2013年11月22日金曜日
牛と角と雷への崇敬・ミシャグチ神(3)
『武蔵一宮:氷川神社』
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武蔵一宮:氷川神社・境内案内
出典:加治木義博:邪馬臺国の言葉134~136頁
またインドでは牛が神聖視されている。
これは牡牛が<シバ>神の顕現であると信じられてきたためで、
牛や角が聖なるものの象徴とされるのである。
このことが理解できないとインドからマレー語圏、
さらに我が津々浦々に祭られる神社から伊勢神宮に至るまでの
「千木」の神聖さが不明になるのである。
その<ヌガンディ>の名をもつ<牛の像>は
実は我が国にも古くから祭られていた。
それは現在でもなお各地で見られる。
ほかでもない「天神様の牛」である。
世俗には菅原道実が太宰府へ流された際、
彼を運んだ牛車の牛であるとされている。
しかしこれは余りにも不合理な説明である。
供をしたのは牛だけではないし、
流人が船でなく牛車に乗って福岡まで行ったというのもおかしい。
よく考えてみると、
天神様の牛には全く必然性が無いことがわかるのである。
これは理由ははっきりしている。
天神様というのは菅公よりはるかに前から祭られていた神で、
当時すでに祭神の不明になっていた社に、
道実を合祀しただけのことなのである。
もうおわかりのように天(チヌ)神とは角(ツノ)神であり、
<牛>が本体あったのである。
そして同じ京都の大氏神(うじがみ)は
葵(アオイ)祭で名高い賀茂社であるが、
その祭神中の氏の祖は、
加茂建角身命であり、その孫神は賀茂別雷命である。
<角>と<雷>がセットになっていて、
天神様の先祖を証明しているのである。
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2013年11月21日木曜日
牛と角と雷への崇敬・ミシャグチ神(2)
『武蔵一宮:氷川神社』
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武蔵一宮:氷川神社・境内案内
出典:加治木義博:邪馬臺国の言葉134~136頁
「ミシャグチ神」とは何か。
これもパーリ語で読んでみると一遍に謎はとける。
シバ神の故郷インドには今は死語になったパーリ語という言語があった。
それによるとシバは幸福、吉祥を意味する。
これにはまた平安、安泰の意味も含まれている。
<シアワセ>という日本語と、この<シワ>も似ているが、
次のように熟語になる。
「シバ・ガミ・マッガ」。
これを直訳すると<安全の法>、<平安への道>ということになる。
これに対して「安全を護る」「守護する」はパーリ語で<グッチ>。
<供>、<従者>は<ミッサ>という。
「ミッサグッチ」とは<守護する供人>ということであり、
「ミシャグチ」神とは本来シバ神を守護する供神のことだったのである。
とすると、
諏訪の神使が各村にいる「ミシャグチ」神を召集して
神事を始める理由も初めて理解できるのである。
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2013年11月20日水曜日
牛と角と雷への崇敬・ミシャグチ神(1)
『武蔵一宮:氷川神社』
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武蔵一宮:氷川神社・境内案内
出典:加治木義博:邪馬臺国の言葉134~136頁
「写真:シバ大神の神像」(今村甫氏蔵)
シバ神の像はヒンヅー教の各派によって解釈が異なり、
また仏教にも大自在天としてとり入れられており、
その像も多くの種類がある。
しかしそのいずれもが頭骸骨を連ねた
ネックレスをかけていることが共通している。
これは御頭祭が示すものと同一の考えに基くもので、
その威力を象致しているのである。
写真の像はその妻カリーを伴ったもので北インド神像の形式を備えている。
シバの表記は
サンスクリットとインドシナではSiva。
ジャワではCiwa。
マレー語圏ではJivaまたはJiwa。
ボルネオではNiuwaと変わる。
