はすこし頭がたりねえでねえか……。

  と、こばかにして、小太郎のるすに結びなわをといてしまった。

  とたんに萩ははぜくり返って、婆さまは外へはじきだされてしまった。

  そこへ小太郎がかえってきた。
 
  小太郎は大声で笑い出し、婆さまをひょいと座り直させ

 自分は家にはいって家中にはぜくり返った萩の束を

 元通りにちいさく束ねた。

  ようよう息をついた婆さまは、腰をさすりさすり、

 小太郎を見上げていった。

  「小太郎よ。われはへえ、ただもんでねえだ。

   腹の横には蛇のこけらのようなあとがあるしょ。

   今思えば川さ流れてきた時から、へえ、

   ただのあかではなかっただに……・」

  「なんだね婆さま。その、川から流れてきた、っていうのは。」

  小太郎はに聞かれて婆さまは今迄のことをすっかり話した。

  わけをきいた小太郎はじっとしておれなくなった。

  そして婆さまに別れをつげて旅にでた。

  自分が流れてきたという産川をさかのぼり、

 どしどしあるいていくと鞍淵にでた。

  底しれぬ淵をのぞいていると青い水の中に声がした。

  「小太郎よ。西南の方へ高い山をふみこえていけ。

   そこに大きな湖があり犀龍(さいりゅう)という龍が住んでいる。

   それこそお前の母だ……。」

  それを聞くと小太郎は西南をさしてまたどしどしあるいていった。

  けわしい山ばかりで人間などいそうもなかったが、

 そんな山と山の間にも人は住んでいて

 小さな畠をたがやしたり木をきったりしていた。

  「お前はみかけねえお人だが、どこへいくだね……。」

 と、村人たちは小太郎にきいた。

  「山をこえて大きな湖へ……。」

 と、答えると、みんなはためいきをついた。

  「そうよな。あのひろい湖をみんな田んぼにしたらな……。 

   おらたちはどんなに助かるかもしれねのに……。」

  そんな話をきくと小太郎の胸はじいんとあつくなった。

  なにかいい事をして、

 貧しい村の衆によろこんでもらいたいと思った。

  「そうだ。湖にいっておっかさんにあったら、まずこの事を話してみる。」

  小太郎は心にきめて、またどしどし山を越えていった。

  ある日、高い峰をのぼりつめた時、

 眼の下にまんまんと水をたたえた大きな湖をみりことができた。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
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2014年10月2日木曜日

日光泉太郎と東山道(10)

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 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 ○「龍の子太郎」童話 松谷みよこ 絵 田代三善 講談社 1979年
 
  ”めぐりあったがかずかずの主人公の中で、

   もっとも私の心をひきつけたのは、

   信州に伝わる小泉小太郎の伝説だった。

   昔、信州にはまんまんと水を湛えた湖があった。

   龍の子である小泉小太郎はこの湖の水を落として田んぼを拓こうと、

   ある日母龍の背中に乗って山を切り拓き、遠い北の国へ流した。

   このとき現れたのが松本・安曇の両平野で、

   流れ出た川が犀川だという。”(あとがき)

 ○「小泉小太郎」:「日本の民話10.信濃・越中扁

   <「信濃の民話編集委員会編>昭和51年(1976年)未来社

  母の名「犀龍」

  (附記)このお話は筑摩の星におさめましたが、

  各地にいろいろな形となっている伝説でず。

  所によっては白龍太郎とも泉小太郎ともよばれています。

  南安曇、北安曇、東筑摩、小県の各部にのこっているお話をまとめ、

  小県郡丸子町の黒坂周平先生や塩田町の宮島博敏さんのお話も参考にして、

  これを一つの物語にしました。

  再話 瀬川拓男

  「小太郎、この山をきりひらくことは大変なことです。

   母さんは満身の力をこめて、あの山にぶつかります。

   しかし、そのために目がくらんで方向をあやまるかもしれない。

   お前はしっかり母さんにつかまって、

   私の目がくらんだらさしずしておくれ。

   それからどんなことがあっても、

   途中で泣いたり、やめようなどといってはいけませんよ。」

   ―

   「それでは今夜からはじめます。

    山をきりくずすまで何日かかるかしれないけれど、

    お前と力をあわせて、

    この湖の水を遠い北の国までみちびくのです。」

 ○「善光寺道名所図会」

   豊田利忠(庸園)が天保元年(1830)と翌年に

   中山道洗場宿から善光寺町まで

   実地に旅行し、踏査を行なった記録を著した。 

     牛:ゴ (Sk.)go)(牛頭・ゴズ)

