2015年9月19日土曜日

伊都国の背景〔「イト」の語義と由来〕


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 ≪伊都国の背景〔「イト」の語義と由来〕≫

   「伊都国」とは魏志倭人章に記載された国名である。

 本書第2章「(5)伊都国」で述べた国である。

 前節「(6)」旧約聖書イザヤ書の地の果ての島々」に
 
 ヘブライ人が作った居留地〔国〕である。

  「伊都名」は『日本書紀』仲哀天皇8年に

 「伊覩」と表記されて登場している。

 「筑紫の伊覩県主の祖である五十迹手(いそとて)」 

 「~そこで五十迹手をお褒めになられて

  『伊蘇志』と仰せられた。

  そこで時の人は五十迹手の本土を名付けて伊蘇国といった。

  いま伊覩というのは訛ったものである。」

  この「五十迹手」とある

 「イソトテ」は IShT-YT〔差し出す・手〕で

 「(救いの)手を差し延べる」「~を援助する」。

 次の「伊蘇志」は「イソシ」で IZZ の音写で「勇敢、力」ながら、

 ここでは「栄光、誉れ」の語義で「栄誉なことだ」となる。

 また「伊蘇」だけみると YShV (動詞形)は
 
 「入植地を作る」「開拓する」「定住させる」で、

 YShV (名詞形)は「入植地、定住地」となる。

 このように解釈してくると「伊覩・伊都」の「イト」は、

 離散したヘブライ人が各地に形成した

 「共同体」を表す IDH の音写と判断できる。

 しかし、

 その背景にはヘブライ人たちの重要な民族の由来を

 保証するための祈りがある。

 つまり IDH と表音が近似する YD があり、

 それは「記念物、記念碑」にして「証拠」「証左」が

 語義であることに係わる。

 その経緯を物語っているのが「ヨシュア記」で、

 その物語はかなり込み入っているので略記する。

  この「記念物」はヘブライ人の人々がエジプトを脱出し

 カナアン地方などへ入植した後、

 その12支族のうちガド族、マナセ族、ルベン族が

 エルサレムの祭壇とは別に祭壇〔石塚〕を造り、

 他の支族等と争いになりそうになったが、

 最終的にはヨシュアを中心とする他の支族が

 誤解を解いて納得した。
 
 ヨシュアはガド族などに

 「律法と戒め」の記念物を与えたと解釈され、

 ガド族等は

 それは紀元前8世紀のアッシリアへの捕囚や

 その後の放浪の間も彼らの象徴として保持しつづけ、

 「地の果て」のまでもたらし、

 時として石塚〔岩倉・岩山〕を造営したのである。

 その記念は彼等の最高に貴重な、

 しかし隠し通さなければならないものであった。

 
  ヨシュア記
  
  第22章10 ルベンとガドの人々およびマナセの半部族は

   カナンの土地にヨルダン川のゲリロトに着いたとき、

   そこに一つの祭壇を築いた。

   それは目立って大きい祭壇であった。
 
  第22章34 それでルベン族とガド族はその祭壇を

   「まことにこれは私たちの間で主が神で

    あるという証拠だ」と呼んだ。(日本聖書協会)

