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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―
司馬遷の『史記』(卷二十八封禪書 第六)
秦④
〔孔子は語らず〕
それから百年以上も後のことになるが、
孔子が六芸:りくげい(易・書・詩・礼・楽・春秋の六経のこと)
の意味を述べた。
その解説の中に、姓を易(か)えて(前王朝を倒して)王となり、
泰山で封のまつりをし、梁父山で禅のまつりをした
七十人に余る王について、あらましを述べていながら、
その時俎豆(そとう)の礼については明らかにしていない。
それはおそらく言うことをはばかってであろう。
〔なぜなら〕ある人が禘:てい(王者が始祖を祀るとき天帝を配祀する礼)
についての詳細をたずねたところ、
孔子は、
「知りません! もし禘についての詳細を知っているなら、
そういう人が天下のことをした場合、
自分の手のひらの中のものを指し示すようなものだ」
と言っており(論語の八佾篇にみえる)、
〔また〕紐が位にある限り、文王は天命を受けても、
まつりごとは泰山まで及ぼさず、
武王は殷に勝って二年目め、
天下がまだ安定しないうちに崩じてしまったことであり、
詩に『いまし周の徳あまねし、これぞ成王!』というから、
成王が封禅をしたのは、まず道理に近かったのであるが、
〔周も〕晩年になると、陪臣がまつりごとをとり、
季氏(魯の国の大夫の季孫氏)は泰山で旅(りょ)
(山祭り。諸侯が自分の領土内の山川を祀るまつり)のまつりをしたので、
仲尼はこれをそしっている(論語の八佾篇にみえる)。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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