2014年10月14日火曜日

哈尼族・阿尼族


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 「和人〔倭人〕の祖語哈尼族〔阿尼族〕の信仰は多神教」

 ≪哈尼族・阿尼族≫

 哈尼[ハニ] 族

 哈尼族の祖先は、南下した古代羌族だといわれる。

 哀牢山などの山地に住み、見事な階段状の棚田を築きあげ、

 農暦一○月または六月に迎える正月にはモチをつく。

 西双版納の哈尼族は、有名な普洱茶を栽培している。

 《哈尼族の生活地域》

 哈尼族は人口一○五万八八三六(一九八二年の統計)、

 雲南省中南部に居住し、

 哀牢山と無量山の間の広々とした山地に集中的に分布している。

 哀牢山にある元江、墨江、紅河、緑春、金平、元陽、江城などの県は

 哈尼族が特に集中している地区で、

 その数約七七万人、哈尼族全体の七六パーセントを占める。

 無量山区の哈尼族は一○数万人で、

 そのうち瀾滄に四万人、西双版納(シツソンバンナ)に

 一○万一○○○余人が分布し、

 その他の県にはあまり分布していない。

 哈尼族は多くの自称をもち、

 「哈尼(ハニ)」「卡多(カトウ)」「豪尼(ホニ)」「碧約(ピーヨー)」

 「布都(プトオ)」「白宏(ポホ)」などを

 自称する七つの集団の人数が比較的多い。

 中国の史籍にみられる歴史的名称には、「和夷(ホイ)」「和蛮(ホマン)」

 「和泥(ホニ)」「窩泥(ウオニ)」「阿尼(アニ)」「哈尼(ハニ)」等々がある。

 新中国成立後は哈尼族に呼び名が統一された。

 哈尼族の居住する山地は気候が温和で降水量も多く、

 多種類の農作物の栽培に適している。

 農作物は稲を中心とし、トウモロコシ、豆類、ソバ、小麦、粟などの

 雑穀の栽培もひろくおこなわれている。

 商品作物には茶、落花生、サトウキビ、棉花、藍、紫梗などがある。

 そのうち墨江の紫腰(シエラツク)(寄生虫が分泌する一種の樹脂)と

 西双版納南糯(ナンノウ)山に産する茶は、

 国内外から高い評判を博している。

 《哈尼族の歴史》

 哈尼族の歴史は古く、他の彝語支の民族同様、

 中国古代人を祖先としている。

 史籍の記載によると、氐(てい)・羌(きょう)族は

 もともとチべット高原で遊牧をおこなっていたが、

 のちにだんだんと南へ移住して四川西南部や雲南北部などの

 広大な地域に散らばり、

 前三世紀頃になって哈尼族の祖先たちが

 二つのルートに分かれて南へ向かった。

 一つは昔の「和夷(ホイ)」であり、

 四川西南部から昆明一帯を経て南へ向かい、

 雲南東南部の六詔山地区にいたった。

 もう一つは雲南西北部から南へ向かい、

 大理湖岸の盆地を経て哀牢山地区と無量山地区に分かれて南下した。

 唐・宋代、雲南東南部の六詔山地区に、

 「和蛮(ホマン)」の集落があらわれ、

 まず「南詔(なんしよう)」、ついで「大理」政権のもとに統轄された。

 一三世紀中葉、

 元王朝が「大理」政権を滅ぼし、諸「部」を統一して雲南行省を設置した。

 元の憲宗六年(一二五六年)、阿棘 (アボ)万戸府をたて、

 「県二、千戸一、州三を領し」、

 現在の紅河州の大部分と文山州の一部を統轄した。

 その後、今度は羅甸(らでん)に元江万戸府、思陀に和泥路を設置して

 和泥(ホニ)の首領を土官(巻末注参照)とし、

 それぞれ雲南行省に直属させた。

 明のはじめ、雲南行中書省を雲南布政使司と改め、

 少数民族の集居地区に宣慰司、宣撫司、按撫司、御夷州を設置した。

 哀牢山和泥地区には相ついで各部長官司を設立し、

 多くは土官がその任についた。

 清王朝は改土帰流

 (少数民族の土官を廃し、中央政府派遣の流官に改めること。巻末注参照)

