2011年11月24日木曜日
種子島・広田遺跡について:「竜宮城」は実在していた!
ブログ:古代史ブログ講座「古代メソポタミアから大化の改新まで」
ジャンル:考古学・遺跡
タイトル:種子島・広田遺跡について
2.「竜宮城」は実在していた!出典「:加治木義博著・日本国誕生の秘密」
写真:広田遺跡のギリシャ文字カメオ
種子島の南岸、広田遺跡から出土した貝殻製装飾品。
そこに影られた文字はギリシャ文字で、
(左上から)Yα=ヤ、XMO=クモ、ΦαTso=タツオー、
(右上から)Yox=ヨク・ユク・ヤク、∑PΦα=スルタ・シロタ・サルタ、soΦ=ソトと読める。
『広田遺跡のギリシャ文字カメオ』
昭和30年9月、台風22号が南種子町の広田海岸を襲いました。
荒れ狂った高潮が退いた跡に、白い人骨が散乱しているのを長田茂氏が見つけた。
そこで広田遺跡調査団が組織され、32年から足掛け3年をかけて発掘調査が進められた。
その結果、
そこは弥生時代中期から後期に及ぶ埋葬遺跡で、
古代中国系と、インドシナ系の二つの系統の埋葬習俗が合流した
集団墓地であることがわかったと発表された。
埋葬遺骨は百余体にのぼり、様々な彫刻をした貝殻製の装身具類も多数見つかった。
その中には古代中国の戦国時代に始まる独特の文様を彫ったとされる「貝符」や、
竜の形を象(かたど)った「竜佩(はい)」。
さらに「山」の字を隷書(れいしょ)体で彫ったものが見つかって、
日本最古の文字として有名になりました。
ところが私(加治木義博)が綿密に調査してみると、
何と! それまで中国の古代文様だとされていたものは実はギリシャ文字だった。
それは「αY=アイ=愛」というその人々の理想の信条と
「XMO=クモ・雲=クマ=高離=熊」と
いう族名をあらわしていました。
この地域の名の熊毛とは、「クマのギリシャ」という意味があり、
熊襲=日本と呼ばれたこと、
「広=ヒロ=日の国」「広=コウ=高=高・武・什・タカラ」で、
卑弥呼の原名=ヒーミャグァ=日の宮子やヒルメ=日留女、
高志の八俣大蛇、高千穂、武内宿弥、斉明天皇、竹取りの翁にまで
直接関係していることなどからみて、
現在ではこれが「日本誕生」の最古の遺物である。
紀元前1世紀、
この付近には、
すでにギリシャ文化と中国文化とが合流した先進文化圏が現実に実在していた。
浦島(山幸彦=山上王位宮=垂仁天皇=神武天皇)が3世紀に、
そこで見たのは、まさに絵にも画けないほどの「竜宮城」。
豪華けんらんたる「海の神」の都だった。
そこには、紀元前から「ヤマ神」を信仰する人々がいた。
「山幸彦・山上・大和」の名詞は、間違いなく、
ここには実在していたのです。
この貝彫刻の発想と技術は、地中海名物の「カメオ」と同じもので、
ギリシャ文字がなぜ種子ガ島に?という疑問を吹き飛ばしてしまう。
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