   そもそも柳当寺<牛伏寺>は、往昔寺号なし。

   伝聞人皇十二代景行天皇十二年の頃、湖たりし時、

   鉢伏山上の権現化して男子の形を現じ、又法然の薩埵(つた)も化して

   女子の形を現じ、終に結婚を成し、琴瑟(きんしつ)の情、

   歳を重ねて熊罷に合ひ、男子を誕む。

   其成人、天姿操行にして能く農人を憫む。世俗此人を泉の長者といへり。

   一説に健南方刀美命或は武南方富命則諏訪大明神の化身なりと。

   唯海川水流に自在を得て漂泛たり。

   時に七月七日、尾入沢に至り不測の犀龍に逢ふ。

   犀龍曰、子若我に乗らは、湖水を北海に能く注かんと。

   即犀龍に乗て、水内といふ所の滝を渉る。

   七日七夜の中に、湖水を北海に泗(そそ)ぐこと言の如し。

   今の犀川、是なり。夫より淑(やは)らぐ田畑を開く。………

 ○「泉小太郎の伝説」(「牛伏寺」昭和58年)

  川合・水内・河内(栃木県日光)

  その昔、松本平が一面の湖水であったと伝えられる。

  それを切り拓いて沃野としたという伝説の主人公が、泉小太郎である。

  父は白龍王・母は犀龍といわれる。

  小太郎は鉢伏山で産まれ

  (一説には中山地区和泉の産ヶ坂という)成長がしたが、

  後に松本城山の放光寺辺で成人したとも伝えられる。

  母の犀龍を訪ねて尾入沢という所でまぐり逢う。

  そこで母は諏訪明神の化身であったことを知る。

  やがて母の犀龍の背に乗り山清路の狭まる所の巨岩を突き破り

  水内の峡谷から水を越後の大海に落として沃野、

  松本平を造成したという。

  その後、小太郎は川合(わたらい)に於いて

  白龍王、犀龍と会い仏崎(北安曇郡)の岩穴に入った。

  川合(わたらい)神社、仏崎の観音は小太郎を祭るという。
 
  小太郎の父は実は太陽神であったともいう。

  また「泉の長者」というのは「善光寺道名所図会」にも見えるが、

  小太郎のことであるという。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年10月1日水曜日

日光泉太郎と東山道(9)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
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 ≪日光泉太郎と東山道≫


 ⑥二荒山神社[栃木県日光市日光]

  『延喜式』神名帳 河内郡二荒山神社【名神大】

           訓「フタアラノ」「フタラノ」

  「フタラ」putra 真名子、男体山の北方に大真名子山、

              その北方栗山村との境界に小真名子山

   二荒山奥宮:男体山頂、中宮:男体山の麓<南方、中禅寺湖畔>、

              本宮:日光市山内(さんない)

   祭神 二荒山大神(大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命)

      太郎山、男体山の北方、小真名子山の西方、
 
      日光市と栗山村との境界にある。

  久次良・くじら神社 日光市久次良町、

            二荒山神社本宮の西方の一山越えた所

  「クジラ」ksira 乳、濃くした乳、乳状の液汁(植物の)

   漢訳:乳、白乳、珂乳 ○水、樹液

   ◎太郎 kumara の別称 karttikeya を養った krttika 

    昴宿である六乳母の「乳」を指す。

   ※二荒山神社は太郎である

    真名子 manavaka (童子)Kumara[Skanda]神信仰である。


 ⑦二荒山神社[栃木県宇都宮市馬場通り]

   祭神 豊城入彦命・大物主命・事代主命

  宇都宮「ウツ」

   utsa 井、泉、泉源、

   udu 星、星宿

   udhan 乳房、胸、雲

   今泉町(宇都宮市、二荒山神社東方至近の町名) 

   星宮・ほしのみや神社 

    栃木県に多い神社、茨城県、福島県、群馬県、千葉県に広がる。

    ○星宮神社 栃木県平柳町 祭神 磐裂命・根裂命・経津主命

   磐裂根裂神社 

    鹿沼市7社、日光市5社、今市市2社、

   上都賀郡1社、下都賀郡10社、塩谷郡1社

   ◎泉小太郎が母・犀龍の乗って水路を開いた物語に相当する。

    Naga-randra-kara 山を割(裂)く男、

    karttikeyaの称=kumara:Skanda神

   都賀[下野國、栃木県の郡名]

    『延喜式』民部 訓「ツカ」 神名帳 都賀郡 訓「ツカ」

    「ツカ」 tuka tuk 小児、kumaraの別称

   安蘇[下野國、栃木県の郡名]

    『延喜式』民部 安蘇「アソ」

    「アソ」 aisi Skanda神の称

  potaka - putra - manavaka - garbha - dahara - 

   小児  真名子  童子   真名子  小児


   taruniman - tuk - toka - daraka - bala :kumara

  少年・青年 小児 小児 小児・男児 童子 子・童子

  田原神社 上都賀郡栗野町 5社

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