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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
第1章 倭人と東夷の原像
―和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させた―
(10)倭の養蚕の地
「三國志魏書」倭人伝に
「種木稲紵麻蠶桑緝績出細紵縑緜」とあり、
東洋文庫の解訳には
「人々は稲や麻を植え、桑を栽培し蚕を飼って糸を緝績ぎ、
細麻や縑や緜を産出する」とある。
後漢書にもほとんど同じような文面があるが、
これは「魏書」に倣って作成されたことが確実との評価である。
三國志の時代は主に3世紀であるが、
当時日本列島で養蚕が始まっていたのである。
この養蚕の担い手も「和人」である
「倭人」であったことが確実である。
そしてその対象の地域は九州方面でしかない。
同地域には哈尼族(あるいは彝族)の言葉による地名など
養蚕に係わる解釈可能な用語が広くある。
因みに、近畿方面には養蚕に係わる「倭語」はほとんどない。
シナ、韓半島、日本に共通した「倭語」の名詞呼称の例は
前に「黄帝」の別称「軒轅」で解説した「星」である。
山海経に「列故射」あるいは「故射國」との記述がある。
その「海内北経」に
「朝鮮は列島の東の海、北山の南にあり、列陽は燕に属す。
列故射は海の中にあり、故射國は海中にあり。
列故射に属し、西南には山をめぐらす」とある。
「列陽」は現在の山東省山東半島の内奥に「萊陽」市があり、
いわゆる「萊夷」の地で北方は燕に接していた。
「列故射」の「列」は倭語の[lug]の漢語音写で
語義は「山」、「故射」は「コヤ」と訓み倭語の「星」、
訓音「kea,hea」で当該語は「星山」である。
その山及び「故射國[星国]」の所在地は、
「朝鮮在列陽東」とあるように、
列陽からみて東方に当たり、黄海の向うで、
「列故射在海河洲中」との記述に習えば、
いわゆる韓半島で、
当時[紀元前5世紀以前]は「洲[島]」とみられており、
そこに「星山」及び「星国」があったと解釈される。
その当該地は韓半島南部になるが、
実際に「星山」「星国」は古代から現在に至るまで
地称と実在している。
現在の慶尚北道の南道との境界にある
伽耶山が「星山」で「高霊」が「星国」である。
同山の北側に星州の町があるが、
その辺りはかって星山郡であった。
同地から南方の釜山市へ流れる川を「洛東江」と称すが、
「洛」は「列」と同根の「山」なので、
同江の語義は「伽耶山の東を流れる川[河]」となる。
「三國史記」雑志第三には「康州」のうちに「星山郡」名を載せ、
後〔紀元11世紀〕に加利県としたとある。
また「高霊郡」を載せ
「もと大伽耶国で、
始祖の伊珍阿豉王より道設智王に至るまで16代520年。
真興大王が侵略し滅ぼし、その地を大伽耶郡とした」とある。
滅ぼされたのは562年で、
紀元後すぐに起った国であったことが解かる。
その中心勢力が倭人であったことに間違いない。
「加利県」名は「三國遺事」で「伽落」あるいは「駕洛」などと
表記された地称と同じで「星山」にして「伽耶山」を指している。
「韓」を日本で「カラ」と呼称してきたのはこれに由来する。
長崎県対馬にも「星山」はある。
「上県」に大星山(峰町)と高野山(上県町)が
町境を挟んで並立したいる。
「高野(こうや)」も「星」である。
さらに日本列島内をみると、和歌山県伊都郡かつらぎ町に、
伝承によると天から隕石が落ちてきたことから
星山、星川の地称ができたという地区がある。
「星」は「こうや:高野」であり、町名として成った。
さらに愛知県の「名古屋」市名及び佐賀県呼子町の「名護屋」は
双方とも語源を同じくし、
「ナ[名]」は倭語の[ni]の音写で「霊」ないし「神」の呼称、
「コヤ[古屋・護屋]」は「高野」と同じであり、
同語は[神・星]で「星神」を表わす。
これらの地名由来は韓半島及び日本列島へ倭人〔和人〕人が渡来し、
その言葉を定着させた証拠である。
さらに養蚕技法、
また本書では説明対象としていないものの
倭人が「水耕稲作」を伝えてきたとの証左になっている。
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