 を実行し、

 哀牢山和泥地区では因遠羅必旬長官司を廃し元江州の管轄に属させた。

 そして馬龍他郎甸長官司、紐丌(ちゆうごつ)長官司を他郎庁(墨江)と改め、

 普洱(プアル)府に隷属させた。

 (略……)


 《暦と行事》

 哈尼族の祝祭日は

 伝統的な「十月年(シイユエニエン)」(十月正月)、

 「六月年(リユウユエニエン)」(六月正月)のほか、

 漢族の習慣にならって春節、端午節、中秋節も祝う。

 紅河南岸および内地の吟尼族は一○月を年の始めとしているため、

 「十月年」を「大年(ダアニエン)」(正月)と称している。

 その期間は約半月だが、具体的な期日は各村落で異なり、前後にずれる。

 条件のある人や富裕な家は、みな豚を殺し、

 「杷杷(パアパア)」(モチ米などをこねて焼いた餅)をつき、

 黄色のおこわを蒸して天地や祖先に供える。

 人々は正月には盛装して親戚や友人を訪問し、求婚、婚約をおこなう。

 前の年に嫁に行った娘たちが春節の期間もどってきて、

 村の外の山林に集まり、

 互いに自分たちの新婚生活を打ち明けあうのだが、

 それを他の男女が盗み聞きすることは厳禁で、

 もし見つかったらみんなから罰を受ける。

 西双版納一帯の新年は時期がやや遅く、「夏托帕(ガトパ)」といわれ、

 これは年を換えるという意味である。

 「六月年」も楽しい祝日で、紅河地区では「苦紮紮(クチャチャ)」、

 西双版納では「耶苦紮(イエクチャ)」という。

 時期は一般に農暦の六月二四日前後で、期間は四日から六日である。

 期間中は村単位で牛を殺して

 「秋房(チユウフアン)」(供犠をおこなう場所)をまつり、

 牛肉を各家々に分けて祖先をまつる。

 青年たちは集いあって一緒にブランコ、レスリングや狩りを楽しみ、

 山歌をうたって歌垣をおこなうなど、内容が豊富で多彩である。

 西双版納地区では「六月年」の間、既婚未婚にかかわらず、

 男女がみな自由に社交活動に参加でき、互いに干渉しない。

 その他の地区では、この特殊な古い習俗は酒歌のなかに残されるのみである。

 墨江などでは農暦の六月二四日に

 火把節(フオパーチェ)(たいまつ祭り)を祝い、

 日暮れかた各村々でたいまつを燃やすのだが、

 火はめらめらと燃え上がり、空を赤く染める。

 たいまつは高さ数丈で、

 細く割いた松や竹を干してくくったものを用いるが、

 たいまつの太さにはいろいろあり、

 最大のものは直径五、六○センチにもなる。

 たいまつによっては上に各種の果物をくくり、火が燃えて糸が切れ、

 果物が落ちると、みんなで奪いあって遊ぶ。

 老若男女がたいまつの周囲をかこみ、太鼓や銅鑼をたたいて伴奏し、

 夜を徹して思う存分朝まで歌い、踊りつづける。

 (略……)

 「写真」“愛尼"の人々は、人が死ぬと、

     米一椀、卵一個、茶の葉を持って死者に別れを告げに来る。

     死者の家では、小さな豚を殺してその肝臓で占いをし、

     大きな豚を殺してその肉を各戸に配り、村人への盛謝をあらわす。

     村の男性は山にのぼり木を切って、死者のために棺をつくる。

     棺を穴におさめたあと、棺の蓋を開け家族は最後の別れを告げる

 《哈尼族の歴史》
 「氐(てい)・羌(きょう)族」
 「哈尼族の祝祭日」
 「山歌をうたって歌垣」
 「火把節」
 「愛尼族」
 「哈尼族・阿尼族」
 「哈尼族の祖先は、南下した古代羌族だといわれる」
 「哀牢山」
 「階段状の棚田」
 「西双版納の哈尼族は、有名な普洱茶を栽培している」
 「哈尼族の生活地域」
 「哀牢山と無量山」
 「西双版納南糯(ナンノウ)山」 

