2011年11月23日水曜日

種子島・広田遺跡について:「和人史」総括年表:抜粋



ブログ:古代史ブログ講座「古代メソポタミアから大化の改新まで」

ジャンル:考古学・遺跡

タイトル:種子島・広田遺跡について

1.「和人史」総括年表:抜粋※出典:加治木義博著・「邪馬壹国大移動:」

○ 紀元前18世紀。バビロニア第一王朝滅びる。カレン(カリエン)人の放浪生活、始まる。

○ 紀元前1523年。中国に商(シャン)=後の殷(イン)帝国起こる。
その繁栄は宝貝によって支えられていた。カレン人は沖縄海域で宝貝産業に従事。
沖縄の貝塚からは宝貝の貝塚出ない。

○ 弥生時代。種子ガ島の広田遺跡付近に「山」という漢字や、古代中国の文様を彫った
装飾品をもった人々がいた。その付近は今も水稲や「赤米」を祭祀用に栽培している。
古代辰韓(タツカラ)

○ 紀元前高句麗、北朝鮮に建国。その国名は宝貝を意味する。
地名、数詞は日本語。
沖縄から九州本土西部を北上した痕跡『三国史記』「高句麗本紀」の地名、
王名に残っている。

○ 紀元前140年。漢の武帝即位

○ 紀元前108年。漢、衛(えい)氏朝鮮を滅ぼし朝鮮四郡を置く。

    ○ 紀元前 82年。漢、朝鮮四郡を見捨て、漢の勢力減退していく。         

○ 紀元前 75年。漢、遼東玄兔(げんと)城を建設。

 ○ 紀元前 70年。月氏、烏孫の敦煌周辺を占領、仏教圏生まれる。烏孫の移動始まる。
烏孫(ウーソン)人の一部は長江を下って、旧[呉]地域などに移住。

○ 紀元前 53年。烏孫国大乱。

 ○ 紀元前 40頃。北鮮の高句麗地域には殷代から続く宝貝供給基地があったが、
この頃までに高句麗建国。国名は宝貝と採集者である船団の指導者
[漕ぐ人・コグリョ・高句麗]に由来する。
地名、数詞は日本語と同じで、沖縄から九州本土
西部を北上した痕跡が『三国史記』「高句麗本紀」の地名、王名に残っている。

○3世紀 朝鮮に馬韓・辰韓・弁辰古三韓あり。
三国とも日本語名の小国で構成されている。

○ 244年。高句麗・山上王位宮、北朝鮮より敗走、行方不明になる。

○ 244年。新羅始祖・赫居世(のちの倭女王「壹與」と諸条件が一致)、沖縄・与那原で即位。

○ 246年。辰韓の「臣濆沽」国主、帯方郡の崎離宮を攻めて太守を殺し、臣濆沽国、滅亡。

○ 247年。狗奴国男王・卑弥弓呼素、邪馬臺国を攻撃。
卑弥呼死ぬ。大冢を作る。古墳時代の始まりか?。

○ 247年。2代目卑弥呼・御間城姫、立つが、夫・崇神天皇の自立で内乱起こり、
邪馬臺国消える。

 ○ 247年。3代目卑弥呼・壹與、立つ。;邪馬壹国起こる。
筆頭官「伊支馬」は山上王位宮=垂仁天皇。

○ 247年?。鹿児島県知覧に古代新羅「鶏林」が都する。
福岡が白日別と呼ばれ新羅「斯盧」時代に一致する。

○ 425年頃。倭王・珍の名乗りに始めて新羅・百済の名がある。
このころ朝鮮に始めて古墳ができる。

○ 663年。新羅王・金春秋、百済を滅ぼす。こののち天智天皇即位。
神武東征」革命で倭国滅ぶ。

○ 670年。倭国、国号を「日本国」に変える。

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