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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―
≪商の語義≫
ショウ(シャウ) はかる たまう あきなう
「会意」辛(しん)+内+口
辛は把手のある大きな辛器で入墨に用いるもの。
刑罰権を示す。
内はこれを樹てる台座の形。
その前に、神に祈る祝詞の器(「凵+一」さい)をおく。
神に「商はか」ることを原義とする字である。
遹(つい)の従うところの矞と似ており、
矞は台座の上に矛(ほこ)を立て、祝詞をそえた形。
遹は神威を奉じて巡察遹正(いつせい)を加えることをいう。
商は殷王朝の正号。
その都を卜辞に「大巴商」という。
〔説文〕に「外よりして内を知るなり」という。
すなわち商搉すること、推測の意とするが、
神意を問うことを原義とする。
商は古くは賞の意に用い、商の下に貝を加えた。
(商+貝)はその略字であろう。
賞は報償として与えられることが多く、また償の意となる。
商をその義に用い、ついに商賣の意となる。
商賣の意は最も後起の義である。
①はかる、神にはかる。
②賞の初文で、たまう、ほめる。
③あきなう、あきうど。
④除法、割算の答え。
⑤五音の一で、秋に配する。
「古訓」
〔和名抄〕商、商賣、師説、阿岐比斗(あきひと)
〔名義抄〕商、アキヒト・ハカル・アキナフ・アキ
「声系」
〔説文〕に商声として商の下(商+貝)を収め、商の省声とする。
金文の賞は商の下に貝(商+貝)を加えた字形である。
「語形」
商・(商+貝) sjiang は同声。
〔説文〕に(商+貝)を「行賣なり」と商賣の意とする。
「参考」
商は殷王朝が滅んだのち、
その民が離散して商賣となったする説があるが、
商は殷の大号。
もし蔑称とするならば、殷を用いるはずである。
商は賞の初文。
有償の行為が商賣となったとみるべきせあろう。
≪商の語義≫
ショウ(シャウ) はかる たまう あきなう
篆文、古文、籒文、甲骨文、金文
「会意」辛(しん)と内と口に従う。
辛は把手(とつて)のある大きな針器。
入墨に用いるもので、刑罰権を示す。
内の台座の形。
口は(「凵+一」さい)で、祝祷(しゅくとう)を収める器の形。
台座の上に辛を樹(た)て、その前に(「凵+一」さい)をおいて祈り、
神意を問う意であるから、商(はかる)ことを原義とする。
古代王朝としての商は、殷の正号で、
その都は大邑商(だいゆうしょう)といった。
商はその神政的な支配を示す国号であったと思われる。
周が方形の彫盾(ちょうじゅん)に祝祷を加え、
その支配権を示す字形であるのと同じ。
〔説文〕に「外よりして内を知るなり」、すなわち商搉(しょうかく)、
推測する意とするのは、字形解釈を誤る。
上部の辛を章の省文として明らかの意、下の「内+口」(とつ)
に内の意があるとするものであるが、
卜文・金文の字形は、辛とその台座の形とを主とし、
「内+口」形に従うものではない。
商に商業・商賈(しょうこ)の意があるのは、亡殷の余裔(よえい)が、
国亡(ほろ)んでのち行商に従ったからであるとする説もあるが、
商には賞の意があり、
代償・償讀(しょうとく)のために賞が行われるようになり、
のちしのことが形式化して、
商行為を意味するものとなったものと思われる。
金文の〔「爫+口」鼎(こつてい)〕に、賠償の字に賞を用いており、
商は神意をはかることを原義とし、
そこから賞閲・商量の意が生まれ、
のち賞・償の意より商賈・通商の意となったものであろう。
賞賜に用いる字は、商の下に貝を加えた「商+貝」(しょう)が本字である。
≪参考≫
商 - ウィクショナリー日本語版 - Wiktionary
商
「商」へリンクしているページ
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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