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
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2014年10月13日月曜日

哈尼族


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 「和人〔倭人〕の祖語哈尼族〔阿尼族〕の信仰は多神教」

 ≪哈尼族≫

 《一、族名》

 ”哈尼”、”豪泥”、”黒泥”、”和泥”

 等都是哈尼族不同地区人群自称、音叉基本一致。

 ”哈”、”和”是構成飛禽曽名称的詞素、表示這類名称的類別、

 而”尼”是”女性、”人”的意思、合在一起就是”人”的意思。

 《二、人口与分布》

 哈尼族1978年約96万人、1952年ため105.940万人、1990年為125.395万人。

 哈尼族主要分布区為東経99.8°-104°、北緯21.0°-24.0°之間、

 処于漢、彝、白、俸、拉枯等族分布区的中間地帯、

 并有苗、瑤、回、壮、布朗等族分布其間。

 主要分布在云雲南省南部元江和瀾滄江之間。

 亦即哀牢山脈與无元量山脈之間。

 哀牢山区是暗尼族最集中的地区、

 人口約 70 多萬、占本族怠人口的 76 % 、

 佔這些地区的怠人口的一半以上、

 元量山区的暗尼族有 10 多萬人。

 其中瀾滄江有近 4 萬人。

 西雙版納約有 10 萬人。

 其餘各具分佈校少。


 《三、語言與文字》
 
 哈尼語屬漢藏語系藏緬語族彝語支、

 又分吟(尼)、優(尼)、碧(約)卡(多)、

 豪(尼)白(宏)三種方言和若乾土語。

 哈尼族無文字、解放後曽為哈尼族創制了一套拼音文字方案、但尚未普及。

 《四、族源》

 哈尼與彝、拉枯等同源于古代北方的羌人。

 羌原遊牧于青藏高原、後逐漸向南迂移。

 根据哈尼族的伝説和歴史記載分析、

 公元前 3 世紀、

 哈尼族的先民已居住在今四川大渡河南岸及雅砮江以東的沼澤地帯

 及阿尼河(安宁河)流域、或大渡河與金沙江的交汇地区。

 以後分両条路銭再向南迂移、一条四川西部南迂、

 経姫昆明一帯再往南、迂至漠東南的六沼山地区、

 別一条自滇西北往南、経大理湖挨平埋,

 然後又分別南下到哀牢山、無量山区,継而向南、直至西雙版納等地。

 以下略

 ※出典:「中国的民族」29頁
      社若甫・葉傅昇著 科学出版社 1994

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


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2014年10月12日日曜日

≪古事記≫天孫降臨


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 《参考:年表・資料》

 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 ≪古事記≫天孫降臨

 (原文)

 爾天兒屋命 布刀玉命 天宇受賣命 伊斯許理度賣命 玉祖命并五伴緒矣 支加而 天降也 於是副賜其遠岐斯【此三字以音】八尺勾鏡 及草那藝劍 亦常世思金神 手力男神 天石門別神而 詔者 此之鏡者專爲我御魂而 如拜吾前伊都岐奉 次思金神者取持前事爲政 此二柱神者 拜祭佐久久斯侶 伊須受能宮【自佐至能以音】次登由宇氣神 此者坐外宮之度相神者也 次天石戸別神 亦名謂櫛石窓神 亦名謂豐石窓神 此神者御門之神也 次手力男神者坐佐那縣也 故其天兒屋命者【中臣連等之祖】 布刀玉命者【忌部首等之祖】 天宇受賣命者【猿女君等之祖】 伊斯許理度賣命者【鏡作連等之祖】 玉祖命者【玉祖連等之祖】

 (訳文)

