2015年6月4日木曜日

姒氏〔姫氏〕

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 ※出典:『日本創世記』著者「小嶋秋彦」:23~25頁

 倭人と東夷の原像

     ―和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させた―


  姒氏〔姫氏〕

   これに対し「姒氏」についてはどうか。

  その発音は[ssu]は「姫氏」の「姫:シ」に由来するとみられる。

  「姫」字も甲骨文字(亀甲文字20815)にある。

  同字の「臣」は「亀甲文字:目」が元で

  これは「亀甲文字:目」をタテにしたものである。

  現在「臣下」のように使われているが、

  本来「目を上に向ける」語柄で、

  「臣下」は「王ないし皇帝を見上げ崇める」の語義となる。

  殷(商)時代に多くみられる「臣」字の意義はそれである。

  しかし、その背後には「目を上げて天に向く」、

  つまり「神」に対する崇拝の態度を表現する語柄がある。

  この語性は「夷」字に係わる用語として

  白川静が「字通」で指摘した「尸」字の語義「祭司」に相当し、

  男性の「巫」を表わす。

  そこに「女」が付され「姫」となれば

  「神を崇拝する(神を司る)女」で「巫女」を表わすこととなる。

  日本語ではこれを「ヒメ」と訓むのはPA・ME〔呼ぶ‐神託〕で

  「神に呼び掛ける役目の女」に依っている。

  よって「姫氏」とは「天神を崇拝する人々」となる。

  「見」は「見上げる人:目+人」の語義で、

  「視」を「シ」と表現するように「臣」は「シン」というより

  本来「シ」で「姒〔ssu〕」に近い。

  「目」を「シ」と表現することをここで確定している理由は、

  シナの西南部四川省あるいは雲南省にいる

  少数民族「彝族」「哈尼族」あるいは「納西族」の

  言葉によっているからである。

  1985年の「彝語簡志」は「眼清:瞳」を〔no-dzi〕〔na-du〕、

  また同じ頃の「哈尼語簡志」は「眼清」を〔nia,matsi,natsj〕とし、

  明治期に日本の民俗学者鳥井龍蔵が収集した「目」に当たる用語は

  「中国の少数民族地帯をゆく」によると

  〔nitt,nisu,nes,ness〕などとある。

  このうち〔n-〕語は本来「石」、

  〔dzj,du,ja,tsi,ts〕〔-tt,-s,-su〕が

  「目」の語義を表わしている。

  「眼清」あるいは〔n-dzi〕はつまり「目の石」で「瞳」をいう。

  〔ma-,m-〕は日本語で当該部分を「メ」というのに同じで、

  鳥井龍蔵の収集語のうちに〔med〕とあり同語が混在している。

  それは「マツ」で日本語の「目の毛」である「マツ毛」に相当する。

  いずれにしても

  同族類では「目」を「シ」あるいは「ツィ」と表現している。

  これらの用語収集は19世紀のことである。

  彝族の用語に「夷」を〔zi〕といっているのも参考になる。

  本書が検討しているのは現在あるいは鳥井龍蔵の時より

  2千年以上3千年も前の古い時代である。

  その間の転訛などの変化を考慮しなければならないし、

  地域差も加味しなければならない。

  しかし、

  「姫」は「シ」にして「姫氏」は「シ氏」にして「眼族」と解釈される。

  つまり、黄帝から夏王朝の始祖禹までは姒族にして「姫氏」で、

  姬族とは全く別系の人々であることが判明してくる

  その夏王朝の「夏」は哈尼語にze,je,ja,彝語でsiと

  現在でも表音されるように正に「シ:眼」と同意にして

  姫氏の出であることを示している。

   史記の五帝本紀には司馬遷かあるいはその一族の意図か、

  双方をあえて同族とみなそうとする企図がある。

  図1 帝から始まる「帝」の系譜[史記] 

  図2 古代資料ににる「姫」「姬」

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 
 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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