2015年7月12日日曜日

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 第1章 倭人と東夷の原像

     ―和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させた―

  (2)夷

   三国志の「東夷」また「准夷」の「夷」は

  歴史上極めて特徴ある用語である。

  一般にその語義は「東方の人」あるいは「人々」と解釈される。

  三国志魏書より古い「後漢書」にも「東夷伝」があり、

  「東方白夷」とあり、シナの東方を「夷という」とある。

  そしてそこに住む人々として「夷有九種」といい、

  「畎夷于夷方夷黄夷白夷赤夷玄夷風夷陽夷」を上げる。

  さらにこれは紀元前前漢時代に記された

  「竹書紀年」の后祖2年の「黄夷」、7年「于夷」、小康即位年の「方夷」に

  従ったものである。

  これらの記述にみられる「東夷」の地は山海経「海内北経」のいう

  「倭」地域と同じとみることができる。

   「東夷」には同時代の歴史を記した

  「春秋左氏伝」に極めて興味ある記事がある。

  「杞国」に係わるものである。

  「杞国」は「史記」夏本紀の終末で殷(商)の

  「湯王夏の後を封ず」とあって、

  夏王朝の王族に殷成立後王侯としいて土地を与えたといっている。

  それに続く夏王朝を建てた「禹」の後裔の姓のうちに杞氏を記している。

  杞は江南省の杞県に当たり、

  丁度黄河が西方から流れてきて北東へ曲折する地点の南方にある。

  まず「杞氏」が夏王朝族の後裔であることに注意すべきで

  重要な点である。

  次に「春秋左氏伝」のうちから「杞」「夷」とある記述をひろってみる。


    僖公(紀元前659-627) 廿有3年11月杞の成公卒す。

   書して子(し)と言曰ふは杞、夷なればなり。

   〇杞は伯爵であるのに子(子爵)と書いてあるのは、

   杞伯がえびすの礼を行なっているからである。

    廿有7年春杞の桓公来朝す。

   夷の礼を用ふ。故に子と曰ふ。杞を卑しむ。杞不恭なればなり。

   〇杞の桓公が魯に来朝したが、えびすの礼儀作法を用いたので、

   その爵位を貶して「子」といったのである。

   魯の僖公が杞をいやしんだのは、杞がえびすの礼をもちいて

   つつしみがなかったからである。

    襄公(紀元前572-543) 廿有9年 杞は夏の餘なり。

   東夷の即く。〇杞は夏の後裔であり東夷について

   (東夷の作法に従って)夷礼を行っている。


   これらの記述から夏王朝が「夷」族の人々が成した王朝であり、

  殷(商)や周の人々とは全くの異族であったことを証明している。

  つまり今日の表現でいえば、「夷族」は全く漢族ではなかった。

  史記の第6「陳・杞世家」においては以下のようになる。


   杞の東僂公は夏公禹の苗裔なり。殷の時或は封ぜられ、或は絶ゆ。

   周の武王殷紐に克ち、禹の後を求め、東僂公を得、之を杞に封じ、

   以て夏后氏の祀を奉ぜしむ〔禹の後は周の武王之を杞に封ず〕。


   これらの記述から夏王朝が「夷」族の人々が成した王朝であり、

  殷(商)や周の人々とは全くの異族であったことを証明している。

  つまり今日の表現でいえば、「夷族」は全く漢族ではなかった。

  史記の第6「陳・杞世家」においては以下のようになる。


   杞の東僂公は夏公禹の苗裔なり。殷の時或は封ぜられ、或は絶ゆ。

   周の武王殷紐に克ち、禹の後を求め、東僂公を得、之を杞に封じ、

   以て夏后氏の祀を奉ぜしむ〔禹の後は周の武王之を杞に封ず〕。


   さて「夷」字は古代のシナではどう発音されたのだろうか。

  白川静の「字通」に従えば[jiei]で、これは「夷」の初文(字)である

  「尸」[sjiei]の頭音[s]の脱落したものだという。

  「尸」の語義は「つかさどる」で「祭祀を司ことを尸という」とある。

  [sjiei]は興味深い。

  「史記」五帝本紀が「帝禹を夏后と爲す。而して氏を別って姓を姒氏」

  とある「姒」とはほとんど同音である。

  その語義は「あね」で「姉」と同義である。

  「娰」の発音は[ssu]である。

  新釈漢文大系より五帝本紀の当該部分を転記する。


   黄帝より舜・禹に至るまで皆同姓なり。

   而して其國號を異にして、以て明徳を章かにす。

   故に黄帝を有熊と爲し、帝顓頊を高陽と爲し、

   帝嚳を高辛と爲し、帝堯を陶唐と爲し、

   帝舜を有虞と爲し、帝禹を夏后と爲す。

   而して氏を別かって、姓は姒氏。

   契を商と爲す。姓は子氏。

   弃を周と爲す。姓は姫氏。

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