 爾くして、天兒屋(あめのこやね)の命・布刀玉(ふとだま)の命・天宇受賣(あめのうずめ)の命・伊斯許理度賣(いしこりどめ)の命・玉祖(たまのおや)の命、并せて五伴緒(いつとものお)を支(わか)ち加えて天降しき。 是に其の遠(お)岐(き)斯(し)【此の三字は音を以ちてす】八尺勾(やさかのまがたま)、鏡、及び草那藝の劍、また常世思金(とこよのおもいかね)の神、手力男(たぢからお)の神、天石門別(あめのいわとわけ)の神を副(そ)え賜いて詔らさくは、「此の鏡は專(もは)ら我が御魂と爲(し)て、吾が前を拜(おろが)むが如く伊(い)都(つ)岐(き)奉(まつ)れ。 次に思金の神は前(さき)の事を取り持ちて政(まつりごと)を爲せ」と、のりき。 此の二た柱の神は、佐久久斯侶伊須受能宮(さくくしろいすずのみや)【佐より能までは音を以ちてす】を拜(おろが)み祭る。 次に登由宇氣(とゆうけ)の神、此は外宮(とつみや)の度相(わたらい)に坐(いま)す神なり。 次に天石戸別(あめのいわとわけ)の神、またの名を櫛石窓(くしいわまど)の神と謂い、またの名を豐石窓(とよいわまど)の神と謂う、此の神は御門(みかど)の神なり。 次に手力男(たぢからお)の神は佐那縣(さなあがた)に坐すなり。 故、其の天兒屋(あめのこやね)の命は【中臣連(なかとみのむらじ)等の祖(おや)】。 布刀玉(ふとだま)の命は【忌部首(いんべのおびと)等の祖(おや)】。 天宇受賣(あめのうずめ)の命は【猿女君(さるめのきみ)等の祖(おや)】。 伊斯許理度賣(いしこりどめ)の命は【鏡作連(かがみつくりのむらじ)等の祖(おや)】。 玉祖(たまのおや)の命は【玉祖連(たまのおやのむらじ)等の祖(おや)】。

 (原文)

 故爾詔天津日子番能邇邇藝命而 離天之石位 押分天之八重多那【此二字以音】雲而 伊都能知和岐知和岐弖【自伊以下十字以音】於天浮橋宇岐士摩理蘇理多多斯弖【自宇以下十一字亦以音】天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣【自久以下六字以音】 故爾天忍日命 天津久米命二人取負天之石靭 取佩頭椎之大刀 取持天之波士弓 手挾天之眞鹿兒矢立御前而仕奉 故其天忍日命【此者大伴連等之祖】天津久米命【此者久米直等之祖也】

 (訳文)

 故、爾くして天津日子番能邇邇藝(あまつひこほのににぎ)の命に詔りて、天の石位(いわくら)を離れ、天の八重の多(た)那(な)【此の二字は音を以ちてす】雲を押し分けて、伊(い)都(つ)能(の)知(ち)和(わ)岐(き)知(ち)和(わ)岐(き)弖(て)【伊より下の十字は音を以ちてす】、天の浮橋(うきはし)に宇(う)岐(き)士(じ)摩(ま)理(り)蘇(そ)理(り)多(た)多(た)斯(し)弖(て)【宇より下の十一字は音を以ちてす】、竺紫(ちくし)の日向(ひむか)の高千穗(たかちほ)の久(く)士(じ)布(ふ)流(る)多(た)氣(け)【久より下の六字は音を以ちてす】に天降り坐しき。 故、爾くして天忍日(あめのおしひ)の命、天津久米(あまつくめ)の命の二人、天の石靭(いわゆき)を取り負い、頭椎(くぶつち)の大刀(たち)を取り佩き、天の波士弓(はじゆみ)を取り持ち、天の眞鹿兒矢(まかごや)を手挾(たばさ)み、御前(みさき)に立ちて仕え奉りき。 故、其の天忍日(あめのおしひ)の命【此は大伴連(おおとものむらじ)等の祖(おや)】、天津久米(あまつくめ)の命【此は久米直(くめのあたい)等の祖(おや)なり】。

 (原文)

 於是詔之 此地者向韓國 眞來通笠紗之御前而 朝日之直刺國 夕日之日照國也 故此地甚吉地詔而 於底津石根宮柱布斗斯理 於高天原氷椽多迦斯理而坐也

 (訳文)

 是に詔らさく、「此地(ここ)は韓國(からくに)向かい、笠紗(かささ)の御前(みさき)に眞來通(まきどお)りて、朝日の直(ただ)刺す國、夕日の日照る國なり。 故、此地(ここ)は甚(いと)吉(よ)き地」と、詔りて、底津石根(そこついわね)に宮柱布(ふ)斗(と)斯(し)理(り)、高天原に氷椽(ひぎ)多(た)迦(か)斯(し)理(り)て坐(いま)しき。

