2013年10月11日金曜日
伊勢大神宮寺
『伊勢神宮』
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出典:「仏教史大辞典」66~69頁
伊勢大神宮寺(いせだいじんぐうじ)
伊勢神宮に法楽を奉る目的でつくられた神宮寺。
『続日本紀』文武天皇二年(六九八)十二月二十九日条に
多気大神宮寺(ただし「寺」の字は一本にのみ存する)を度会郡に遷すとみえ、
天平神護二年(七六六)七月二十三日条には
伊勢大神宮寺に丈六仏像を造ったとあり、
宝亀三年(七七ニ)八月六日条に
大神宮のたたりにより度会郡の神宮寺を
また飯高郡度瀬山一房に、さらに同十一年他の地へ移すとある。
『伊勢名勝志』に
度瀬山は神山の旧名で神山の中にいま神宮寺の字が残ると記している。
(村山 修一)
「伊勢大神宮寺」
「丈六仏像」
『伊勢名勝志』
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伊勢大神宮参詣精進条々
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出典:「仏教史大辞典」66~69頁
伊勢大神宮参詣精進条々(いせだいじんぐうさんけいしようじんじょうじょう)
中世の伊勢神宮の服忌令。
著者不詳。
一巻。
奥書に「永亨十二年(一四四○)正月廿三日書之」とあるが、
それは書写の時期で、成立を示すものではない。
『文保記』によると、
文保二年(一三一八)二月十七日に神宮の庁舎で
美濃・尾張などの国々に「太神宮参詣精進法」を告知した。
それは美濃・尾張などの国々からの参詣者が増加し、
古来からの慣例が無視されるという現象がみられるようになったためである。
『文保記』のほかに『永正記』 がまとめられ、
また精進法を仮名で示したものがいくつもみられるのは、
この時期の参詣者の層が広い範囲に及んだためである。
中世に明応八年(一四九九)の
「豊後一宮八幡宮服忌令」(「宮成万里文書』)、
慶長十五年(一六一○)の「広田社服忌令」、
応永十年(一四○三)の「山城御霊社服忌令」、
文明九年(一四七七)の「大社物忌量」などの服忌令がみられるのは、
参詣者の層が中世になり変化したためである。
『続群書類従』神祇部所収。
(参考文献)
『群書解題』 一下、
岡田重精「伊勢神宮をめぐる忌と政」(『 皇学館大学紀要』 一三)
(西垣 晴次)
「伊勢大神宮参詣精進条々」
「伊勢神道(いせしんとう)」
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2013年10月10日木曜日
伊勢太神宮参詣記
『伊勢神宮』
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出典:「仏教史大辞典」66~69頁
伊勢太神宮参詣記(いせだいじんぐうさんけいき)
康永元年(一三四二)十月の伊勢参宮紀行。
『太神宮参詣記』
『伊勢参詣記』
『士(十)仏参詣記』 などともいう。
著者は京都の医師坂十仏(『群書類従』 に士仏とするは誤り)。
一巻。
伊勢の安濃津に筆を起し、
途中斎宮の旧跡を訪らい、
ついで両大神宮および諸別宮などに詣で、
朝熊山を経て二見浦に遊び、
山田の宿所三宝院における連歌会に列したことで終っている。
道中の風物についての詩歌や両宮を詠じた長歌など、
流麗典雅な筆致と相まって文学作品としても推重されるが、
特に外宮一禰宜度会家行に面晤して、
その教えを聴き、
その神道説を随所に書き留めるとともに、
敬虔な敬神崇祖の態度が行文ににじみ出ていることは大きな特色であり、
紀行文の白眉というだけでなく、
神道書としても注目すべきで、
『群書類従』がこれを神祇部に収録したゆえんであろう。
伝本として群書類従本のほか、
