2015年9月1日火曜日

像石・能登・羽咋・宿那彦神


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 像石・能登・羽咋・宿那彦神

 12.石川県(2)能登国

  ①羽咋郡〔羽咋国造〕「和名類聚抄」能登国羽咋郡
 
   能登「ノト」(Heb.),נָֻֻת,NVT,nouut (船の)舵手

    羽咋「ハクイ」(Heb.),הֶגֶה,HGH,hegeh (船の)舵
    
     (Heb.),כהַגַֻי,KhGY,khaguay ガドの第二子、ハギ、ハガイ

         ※能登と羽咋は「舵」に係わる同義語

 ②気田神社「延喜式」神名帳能登国羽咋郡 氣田神社「ケタノ」

   「全国神社名鑑」気多(けた)神社

        羽咋市寺家町 祭神:大己貴命

   気多「ケタ」(Heb.),כֶתַֻ,KTV,ketau 文字、筆跡

  ③大穴持神像石神社「延喜式」神名帳能登国羽咋郡
 
    大穴持神像石神社「オホアナモチノ」「オホアナカタノ」

   「全国神社名鑑」大穴持像石(おおあなもちかたいし)神社 

    羽咋市寺家町ケ1 祭神:大己貴命、少彦名命

   像石「カタ」(Heb.),כֶתַֻ,KTV,ketau 文字、筆跡

   「像」(Heb.),כַתַֻ,KTV,katau 書く、記す

       "文字が刻(書)された石"

   寺家「ジケ」(Heb.),זִֶֻג,ZVG,ziueg (動詞)一対にする

         (Heb.),זֻגִי,ZVGY,zugiy (形)対の、二つで一組の

   ※この地に"2枚1組の(十戒の)文字が書(刻)れた石" が

    奉祭されていたのである。

  それらは「船乗り(舵取り)」たちによって当地にもたらされた。

    つまり「石船」で運ばれてきたのである。しかし~。

  ④宿那彦神像石神社
  
   「延喜式」神名帳能登国能登郡宿那彦神像石神社

    「スクナヒコノ」「スクナヒコノカミノカタイシ」

   「全国神社名鑑」宿那彦神像石神社 

    鹿島郡鹿西町金丸 祭神:少彦名命他

   鹿島「カシマ」(Heb.),הַסהֶֻמ,HShM,hashuem
 
      (神の)御名、神の別称

    ※羽咋・寺家の地に「像石」にとっては

    安心のできる地でなかった。

    そのためある時、この「像石」は移動を始めた。

    その第一の地が「ハシェム」の地であったが、

    その後七尾市から城山[七尾城跡である]周辺の山中を

    超えて富山湾岸の黒崎へと至った。

  ⑤宿那彦神像石神社[巨石神霊] 七尾市黒崎 

    祭神:少彦名命他

 14.富山県

  ①須久那彦那神社 富山県氷見市脇 

    少彦名神社とも記される。
  
    ※「像石」は黒崎より海岸に沿って富山湾を南下、

    脇村に一時泊まっていたとみられる。

  ②射水郡「和名類聚抄」越中国射水郡

   射水「イミズ」(Heb.),מֶֻתס,AMTs,imuets 養子

   ※物部氏の祖饒速日命は登美族[等弥姫]の養子となった。

 物部神社「延喜式」神名帳越中国射水郡 物部神社「モノ・ヘノ」

   (現)高岡市東海老坂 祭神:饒速日命

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