 ※出典:古代史獺祭

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『堀貞雄の古代史・探訪館
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》



 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年10月7日火曜日

日光泉太郎と東山道(15)

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 《参考:年表・資料》
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 ≪日光泉太郎と東山道≫

 出典:「日本古典文学大系」:166~167頁
     発行:岩波書店

 古事記中卷●1代神武

 ……
 
 邇神八井命、讓弟建沼河耳命曰、

 吾者不能殺仇。汝命既得殺仇。故、吾雖兄不宜爲上。

 是以汝命、爲上治天下。

 僕者扶汝命、

 爲忌人而仕奉也。

 故、其日子八井命者、【茨田連手嶋連之祖】

 神八井耳命者、

 【意富臣

 小子部連

 坂合部連

 火君

 大分君

 阿蘇君

 筑紫三家連

 雀部臣

 雀部造

 小長谷造
 
 都祁直

 伊余國造

 科野國造

 道奧石城國造

 常道仲國造

 長狹國造

 伊勢船木直

 尾張丹波臣、

 嶋田臣

 等之祖也】

 神沼河耳命者、治天下也。

 凡此神倭伊波禮毘古天皇御年、

 壹佰參拾漆歳。

 御陵在畝火山之北方白梼尾上也。
 

 邇に神八井の命、
 
 弟(おと)建沼河耳の命に讓りて曰(まを)しけらく、

 「吾(あ)は仇(あた)を殺すことは能はず。

  汝命(いましみこと)既に仇を得(え)殺したまひき。

  故、吾は雖兄なれども上(かみ)と爲(な)るべからず。

  是を以ちて汝命爲上(かみ)爲りて、天の下治らすめせ。

  僕(あ)は汝命を扶(たす)けて、

  忌人(いはひびと)と爲(な)りて、仕へ奉らむ。」

 とまをしき。

 故、其日子八井の命は、【茨田連、手嶋連の祖】

 神八井耳の命は、

 【意富臣

  小子部連

  坂合部連

  火君

  大分君

  阿蘇君

  筑紫三家連

  雀部臣

  雀部造

  小長谷造
 
  都祁直

  伊余國造

  科野國造

  道奧石城國造

  常道仲國造

  長狹國造

  伊勢船木直

  尾張丹波臣、

  嶋田臣

  等の祖なり】

 神沼河耳の命は、天の下治らしめしき。

 凡(おほよ)そ此の神倭伊波禮毘古の天皇の御年(みとし)、

 壹佰參拾漆歳(ももちまりみそじまりななとせ)。

 御陵(みはか)は畝火山の北の方の白梼(かし)の尾(を)の上に在り。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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日光泉太郎と東山道(14)

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 ≪日光泉太郎と東山道≫

 日光山志 巻之一 33~35頁
 植田孟縉 編輯 

 神橋(みはし)

 神護景雲元年勝道(しょうどう)上人(しゃうにん)

 跋渉(ばつせふ)のみぎり

 此所(このところ)に来(きた)り給(たまひ)しに

 両岸(りゃうがん)の絶崕(ぜつがい)高(たか)く聳(そびえ)

 漲水(ちゃうすゐ)盤(はん)渦(くた)してたたるべきやうなかりしかば

 道公(どうこう)輞然(まうぜん)として厳上に跪(ひざまづ)き

 丹心(たんしん)をくだき神仏に祈誓(きせい)し

 暫(しばらく)念誦(ねんじゅ)し玉ひけるに

 髣髴(ほうふつ)として北崕(ほくがい)に深沙大王の尊容あらはれ

 御手(おんて)に持(もち)玉ふ青赤(せいしゃく)の毒蛇を

 大河に向(むかひ)て放(はなち)玉ふと

 居(を)る而(ところ)に忽(たとまち)飄然(へう ぜん)として

 虹霓(こうげい)の山間に浮(うかべ)るに

 北岸より南崕まで一條の長橋を架せり

 上人奇異の思ひをなし深く大権の冥助を釛喜ましく

 信心者に徹し玉ふといへどもいまだ凡慮を免き給はざれば

 大蛇の長橋を望(のぞ)みしばし躊躇しゐふ所に

 又不思議なる哉(かな)