慶安四年(一六五一)・貞享元年(一六八四)・元禄二年(一六八九、度会延佳頭書)などの
各板本があり、『扶桑拾葉集』にも収められている。
「参考文献」
久志本常彰『参詣記纂註』(『大神宮叢書』神宮参拝記大成)
加藤玄智『(研究評釈)坂翁大神宮参詣記』(『冨山房百科文庫』)
同「坂翁大神宮参詣記について」(『参詣記纂註』 昭和十八年刊本付録所収)
『群書解題』一中「太神宮参詣記」
(小島 鉦作)
《伊勢太神宮参詣記》
「伊勢太神宮参詣記」
《伊勢神道(いせしんとう)》
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伊勢神道(いせしんとう)(2)
『伊勢神宮』
遷宮
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出典:「仏教史大辞典」66~69頁
伊勢神道(いせしんとう):2
「周辺の主要な文献〕
伊勢神宮の外部の人々の手になる書で、
伊勢神道教説の成立と展開を知る上で重要なものも少なくない。
たとえば無住は弘長のころに伊勢神宮に参詣しており、
『沙石集』には形成期の伊勢神道の側面を伝える説話が収められている。
参詣記の中で特に重要なものは『通海参詣記』 であろう。
通海は真言宗の僧であったが、伊勢神宮の祭主大中臣隆通の子であったから、
神宮に関する知識も豊かであり、僧侶の立場で弘安のころの状況を記述している。
また坂十仏『伊勢太神宮参詣記』は家行の教説を参詣者の立場で記録している。
参詣記以外では天台宗の僧慈遍が著わした
『神懐論』『旧事本紀玄義』『豊葦原神風和記』をあげねばならない。
慈遍はト部氏の出で、吉田兼好の兄弟にあたる。
その神道説には伊勢神道の影響が強くあらわれており、
伊勢神道を発展させ吉田神道をはじめ他の神道説へと
影響を及ぼしている点で重要である。
また北畠親房の『神皇正統記』や『元々集』が
伊勢神道の影響を強く受けていることはよく知られている。
〔教説の特色〕
以上の典籍を概観し、
そこで主要な論点となっている問題を通じて教説の特色を考えると、
第一に伊勢神宮の由来についての論述をあげねばならない。
この点で作者たちの古典に関する知識は必ずしも豊かではなく、
『日本書紀』をはじめとする国史はあまり参照されておらず、
『古事記』もほとんど読まれていない。
おそらく神宮に伝えられていた古伝承をもとにして、
京都の公家知識人との交流のないところで作られたものと思われる。
古伝承という点からみて重要な部分は
神宮の伺官が伝えていた禁忌に関するものである。
伊勢神宮は他の神社に比してきわめて厳格な禁忌を守っていたらしく、
仏教との緊張関係も強かったから、それが神道説を生み出す力にもなっていた。
第二の論点は内宮と外宮の関係についての主張である。
それはたとえば外宮の祭神である豊受大神はまたの名を
御饌津神というが、「ミケツ」のミは水であり、五行説でいう水徳にあたる。
水は万物の根源であるから、豊受大神は根源神であり、国常立尊と同一であるという。
また内宮の祭神天照大神は地神の祖であり、
外宮の祭神は天御中主神の祖であるとし、天地・日月などに内外両宮を付会して、
両宮の関係は二宮一光に帰すると説く。
こうした論法の中心になっているのは密教的な習合思想で、
密教の金剛界・胎蔵界に両宮を付会するなどによってすべてを神秘化し、
権威づけようとする傾向が強い。
さらには陰陽五行説や老荘の説などもとり入れて神宮の諸事を説明するところは、
参詣者を納得させようとした詞官の意図が見てとれる。
第三に大きな論点となっているのは神と仏の関係である。
天照大神と豊受大神はともに無上の神であり、仏の根本であると説く神主仏従の思想は、
神道説の発展とともに変化を示しているが、元来日本の神の神格が不明確である上に、