このニワは<ニ>を<ミ>と発音する沖縄へ入るとミワと発音される。
三輪の大神はシバ神を意味する。
またインドではシバはジャッカルをも意味する。
これは日本では狼にあてられたことが、
オオカミという和名で証明されるのである。
また中国地方にあるイザナミ伝説地が比婆(ヒバ)山と呼ばれ、
また志波彦神社(宮城県の元国幣中社)
そのほかシバ神を祭るものはかなりの数にのぼる。
沖縄では<庭><ニワ>を<ミヤ>。
<新><ニイ>を<ミイ>(<新婿><ニイムコ>→<ミイムーク>など)。
<睨みくらべ>を<ミイクウミー>などと、<ニ>を<ミ>と発音する。
またこれまで語意も語源も不明とされてきた。
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シバの大神と諏訪の大神・ミシャグチ神
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武蔵一宮:氷川神社・境内案内
出典:加治木義博:邪馬臺国の言葉133頁
ジワ教というのは紀元前7世紀頃のものとされる「ベ-ダを聖典」として、
シバ神を崇拝する宗教で、バラモン(ヒンドウ)教の一派である。
土地によってシバ、シワ、ジワといった方言化がある。
その実体は印度の各地にあるこの派の寺院を訪ねると一目瞭然である。
神を祭るのであるから寺院というのは誤まりで、慣習上そう書いたのだが、
実はこの神には本来寺院も神殿もなく、
巨岩をくりぬいた洞窟に祭られている。
その大本山ともいうべきハーティヒー島(象島)は
ボンベイ(ムンバイ)の近くにあり、
いわゆる象頭山の上に岩窟があって、
讃岐の琴比羅宮と同じように長い階段を昇らねばならない。
ここで印象的なのは、その供物である。
仏教とは正反対に、
血のしたたる獣類(いまでは山羊)の頭を供えるのである。
肉を供えるのではなく、神の前で次々に切った生首だけを供えるのである。
この祭祀型式とそっくりの神事が日本にもある。
それは長野県の諏訪大社の祭りに見られる。
藤森栄一氏によればこの「御頭祭」は、
まず元旦の御占神事によって決った
御頭郷の奉仕で行なわれ、
三月最初の酉の日の「御立座神事」というものに結集して行く。
この日、
馬に乗った神使が氏子の村々を鉄鐸のついた棒をシヤンシヤンと鳴らしながら、
各村のミシャグチ神を神おろしして前宮に帰ると、
大祝(おおはふり)が内御玉殿から出て
高御座につき、
八十五頭(かしら)の鹿の頭を正位にまた様々の生産品などを
副位に供えるのである。
この諏訪大社の本殿は実は建物はなく岩窟であって、
私たちが神殿と考えるものは拝殿である。
また祭神は建御名方命とその妃、八坂刀売命であるが、
この大社では夫妻を別々に祭ってある。
これもまたシバ神とその妃の祭り方と全く同じなのである。
こうして類似点を探して行くと、
シバ神の妃カリー神にまつわる伝説までもが、
八坂刀売命のものと一致点をもっている。
カルカッタ(コルカタ)のそれは、
カリー神の足の指を死体から切りとった際、
血のしたたった所に町が生れ、指が落ちた所に寺院ができた。
というのであるが、
諏訪のそれは八坂刀売命が化粧に使う湯を、
綿の玉にしみこませて持ち歩いた際、
その湯のしたたった所に沸き出たのが、
今の諏訪湖畔の各温泉だ、というのである。
後者は血なまぐささが消えて日本式に優美に見えるが、
そのモチーフは全く同じである。
一方主神の御頭祭の方は、男神のせいでもあろうか、
かっては鹿だけでなく猪の首も生血のしたたるものを献げたが、
大正末期頃から余りにも惨酪だという声が出て、
神前での首切は廃止されたという。
もうお気づきだと思うが、
この類似は単に神事や伝説その他だけではない。
最も重要なものはその神名の一致である。
シワとスワは僅かな方言差にすぎない。
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2013年11月19日火曜日
ミシャグチとソソウ神-11
『武蔵一宮:氷川神社』
Wikipedia:氷川神社
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武蔵一宮:氷川神社・境内案内
