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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
※出典:『日本創世記』著者「小嶋秋彦」:23~25頁
倭人と東夷の原像
―和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させた―
姒氏〔姫氏〕
これに対し「姒氏」についてはどうか。
その発音は[ssu]は「姫氏」の「姫:シ」に由来するとみられる。
「姫」字も甲骨文字(亀甲文字20815)にある。
同字の「臣」は「亀甲文字:目」が元で
これは「亀甲文字:目」をタテにしたものである。
現在「臣下」のように使われているが、
本来「目を上に向ける」語柄で、
「臣下」は「王ないし皇帝を見上げ崇める」の語義となる。
殷(商)時代に多くみられる「臣」字の意義はそれである。
しかし、その背後には「目を上げて天に向く」、
つまり「神」に対する崇拝の態度を表現する語柄がある。
この語性は「夷」字に係わる用語として
白川静が「字通」で指摘した「尸」字の語義「祭司」に相当し、
男性の「巫」を表わす。
そこに「女」が付され「姫」となれば
「神を崇拝する(神を司る)女」で「巫女」を表わすこととなる。
日本語ではこれを「ヒメ」と訓むのはPA・ME〔呼ぶ‐神託〕で
「神に呼び掛ける役目の女」に依っている。
よって「姫氏」とは「天神を崇拝する人々」となる。
「見」は「見上げる人:目+人」の語義で、
「視」を「シ」と表現するように「臣」は「シン」というより
本来「シ」で「姒〔ssu〕」に近い。
「目」を「シ」と表現することをここで確定している理由は、
シナの西南部四川省あるいは雲南省にいる
少数民族「彝族」「哈尼族」あるいは「納西族」の
言葉によっているからである。
1985年の「彝語簡志」は「眼清:瞳」を〔no-dzi〕〔na-du〕、
また同じ頃の「哈尼語簡志」は「眼清」を〔nia,matsi,natsj〕とし、
明治期に日本の民俗学者鳥井龍蔵が収集した「目」に当たる用語は
「中国の少数民族地帯をゆく」によると
〔nitt,nisu,nes,ness〕などとある。
このうち〔n-〕語は本来「石」、
〔dzj,du,ja,tsi,ts〕〔-tt,-s,-su〕が
「目」の語義を表わしている。
「眼清」あるいは〔n-dzi〕はつまり「目の石」で「瞳」をいう。
〔ma-,m-〕は日本語で当該部分を「メ」というのに同じで、
鳥井龍蔵の収集語のうちに〔med〕とあり同語が混在している。
それは「マツ」で日本語の「目の毛」である「マツ毛」に相当する。
いずれにしても
同族類では「目」を「シ」あるいは「ツィ」と表現している。
これらの用語収集は19世紀のことである。
彝族の用語に「夷」を〔zi〕といっているのも参考になる。
本書が検討しているのは現在あるいは鳥井龍蔵の時より
2千年以上3千年も前の古い時代である。
その間の転訛などの変化を考慮しなければならないし、
地域差も加味しなければならない。
しかし、
「姫」は「シ」にして「姫氏」は「シ氏」にして「眼族」と解釈される。
つまり、黄帝から夏王朝の始祖禹までは姒族にして「姫氏」で、
姬族とは全く別系の人々であることが判明してくる
その夏王朝の「夏」は哈尼語にze,je,ja,彝語でsiと
現在でも表音されるように正に「シ:眼」と同意にして
姫氏の出であることを示している。
史記の五帝本紀には司馬遷かあるいはその一族の意図か、
双方をあえて同族とみなそうとする企図がある。
図1 帝から始まる「帝」の系譜[史記]
図2 古代資料ににる「姫」「姬」
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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