2015年6月9日火曜日

黄帝の正妃は「嫘祖」は和夷〔倭人〕の祖

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 第1章 倭人と東夷の原像

     ―和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させた―

  黄帝の正妃は「嫘祖」は和夷〔倭人〕の祖

   四川盆地は古代「蜀国」であった。

  「蜀」字は甲骨文字〔亀甲番号6861~6866、40774〕

  などに「※甲骨文字絵」とあって

  「目」に尾ヒレを付けた形で描かれている。

  これは「蠶」〔蚕は代用〕を表わし、「おかいこ」を意味する。

  「蜀」字は後になってその「※蜀から虫を取り去った字」に

  「虫」字を加えたものである。

  つまり四川盆地は「おかいこ」に深い係わりがある

  「絹」の生産地だったのである。 

   ところで、黄帝の正妃は「嫘祖」という。

  前にも引いた「大載禮記・帝繁」は

  「黄帝居軒轅之丘、娶于西陵異氏之子謂之嫘祖氏」とあり、

  史記五帝」本紀もこれを引いて

  「黄帝居軒轅之丘、而娶於西陵氏之女、

   是爲嫘祖、嫘祖爲黄帝正妃」とある。

  このように「嫘祖」は黄帝の正妃である。

  その出自「西陵」は漢書に

  「蠶陵縣、郡北二百二十里、本蠶叢邑也、漢武元鼎中開爲縣」

  とある「蠶陵」である。

  その地は現在の成都市・広漢市の西北

  珉江の松潘市の南方に当たる。

  つまり、三星堆遺跡からはそう遠くない。

  この地域は書経「禹貢」のいう「和夷」の住む所である。

  「西」「蠶」の関係だが、哈尼語によると「蠶」は〔tsha〕といい、

  漢語の「西〔xi:シ〕」とほとんど同じで、音写である。

  同音はまた「蜀〔su〕」や、

  また成都市の「成:セイ」ともなっており、

  この地が養蚕の地であることを示している。

  さらなる重要点は「嫘祖」の「嫘」が哈尼語簡志で〔tcha〕とあり、

  これも〔tsha〕にほとんど同音で「蠶」を指している。

  「累」の漢語義は「まとめる、重ねる」で「繭」に相当される。

  「女」が付されているのは「正妃」だからである。

  「嫘祖」とは「繭の祖先」で

  「世本」が「爲黄帝元妃嫘祖、教民養蠶」というのを初め

  「嫘祖開蠶」とか「嫘祖始蠶」というように「養蚕の祖」と解釈される。

  そこで「和夷」の「和」、哈尼族の「哈」との関連をみると、
  
  これらの元語は同じで「虫」の語義であるUHがそれである。

  「おかいこ:蠶」は虫である。

  その傍証、現在同族は北方勢力に圧迫され四川省南部、

  雲南省へと移住しているが、一部はタイ国内地域まで南下し、

  そこでは「アカ族」と呼ばれており、

  その「アカ」がAHでまた「虫」を表わしていることである。

  同族を「阿尼族」と「ア」を呼称するのもこの用語AHに依る。

  つまり和人〔和夷〕はシナ大陸で最初に養蚕技法〔野蚕〕を

  見出し拡大させた人々だったのであり、

  それは古代の当時では衣料や祭祀用の重要な産品を

  もたらした先端技術だったのである。

  あの三星堆遺跡では燃やされて灰となった絹が

  多量に出土している。

  「蠶:おかいこ」の食するのは「桑」であるが、

  この漢字の元になった文字も甲骨文字〔6959〕にあり、

  商(殷)に対して従ったり反叛(反攻)したりしたシナ周辺の

  小国の名称でもある(甲骨文字簡明詞典)。

  桑は広葉樹類に属することからすると四川省以南、

  揚子江沿いの植物でいわゆる温帯亜熱帯のもので、
 
  この桑の繁殖できる地域のみ養蚕は可能である。

  「脱文解字」には「蠶所食葉木」とある。

  よって、紀元後1世紀には蠶と桑との関係が

  漢人にも知られるようになっておいたことを示している。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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