出典:「諏訪信仰の発生と展開」141頁
古部族研究会・永井出版企画
「穴巣始と外来霊」
『竪穴斎屋の原始性霊』
ミシャグチとソソウ神-11
以上、御室という土壙内の最も中心的神座である萩組の座について、
『年内神事次第旧記』をたよりに考えてきた。
それは十二月二十二日、所末戸社という神原の入口にある祭場で、
外来魂(稲魂)を充填強化した大祝(おおほおり)が、
天空から垂直に降ろした笹に憑けた御左口神という恐怖すべき精霊と、
諏訪湖の方から水平的に訪れた歓喜して迎えるソソウ神という蛇体をもって
現わされる土地の精霊と共に、
春所末戸社神事の御室御出より
三月の酉の祭の大饗宴を催すに至るまで長期間こもる、
萩でもっておおわれた斎屋であった。
この山湖の畔、守屋山麓の神原内の御室という地下壙内において、
冬期の長期間にわたって行われた秘儀の意味を、
十二月二十六日の御室内での申立が一言のもとに言いきっている。
「かけまくもかしこ、つねの跡に仍てつかえまつる神殿(みたまほかゑ)の……」と。
この申立は御室のことをまさしく神殿といっている。
それは夏七月二十七日、
八ヶ岳山麓の御射山神域に薄の穂でもって造られた三日後に
破壊される大祝の斎屋を「神殿」(『旧記』)と言っているのと同じである。
重要な神事ごとに茅や薄などの植物を利用して建てられ、
その中に神である大祝が籠り、
神事が終わると破壊される斎屋こそ古層な意味での神殿であり、
前宮神原に建てられた建築物である大祝の居館を神殿とよび、
宝殿を内御魂殿と呼ぶ考えは二義的なものである。
その御室神殿に籠った大祝の外来魂に対する(ほかい)こそ、
この冬の長期にわたる神事の意味である。
とこの申立は言っている。
折口信夫氏は冬の語義は「魂(みたま)の増殖(ふゆ)」から来ていると言った。
ならば、大祝を容器(きょつき)にして、
侵入した新たなる稲魂の増殖に対する農耕民の厳重な配慮期間こそ、
「冬」という季節構成の意味であり、
十二月二十二日「穴巣始」から三月末日「御室御出」迄の期間こそ、
古諏訪祭政体の「みたまのほかゑ」であったのだ。
《Key Word》
年内神事次第旧記
年内神事次第旧記
長野県諏訪市 付近の 神原
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ミシャグチとソソウ神-10
『武蔵一宮:氷川神社』
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武蔵一宮:氷川神社・境内案内
出典:「諏訪信仰の発生と展開」140頁
古部族研究会・永井出版企画
「穴巣始と外来霊」
『竪穴斎屋の原始性霊』
ミシャグチとソソウ神-10
更に、前宮の神座には、例の御笹の御左口神が運び込まれている。
いいかえれば、前宮神原の神体は御左口神である。
そこで、例の出早社の壮大化して本宮を建て、
諏訪神社上社の御神体はタケミナカタであることを誇示する。
恐らく、古諏訪祭体が中央統制化に組み込まれるに際しての
中央朝廷と固有勢力の力関係が、
このタケミナカタ神と御左口神との関係に表現されている。
神使までは御左口神と認容し、大祝に関しては受けつけない。
前宮は御左口神と認容し、本宮だけは認めない。
御室内の御笹は御左口神であるが、
神原十間廓に現れる御杖柱は大明神であると。
ここには、固有勢力が断固政治上信仰上引くことの出来なかった一線と、
中央朝廷が、
最後の一線だけは認容できなかった点との境目が
手にとるように観ることが出来る。
諏訪祭祀七十五度を分析した果てに
宮地直一氏はいみじくも言っているではないか。
「もともとかように生き生きした神事に刃向こうとしたところに、
非常な無理を横たへ、そこに失敗の成因を蔵したといふを適当とする」と。
もう一つの問題として考えてみたいのは、大祝の祝言の問題である。
諏訪中世の神事では祝詞を「申立」としているが、
神である大祝の祝詞だけは明確に区別して、
「大宣詞(おおのつと)」といっている。
この申立自体の内容は、いささか中世的にパターン化しているようであるが、
大祝が即位した時に「俺は神だ」という一人称発想の宣詞として、