仏教と対抗しようとしても仏教というものを適確に把握することはきわめて困難であったから、
神や仏の性格という点で両者の優劣を考えるという方向へは進まず、
いずれがより天地開開の昔に近いか、万物の根源に近いかという形で論断する傾向が強い。
そうして家行の教説では天地開開の直前における空無の瞬間を
神の境地であると説く一種の神秘主義となっている。
そこで第四に神道説の唱える実践の問題となるが、
それは清浄・正直の心の状態を実現し、
一心不乱に祈藤することが肝要であると説かれる。
この神秘主義的な体験を得るためには厳重な禁忌が必要であった。
第五に政治思想の側面を見ておかねばならない。
もともと都から離れた伊勢の神職団の内部で生まれたこの教説は、
きわめて観念的な政治思想しか持っていなかった。
しかし、伊勢神宮の権威を宣伝し、仏教に対する神道の立場を主張した結果、
統一的な国家の権威を説くようになり、神と天皇の合一を説くようになった。
王法と仏法が相即していた状態が解体した時には神道による秩序の回復が
あるべき方向だと考えられたのである。
しかし、清浄・正直の心と祈祷では現実の政治過程に対処できなかった。
北畠親房や慈遍が儒教をはじめとする政治思想を別にとりいれることによって、
新しい思想を展開していることに、そのことはよく示されている。
伊勢神道は共同体的な祭祀によって成り立つ神社の信仰と、
教説を掲げて新しい教団を組織して行く方向との両面を持っていたが、
実際に教団を組織することはできなかった。
「参考文献」
吉見幸和『五部書説耕』
大西源一『大神宮史要』
宮地直一『神道史』
中一、津田左右吉『日本の神道』(『津田左右吉全集』九)
西田長男『日本古典の史的研究』
久保田収『由世神道の研究』
萩原竜夫『中世祭肥組織の研究増補版』
(大隅和雄)
《伊勢神道(いせしんとう)》
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日本書紀:巻第一・神代上(かみのよのかみのまき)
『伊勢神宮』
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出典:歴史学講座『創世』うらわ塾
:歴史研究家「小嶋 秋彦」
講演資料25頁:2010/12/23
出典:岩倉紙芝居館 古典館 日本書紀 1-1 上田 啓之
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkanp700/koten/shoki1.htm
1-1 天地のはじめ
「日本書紀:巻第一・神代上(かみのよのかみのまき)」第一段
古(いにしへ)天地(あめつち)未剖(わか) 陰陽(めを)不分 渾沌(まろか)
如鷄子(とりのこ) 溟涬(ほのか)而含(ふふむ)牙(きざし)
及其清(すみ)陽(あきらか)者 薄靡(たなび)而爲天(あめ) 重(おもく)濁(にご)者
淹滞(つつ)而爲地 精(くはしく)妙(たへ)之合(あふ)摶(むらがる)易(やすし)
重濁之凝(こる)竭(かたまる)難(かたし) 故(かれ)天先成而地後定
淮南子
(前漢武帝の頃、淮南王劉安<高祖の孫>が食客として抱えていた大勢の学者に命じて編纂させたもの、
武帝元狩元年、西紀前122年謀反発覚して自殺)天文訓に曰、天墜未だ形せず、
馮馮翼翼(ひょうひょうと漂い)、洞洞水屬水屬(どうどうと集まる)たり。
故に太始と曰う。太始虚雨郭(からっぽのひろがり)を生じ、虚雨郭宇宙(空間と時間)を生じ、
宇宙氣を生ず。氣に涯垠(区別)有り。
清陽なるは薄靡して天と為り、重濁なるは凝滞して地と為る。
清妙の合專(合わせてひとつになる)は易く、重濁の凝竭(かたまりつくす)は難し。
故に天先ず成り、地後に定まる。
俶眞訓に曰、未だ始めより、夫の未だ始めより無有る有らざること有らざる者有りとは、