 蛇橋の上に忽(たちまち)救根の山菅を生じ

 山間に一路を新に開きたるにこととず

 上人いわく
 
 「勝道上人開闢の時深砂大王の加護を得て蛇橋を渡り登山したまふ図」

 蛇 mas(阿曇語)

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年10月5日日曜日

日光泉太郎と東山道(13)

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 ≪日光泉太郎と東山道≫

 延喜式神名帳 東山道 上野國
 
 上野國:12座 大3小9

  片岡郡[カタヲカ]:1座 

   小祝神社[オハフリ]群馬県高崎市石原町1245

  甘楽郡[カンラ]:2座大1小1

   貫前神社[ヌキサキ](名神大) 群馬県富岡市一之宮1535 

   宇藝神社[ウケ]宇藝神社[ウケ]

  群馬郡[クルマノ]:3座大1小2 

   伊加保神社[イカホ](名神大) 群馬県北群馬郡伊香保町伊香保1

   榛名神社[ハルナ] 群馬県群馬郡榛名町榛名山849
 
   甲波宿禰神社[かわすくね]群馬県渋川市行幸田673 

   武内神社[たけうち]群馬県渋川市祖母島499

  勢多郡[セタ]:1座大

   赤城神社[アカキ](名神大)群馬県勢多郡富士見村赤城山小鳥ヶ島

   赤城神社[あかぎ]群馬県勢多郡宮城村三夜沢114

   二宮赤城神社群馬県前橋市二之宮町886

  山田郡[ヤマタ]:2座並小

   賀茂神社[カモ]群馬県桐生市広沢町6-833

   美和神社[ミワ]群馬県桐生市宮本町2-1-1

  那波郡[ナハ]:2座並小

   火雷神社[ホノイカツチ]
 
   火雷神社[からい]群馬県佐波郡玉村町下之宮甲524

   倭文神社[シトリ]

   倭文神社[しどり]群馬県伊勢崎市東上之宮町字明神東380

  佐位郡[サヰ]:1座小 

   大國神社[オホクニ]

   大国神社[おおくに]群馬県佐波郡境町下渕名2827

  延喜式神名帳 東山道 陸奥國
 
 下野国:11座 大1小10

  都賀郡[ツカ]:3座並小 

   大神社[オホムワノ]

   大神神社[おおみわ]栃木県栃木市惣社町477

   大神神社[おおみわ]栃木県栃木市平井町659

   大前神社[オホサキノ]

   大前神社[おおまえの]栃木県下都賀郡藤岡町大前383

   村檜神社[ムラヒノ]

   村檜神社[むらひ]栃木県下都賀郡岩舟町小野寺4697

   胸形神社[むなかた]栃木県鹿沼市村井町108

  河内郡[カウチ]:1座大 

   二荒山神社[フタアラノ](名神大)

   二荒山神社[ふたあらさん]栃木県日光市山内2307

   二荒山神社[ふたあらさん]栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1

  芳賀郡[ハカ]:2座並小

   大前神社[オホサキ]

   大前神社[おおさき]栃木県真岡市東郷937

   荒樫神社[アラカシ]

   荒橿神社[あらかし]栃木県芳賀郡茂木町小井戸325

   大前神社に合祀栃木県真岡市東郷937

  那須郡[ナス]:3座並小 
  
   健武山神社[タケムヤマ]

   健武山神社[たけぶやま]栃木県那須郡馬頭町健武2302

   温泉神社[ユノ] 

   温泉神社[おんせん]栃木県那須郡那須町湯本上ノ山182

   三和神社[ミワ]

   [みわ]栃木県那須郡小川町大字三輪726

  寒川郡[サムカハ]:2座並小 

   阿房神社[アハ]

   安房神社[あわ]栃木県小山市粟宮1615

   ムナ形神社[ムナカタ]