神長をはじめとする他の神官たちの「申立」(奏上)とは
峻別している点は極めて原理的だと想われる。
正月一日の簿の実による丁半の御頭定の占いの神事、
冬十二月二十五日の聖の手の神事と大夜明の神事、
これらは、春の酉の祭の御頭郷ならびに新しい神使を占定する神事と、
冬、
御室の内に大蛇三体を迎えての饗宴の徹夜神事と極めて重要な神事であるが、
もしも大祝が都合で出御されぬ場合は、
神長主導のもとに、神使と神長が行っている。
すなわち、正月一日の御占之事
「祝殿之指合なとの時は神長殿一斗申て御占をうち申候畢、
冬のひしりのての時も祝殿指合の時は
神長殿はからひとして(大のつとは申出さね共)、
役は習々此日記に任て如先例稼動行申候」(『旧記』括弧は田中)と。
神事は神長と仮の大祝達である神使で執行できるのであるが、
大のっと(大祝の宣詞(のりと))だけは決して代行してはいけないのである。
ここに「大宣詞(おおのっと)」が大祝自身の本質であることをかいまみせている。
又、神使達は「口習(くちまね)の申立」といって、
大祝の大宣詞のあとにそのまま復唱する申立をやるが、
これは、第二次大祝である神使の構造を示している。
以上断片的に残存した大祝の呪文を貴重視した痕跡をあげてみたが、
八才で樹下で神縣ったという。
いわゆる大祝の始祖・有員(ありかず)の伝承らを考えるにつけても、
パターン化される以前の尸童(よりましわらわ)の突然の神言すなわち
「小さき者の声」貴重視した原始社会を考える一つの手がかりとしたい。
《Key Word》
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ミシャグチとソソウ神-9
『武蔵一宮:氷川神社』
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「穴巣始と外来霊」
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ミシャグチとソソウ神-9
この御立座神事から内県の神使が各たたえ
巡行を終えて帰って来るまでの六日間、
御笹の御左口神は御室内の萩組の座の暗闇の中でひっそりと立っているのである。
そして内県の神使が帰って来る直前に、前宮に運び込まれるのである。
祭祀構成上より納得いかないものである。
私はより古層な神事においては、御室から出された御笹の御左口神が、
酉の祭において御杖として神体を意味し、
それが終了して前宮に運び込まれたものだったのではないか、と憶測する。
宮地直一氏はいみじくも言っている。
「御杖の性質が精進屋に於ける御左口神の木等と択ぶところなく
器物を超越した霊体として観念せられた」と。
暗室内の御室においてはともかく、
「堂上堂下郭外の儀式計会す」(『画詞』)る酉の祭において、
古諏訪祭政体の中心をなす神体が御左口神であることを公けにしては
都合が悪かったのである。
そこで、御笹の御左口神はまだ御室に籠っていただいて、
終了時に前宮に運び込むように仕組んだのであろう。
その御杖柱はあくまで
堂々たるタケミナカタの神の神体でなければならなかったのである。
『画詞』は「外県に大明神をとらす」と御杖柱を大明神と言っている。
このような操作は御杖柱にとどまらない。
大祝をタケミナカタの神体として
「我に別躰無し、祝(はふり)を以て御躰となすべし、
我を拝せむと欲せば、須らく祝を見るべし」(伝「信重解状」)と
タケミナカタに言わせているが、
大祝が樹下の岩上で即位する儀礼そのものが
御左口神降霊を意味しているではないか 。
「前宮は廿の御左口神」と言って神使六人、神主十四人を御左口神と認め、
「神使御社宮神」「十四人之神主等の御社宮神」といい
「古は御頭に長たる人あり、比御社宮神也」(「守矢神長官古事」)と
御頭も御左口神であることを認めておりながら、
ただただ大祝のみはタケミナカタといいはっているのだ。
神使は構造上どう見ても仮の大祝であり、
神使が御左口神であるならば、
大祝は大御左口神であってタケミナカタではないと考える。
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