天地未だ剖れず、陰陽未だ判れず、四時(四季)未だ分れず、萬物未だ生ぜず、汪然平静、
寂然清澄にして其の形を見る莫し。
芸文類聚引用三五歴紀に曰、天地混沌如鷄子。
太平御覧引用三五歴に曰、混沌状如鷄子あるいは溟水宰始牙。鷄子は鶏卵。
溟は薄暗いこと、涬(けい)は不明であるが、行幸というごとく訪れてくることを想定。
水宰は水のなかの沈殿物。牙は芽のこと。
何か液体で色も形もなくやって来るものになんらかの芽(きざし)が始る、
あるいは、薄暗く沈殿し、うごめくものが含まれというところ。
天地の地が鳥の飛ぶ空間、魚の生息する海まで含むとすれば、地下の底まで視野に入れる見方もあろう。
中国では、天は傘、地は裏返した皿で、北極星が中心と考える説があった。
皿の真中は底から6万里離れ、天の北極まで8万里、
天と地表は8万里の距離を保って四方八方に落ちこんでいるイメージである。
晋の時代の天文学者は、天は鶏の卵みたいなものであって、地は鶏の卵の黄味みたいなもので、
ぽつんと天の内部に位置している。天は大きくて、地は小さい。
天の表側と裏側には水がある。天と地はいずれも気に乗っかって定位し、水に載っかって運行する。
周天は365度と4分の1度ある。と述べている。
(晋書天文志:世界の名著)渾天儀で天体観測を行ない暦を編纂する中国の知識がもたらされ、
天に関して先進的なイメージを抱く人々もあったことであろう。
自らの伝承を、これらの記述に照らして編纂した。
古事記の天地初發之時 於高天原成神名 天之御中主神ではあまりに唐突であり、
それ以前の伝承を盛り込み、また、天地から入らず、古を入れたところに工夫がある。
混沌ではなく渾沌を選んだ。渾沌は荘子応帝王に中央の帝としてあらわれる。
渾は水がこんこんと流れるさま、沌は水がぐるぐる回るさま、
あるいはつんぼでひらけない愚かなさま。荘子ではこの渾沌を気の毒に思い、
穴をあけて見たり聞いたりできるように感覚を与えると死んだとある。
このイメージと卵の未分化な状態とに伝承を託したのであろう。
溟涬始牙でなく溟涬而含牙、芽を含むという表現を選んだ。
そこからものが生まれる状態を描いている。天地がうまれ、神がうまれる順序をととのえた。
以下略……
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2013年10月8日火曜日
風土記:伊勢國・的形浦他
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的形浦 (萬葉集註釋 卷第一)
風土記に云はく、的形の浦(松阪市黑部付近)は、此の浦の地形(くにがた)、的に似たり。
因りて名と為せり。今は已に跡絶えて江湖(いりえ)と成れり。
(景行)天皇、濱邊に行幸(いでま)して歌ひたまひしく。
ますらをの 獵矢(さつや)たばさみ 向ひ立ち 射るや的形 濱のさやけさ。
(今井似閑採択)
《萬葉集註釋》
「萬葉集註釋」
《「風土記逸文」伊勢國》
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度會郡 (倭姫命世記裏書)
風土記に曰はく、夫れ、度會の郡と號くる所以は、
畝傍の樫原の宮に御宇しめしし神倭磐餘彦の天皇(神武天皇)、天日別命に詔して、
國覔ぎたまひし時、度會の賀利佐の嶺に火氣(けぶり)發起(た)ちき。
天日別命視て、「此に小佐居るかも」と云ひて、使を遣りて見しむるに、
使者(つかひ)、還り來て申ししく、「大國玉の神あり」とまをしき。
賀利佐に到る時に、大國玉の神、使を遣りて、天日別命を迎へ奉りき。
因りて其の橋を造らしむるに、造り畢(を)へ堪(あ)へざる時に到りければ、
梓弓を以ちて橋と為して度(わた)らしめき。
爰(ここ)に、大國玉の神、彌豆佐々良姫命(みづささらひめのみこと)を資(もたら)し參(まゐ)來て、