   胸形神社[むなかた]栃木県小山市寒川1730

   網戸神社[あじと]栃木県小山市網戸102

  延喜式神名帳 東山道 下野國

 
 陸奥國:100座 大15小85

  白河郡[シラカハ]:7座大1小6 

   都都古和氣神社[ツツコワケ](名神大)

   都々古別神社[つつこわけ]福島県東白川郡棚倉町馬場39

   都々古別神社福島県東白川郡棚倉町大字八槻字大宮224

   伊波止和氣神社[イハトワケ]

   伊波止和気神社[いわとわけ]福島県東白川郡古殿町大字田口字戸神269
   
   白河神社[シラカハ]

   白河神社[しらかわ]福島県白河市大字旗宿関ノ森120

   八溝嶺神社[ヤミソノ]

   八溝嶺神社[やみぞみね]茨城県久慈郡大子町上野宮2129


   飯豊比賣神社[イヒトヨヒメ]

   飯豊比賣神社[いいとよひめ]福島県西白河郡大信村大字豊地字鰻谷地1

   永倉神社[ナカクラ]

   永倉神社[ながくら]福島県西白河郡西郷村大字長坂字長坂36

   石都都古和氣神社[イハツツコワケ]

   石都都古別神社[いわつつこわけ]福島県石川郡石川町下泉296


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

2014年10月4日土曜日

日光泉太郎と東山道(12)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 古代史獺祭

 ≪日光泉太郎と東山道≫

 <鉢伏山>

 出典:「小泉小太郎」:「日本の民話10.信濃・越中扁
     <「信濃の民話編集委員会編>昭和51年(1976年)未来社
     179~183頁

  小泉小太郎つづき(東筑摩郡)

