2014年11月20日木曜日

封禅書(2)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 封禅書 第六

 虞舜から西周まで①

  尚書には次のようにみえる。

 『舜は琁璣玉衡(北斗七星)』の運行を観測して七政(日月五星)が

  整っているのかを確かめ

  〔自分の即位が天意にかなっていることを知ったので〕、

  そこで上帝(天帝と五帝と)に

  類(るい)の祭(摂政することがらの事項を報告する)をし、

  六宗(りくそう)(六つの尊ぶべき神)に禋(いん)の祭(精進潔斎する)をし、

  山川に望(ぼう)の祭(国中のあらゆる名山大川をまつる)うぃし、

  群神(丘陵・水辺・平地、および古の聖賢)にまでゆきわたってお祭りした。

  五つの瑞祥

 (公・侯・伯・子・男の五階級に

  よってもちものとしてさだめのある圭や璧)をあつめ、

 めでたい月日をえらんで、四嶽の牧監(地方の長官たち)に会見したうえ、

 そのしるしを返した。

  その年の二月には、東の方へ巡守して岱宗(たいそう)に着くと、

   ―岱宗とは泰山であるが―柴を焼き(天を祀って到着を報告する)、

 望の祭をして山川を順序だてて祀り、

 それがすむと東方諸国の君主たちに会った。

 ―東方諸国の君主たちとは諸侯のことである。

 〔これらの諸国に対しては〕四時〔の季節〕と月〔の大小〕を合わせ、

 日〔の甲子〕を正し、律(十二律)・度(長さの単位)・量(ますめの単位)・

 衡(重さの単位)を統一し、

 五つの礼(吉・凶・軍・賓・嘉の五礼)をととのえ、

 五つの玉(公・侯・伯・子・男がそれぞれ手に持つ圭や璧)

 三つの帛(きぬ)

 (諸侯の世子と公の孤と附庸の君とが

  それぞれ手に持つ玄(くろ)・纁(あか)・黄の絹)

 二つの生きもの

 (卿と大夫とが、それぞれ手に持つ羔(こひつじ)と雁(かり)と)

 一つの死んだもの(士が手に持つ雉)、

 以上の贄(にえ)

 (会見のとき手に持つ礼物)をととのえた。


  五月に、巡守して南嶽に着いた。

   ―南嶽とは衡山(湖南省湘潭県の西四十里)である。

  八月に、巡守して西嶽に着いた。

   ―西嶽とは華山(陝西省華陰県の南八里)である。

  十一月に、巡守して北嶽に着いた。

   ―北嶽とは恒山(河北省省曲陽県の西北百四十里)である。

  そのどこでも岱宗で行った礼のとおりにした。

   ―中嶽とは嵩高である。―

  〔このようにして〕五年に一度、巡守した』

  禹はこのやりかたにならったが、その後十四代で帝孔甲の世になると、

 孔甲が淫乱で鬼人を好み、鬼人の徳がけがされて

 〔天から降ろされた雌雄の〕二竜がたち去った。

 その後三代で、湯(とう)が桀(けつ)を討伐し、

 夏の社(土地の神を祀るところ)を遷そうとしたが、

 承知しなかったので、『夏社』〔という告文〕を作った。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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