2014年12月11日木曜日

封禅書(7)


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 司馬遷の『史記』(卷二十八封禪書 第六)

 秦④

 〔孔子は語らず〕

 それから百年以上も後のことになるが、
 
 孔子が六芸:りくげい(易・書・詩・礼・楽・春秋の六経のこと)

 の意味を述べた。

 その解説の中に、姓を易(か)えて(前王朝を倒して)王となり、

 泰山で封のまつりをし、梁父山で禅のまつりをした

 七十人に余る王について、あらましを述べていながら、

 その時俎豆(そとう)の礼については明らかにしていない。

 それはおそらく言うことをはばかってであろう。

 〔なぜなら〕ある人が禘:てい(王者が始祖を祀るとき天帝を配祀する礼)

 についての詳細をたずねたところ、

 孔子は、

 「知りません! もし禘についての詳細を知っているなら、

  そういう人が天下のことをした場合、

  自分の手のひらの中のものを指し示すようなものだ」

 と言っており(論語の八佾篇にみえる)、

 〔また〕紐が位にある限り、文王は天命を受けても、

 まつりごとは泰山まで及ぼさず、

 武王は殷に勝って二年目め、

 天下がまだ安定しないうちに崩じてしまったことであり、

 詩に『いまし周の徳あまねし、これぞ成王!』というから、

 成王が封禅をしたのは、まず道理に近かったのであるが、

 〔周も〕晩年になると、陪臣がまつりごとをとり、

 季氏(魯の国の大夫の季孫氏)は泰山で旅(りょ)

 (山祭り。諸侯が自分の領土内の山川を祀るまつり)のまつりをしたので、

 
 仲尼はこれをそしっている(論語の八佾篇にみえる)。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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