  「まあずでっけえ湖でねえか。国ひとつ、すぽーんと入るほどだに。」

 小太郎は手を口にあてて、

  「おっかさーん。」

 とよんだ。

  すると、湖の水が大きくうねり、がばがばと波立つたかと思うと、

 いつのまにか小太郎の前に美しい女の人が立っていた。

  「小太郎、よくきておくれた。母さんはお前のくるのを、

   長い間まっていたんだよ。」

  それは、かって十五年前、

 独鈷山の若い坊様を訪ねた人と全く同じであった。

  針をさされた為にその毒がまわって、

 ついに蛇の正体をあらわして鞍淵に身をなげたが、

 はげしい流れにおし流されるうちに、針は洗い流され、体は清められ、

 そしてこの湖へたどりつく事ができたのである。

  「おっかさん、おら話すことがある。

   この湖の水、田んぼのない村へ流すことはできねえか。

   この湖をひろい田んぼにかえることはできねえものか……。」

  小太郎はじいんと胸のあつかなった事を思い出して、

 さっそく母にたずねてみた。

  母はそれを聞くと急に涙ぐんで頭をたれた。

  「小太郎よ。この湖はな、母さんの大切な湖なんだよ。

   この湖があれば母さんはいつまでも長生きできるし、

   お前とここで幸せにくらすことだってできるんだよ……。」

  「でもなおっかさん、おら、人の役にたちたいんだ。

   おら、旅をしてきたが、この国はどこをあるいても山また山。

   みんな立ってもおれねえようなところに畠を作って生きている。

   ここにはこんなに水があるのに、

   まわりの土地では水がなくて田んぼも作れねえ。

   おっかさん、おら、力があまっているで、

   明日からでも山をきりひらいて、

   この水流してやりてえんだ!」

  思いつめた小太郎の言葉にうたれて母は立ち上がった。

  「お前がそれまでいうなら母さんも力をかしてあげよう。

   しかしどんのことがあっても、

   おどろいたり悲しんだりしてはいけない。

   小太郎、わかったね。」

  そう云うと母は身をおどらせて湖へとびこんだ。

 と、たちまち水は渦をおこし、

  白い霧をふきだして、母の姿は大きな龍にかわってしまった。

  「小太郎、これが母さんの本当の姿です。

   母さんが生きていくためには広い湖がいるのです。

   この湖の水を流せば母さんはまた

   他の湖をさがして旅をしなければならない。

   でもお前のために、いや、水のない、土地のない百姓のために、

   母さんも力をかしてあげよう。」

  「ありがとう。おっかさん、おらやるよ! そしておら、

   いつまでもおっかさんと一緒に生きるよ……。」

 次の朝。

  小太郎を背にのせて犀龍はゆったりと湖の上を泳いでいた。

 湖は朝日にてらされてキラキラと波をきらまかせ、湖をかこむ山々は、

 ある時は赤く、ある時は青く、ある時は紫に、刻々と色をかえて輝いていた。

  「小太郎、この湖がどうしてできたかを話してあげよう。

   その昔、天の神さまが五色の石を天でねっておいでになた時、

   まちがってその石の一つをおとしてしまった。

   石はものすごい勢いで地面をふかくえぐってとびちった。

   そのとびちった石のかけらが山となり、

   深くえぐられたくぼみにできたのがこの湖なのだよ。」

 母のいう通り、

 まわりの山々はいかにも天から落ちた五色の石のかけらのように、

 するどい峰を天にむかってつきたたていた。

  「小太郎、この山をきりひらくことは大変なことです。

   母さんは満身の力をこめて、あの山々にぶつかります。

   しかし、そのために眼がくらんで方向をあやまるかもしれない。

   お前はしっかり母さんにつかまって、

   私の眼がくらんだらさしずをしておくれ。

   それからどんなことがあっても、

   途中で泣いたり、やめようなどといってはいけませんよ」

  「おっかさん。おら、おっかさんの子だ。きっとやってみせる。」

  「それでは今夜からはじまます。

   山をきりくずすまで何日かかるかもしれないけど、

   お前と力をあわせて、

   この湖の水を遠い北の国までみちびくのです。」

  それから犀龍はじっと眼をとじて神々に祈った。

  小太郎も体にあふれる力をおさえてしかり母の背にのっていた。

  やがて日がとっぷりくれた。

  「小太郎。さおれではいよいよはじめます。

   しっかりつかまって、いいね小太郎。」

 犀龍はカット眼をみひらき、天高く体をのばした。

 ど、ど、ど。どーっ……。

 たちまち空には黒雲がわきおこり、はがしい風雨が野山に吹きあれた。

 するどいいなずまがたえまなく、天にそびえる山々をてらしだした。

  「小太郎いいかい。」

  「おっかさん。」

 あれ狂う雨風をしたがえて、犀龍はどっと山にぶつかた。

 しかし、山はびくともしない。

 あらしは何日もつづいた。

 犀龍の眼はくらみ、吐く息は炎のよう、

 体中に傷を負いながらひるみもせずに山にぶつかる。

  「おっかさん、こっち、こっちの山だ・」

 小太郎の声がさかまく波と黒雲をつらぬいてひびきわたる。

  「動いたよ。おっかさん。山がうごきはじめていた。」
 
  「もう一息だ、おっかさん。」

  「ようし。」

 犀龍が最後の力をふるしぼってぶつかった時、ど、ど、ど、ど、ど、……。

 はげしい山鳴りと共に、山はくずれ、

 そのさけ目から水が滝となって流れおちた。

 流れにのって……小太郎をのせた犀龍は山をきりひらき、

 森林をおし流し、

 とうとうと信濃国をつらぬいて北の海へおどりだしていった。

  はじめて雲がきれて、光りの筋が地上をてらした。

  ちょうど夜明けであった。

  新しく生まれた川がキラキラ光ってどこまでも続いていた。

  山々にかこまれた湖の底からたいらかな、

 よく肥えた土地が次第に現れていくのがよく見えた。

  犀龍と小太郎がそれからどこへいったかは知らない。

  だが、洪水や日でりで人々が苦しんでいる時、

 この犀龍にのった小太郎が現れたのを見た人がいるという。

 そして川は今でも犀川とよばれ、湖の後に生まれた土地こそ、

 今の松本、安曇の両平野だったのである。

 後記

 このお話は筑摩の里におさまましたが、

 各地にいろいろな形となっている伝説です。

 所によっては白龍太郎とも泉小太郎ともよばれています。

 南安曇、北安曇、東筑摩、小県の各部にのこっているお話をまとめ、

 小県郡丸子町の黒坂周平先生や塩田町の宮島博敏さんのお話も参考にして、

 これを一つの物語にしました。


 再話 瀬川 拓男

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 
 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