土橋の郷の岡本の邑に迎へ相ひき。天日別命、觀地(くにみ)に出でて參り會ひて曰ひしく、
「刀自に度り會ひつ」といひき。因りて名と為す。
(今井似閑採択)
瀧原神宮 (伊勢内宮:存疑)
伊勢の國の風土記に曰はく、倭姫命、船に乘りて度會の上河(かみつかは)に上りまして、
瀧原の神の宮を定めたまひき。
(宮地直一採択)
伊勢(一説) (日本書紀私見聞:參考)
伊勢の國の風土記に云はく、伊勢と云ふは、伊賀の安志(あなし)の社に坐す神、出雲の神の子、
出雲健子命、又の名は伊勢都彦命、又の名は櫛玉命なり。
此の神、昔、石もて城を造りて此に坐しき。
ここに、安倍志命の神、來奪ひけれど、勝たずして還り却りき。因りて名と為す。
(伴信友採択)
安佐賀社 (大神宮儀式解 二:參考)
伊勢の風土記。
天照大神、美濃の國より廻りて、安濃の藤方の方樋(かたひ)の宮に到りましき。
時に、安佐賀山に荒ぶる神あり。
百(ももたり)の往人(たびびと)をば五十人(いそたり)亡(ころ)し、
四十(よそたり)の往人をば廾人(はたちびと)亡しき。
これに因りて、倭姫命、度會の郡の宇遲の村の五十鈴の河上の宮に入りまさず、
藤方の片樋の宮に齋き奉りき。
時に、阿佐賀山の荒悪(あら)ぶる神の為行(しわざ)を、
倭姫命、中臣の大鹿嶋命、伊勢の大若子命、忌部の玉櫛命を遣りて、天皇に奏聞(まを)さしめき。
天皇、詔りたまひしく、
「其の國は、大若子命の先祖(とほつおや)、天日別命の平(ことむ)けし山なり。
大若子命、其の神を祭り平(やは)して、倭姫命を五十鈴の宮に入れ奉れ」とのりたまひて、
即ち種々の幣(みてぐら)を賜ひて返し遣りたまひき。
大若子命、其の神を祭りて、已に保(やす)けく平定(しづ)めて、即ち社を安佐賀に立てて祭りき。
(木村正辞採択)
宇治郷 (伊勢二所皇太神宮神名秘書裏書:參考)
風土記に曰はく、宇治の郷は、風早の伊勢の國度會の郡の宇治の村の五十鈴の河上に、
宮社(みやしろ)を造りて太神(おほかみ)を齋き奉りき。
是に因りて、宇治の郷を以ちて内の郷と為しき。今は宇治の二つの字を以ちて郷の名と為す。
(伴信友採択)
度會・佐古久志呂 (萬葉緯所引神名秘書:參考)
風土記に云はく、度會と號くるは、川に作(おこ)る名のみ。
五十鈴は、神風(かむかぜ)の百船(ももふね)の度會の縣、
佐古久志呂(さこくしろ)宇治の五十鈴の河上と謂ふ。皆、
古語(ふること)に因りて名づくるなり。さこくしろは、河の水流れ通りて、
底に通(いた)る儀(ところ)なり。
(今井似閑採択)
八尋機殿・建郡 (萬葉緯所引神名秘書:參考)
風土記に云はく、機殿(はたどの)を八尋(やひろ)と號くるは、倭姫命、太神を齋き奉りし日、
作り立てしなり。此の神の邑を又、郷に號く。大同本紀に載せて具(つぶさ)なり。
又曰はく、難波の長柄(ながら)の豐碕の宮に御宇しめしし天皇(孝德天皇)の丙午のとし、
竹連・磯部直の二氏(ふたうぢ)、此の郡を建てき。
(今井似閑採択)
五十鈴 (萬葉緯所引神名秘書:參考)
五十鈴と曰ふは、風土記に云はく、是の日、八小男(やをとこ)、八小女(やをとめ)等、
此にこぞり逢ひて、いすすき接(まじ)はりき。因りて名と為す。
(今井似閑採択)
服機社 (倭姫命世記裏書:參考)
神服機殿(かむはとりどの)。倭姫命、飯野(松阪市)の高丘の宮に入りまし、
機屋を作りて大神の御衣(みぞ)を織らしめたまひき。高丘の宮より磯の宮に入りまし、
因りて社を其の地(ところ)に立てて、名づけて服機(はとり)の社と曰ふ。
(栗田寛採択)
麻績郷 (倭姫命世記裏書:參考)
麻績(をみ)の郷と號くるは、郡の北に神あり。此の神、大神の宮に荒妙の衣(みぞ)を奉る。
神麻績(かむをみ)の氏人等、此の村に別れ居りき。因りて名と為す。
(栗田寛採択)
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