2011年11月25日金曜日
種子島・広田遺跡について:種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ
ブログ:古代史ブログ講座「古代メソポタミアから大化の改新まで」
ジャンル:考古学・遺跡
タイトル:種子島・広田遺跡について
3.種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ※出典:加治木義博著・大学院講義録29
『古事記』は開巻第一に皇祖を「天の御中主神」と書いたのだ。
これが美智能宇斯=道の大人(うし)=『神武天皇紀』の道の臣の命、
語源=美紐縫・ビシェヌウ神で、
神武天皇=垂仁天皇(高句麗の山上王・位宮)を高句麗で救け、
琉球へ連れ戻した種子島×高句麗海軍の総帥だった人物である。
その別名は豊玉彦。豊玉姫の父で、垂仁天皇は彦日日出見の尊、
娘婿だから「入彦=入り婿」を名乗るのである。
しかし『記・紀』はそれを男王制に書替え、
彼の五人の娘・日葉酢姫=壹與らを後妻扱いしているが、
本来の「倭=ウワイ」の優婆畏=女王制は卑弥呼以前から実在していたことがわかる。
南種子町・広田遺跡出土のギリシャ文字を装飾化した貝製のカメオ細工は、
ギリシャの女神アテナ像や、
インドの仏像類にみるものと共通のもので、
女性祭祀王の身体装飾品とみるしかない。
男王制は後のもの名のである。
貝細工カメオは地中海で発展したもので、
道の大人が率いていたのはギリシャ海軍の流れを受け継いだもの、
海神ポセイドンが百済出水(後に出雲)という国名を生んだのも、
道の大人がビシュヌウ神を名乗り、
卑弥呼がペマカ「愛」、
それがマレー語でカシー呼ばれて、
香椎・観世音(カシイ)と当て字されたのも、
すべてギリシャ・インド文明が沖縄から種子島を経て、
南九州に上陸した史実を、
疑いようもなく立証している証拠群である。
「豊玉媛陵」
宝満神社の境内から見ると鳥居の正面に御陵がある。
その田では日本最古の[赤米]が今も作られている。
また釜の蒸気の鳴る音で神意を占う神事もここがルーツで、
卑弥呼の『鬼道』がギリシャ起源であることを物語っている。
神秘な「千倉(ちくら)の岩屋」
スサノオが高天が原を追放されたとき、
罰にこの岩屋の置き戸を背負わされたという。
広田遺跡と共に南種子町にある。
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