   この「証拠」あるいはミルトス社版が

 「証人」としているヘブライ語が ID である。

 この ID:証拠〔YDは証人〕こそ「伊都〔伊覩〕」の祖語であり、

 特にヘブライの12族のうちの

 ルベン族、ガド族 、マナセ族にとっては

 彼等がヘブライ〔イスラエル〕人の

 仲間であるとの証拠にして象徴なのである。

 「祭壇」人がノミを入れた彫み石で組まれたものでない。

 自然の石を積み上げた石塚であった。

 倭人章の伊都国の当該地が現福岡県の糸島市だとは

 すでに述べた。

 その市内西方「神在」の宮地嶽頂上に

 宮地嶽神社が鎮座しているが、

 その神殿の基壇は石組されたもので

 「石塚」を踏襲しているといってよい。

 因みに「宮地」の「ミヤチ」の祖語は MYTV で

 「最高のもの」「最良のもの」を表し、

 「証拠」に係るものがその昔奉祭されていたと解釈できる。

  これらが証明するところは

 「伊都国」がヘブライ人たちの「居留地」だったということである。

 前市名であった「マエバル:前原」は MIBRA の音写で

 「渡し場」つまり「港」を表し、ヘブライ系海洋貿易商船が

 船付けした所となる。

 古代紀元前後の頃は玄界灘からの加布里湾が

 今よりずっと内陸まで入り込んでいて、

 「浦志」とか「泊」辺りまで海で、

 湾内は波も静かで船溜りとして適しい状況であった。

  和歌山県の(現)橋本市辺りは紀伊国の「伊都郡」であるが、

 郡内にある町名「九度山」は

 そのような山(岳)名もないことからしても

 「クドヤマ」はヘブライ語の KDYM の音写で

 「東の、東方の」の語義である。

 つまり当地が「東の伊都」との表れで、

 九州の伊都の勢力が東方へ伸張してきたことを示している。

 ≪参考≫
 
 第2章「(5)伊都国」

  現在の福岡県糸島市の地が中心で、

 奈良時代に「恰土」と表記された地である。

 ここは紀元前2世紀頃から「絹」を求めて渡来した

 ヘブライ商人たちの居留地である。

 さらに倭人章は続けて「東南至奴國~有二萬餘戸」とある。

2015年9月13日日曜日

ガドの子供とその氏族の日本での族性


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 ≪ガドの子供とその氏族の日本での族性≫

  A ○「旧約聖書」創世記第46章

    16 ガドの子らはゼボン、ハギ、シュニ、エヅボン、

      エリ、アロデ、アレリ。

    ○The Holy Bible:King James Version "Genesis"46

     16 And the sons of Gad; Ziph'-on, and Haggi, shuni, and

        Ezbon, Eri, and Ar'odi, and Ar'li.

     ○ヘブライ語聖書〔死海本〕:ベレシート(創世記)46

       ※ヘブライ語略

   16 そしてガドの子はツィフヨンとハギ、シュニとエツボン、

     エリとアロディとアルエリであった。

  B ○「民数記」第26章

   15 ガドの子孫は、その氏族によれば、

    ゼボンびとの氏族が出る、ハギからハギびとの氏族がで、

    シュニからシュニびとの氏族が出、

   16 オズニからオズニびとの氏族が出、

    エリからエリびとの氏族が出、

   17 アロドからアロドびとの氏族が出、

    アレリからアレリびとの氏族が出。

   18 これらはガドの子孫の氏族であって、

    数えられた者は四万五百人であった。

   〔出エジプトの後もモーセによって

    カナンへ渡来した人々の説明の段:民数〕

   ○ The Holy Bible:King James Version "Numbers"26

     15 children of Gad after their families:of Zephon,

        the family of the Ze'phonites:of Haggi,

        the family of the haggites:of Shuni,

        the family of the Shunites:

     16 of Ozni, the family of the Oznites:

        of Eri, the family of the Erites:

     17 of Arod, the family of the Ar'odites:

        of Ar'eli, the family of the Ar'elites.

     18 these are the families of the children of Gad

        acconling to those that were numbered of them,

        fortythousand five handred.

  C 日本に渡来したガド族の後裔

  (1)ツィフヨン,תסִfִיָנ,TsFYVN,tsifiyon

      セボン:塩冶族(出雲市塩冶町<旧塩冶郷>神門郡の中心)

  (2)ハギ,כהֶגִי,KhGY,khegiy

      ハギ:物部氏(饒速日命の後裔、銅鏡・銅矛の製造技師集団)

  (3)シュニ,סהֻנִי,ShVNY,shuniy

      シュニ:秦氏(弓月の後裔、太秦<京都府>、洪水をおさめた)

  (4)エツボン:,ֶתסֶבָנ,ATsBN,etsebon

      エヅボン・オズニ:江角氏(出雲市大津町<旧朝山郷>阿須利神社)

  (5)エリ:,ִֶרִי,IRY,ieriy

     エリ:阿利神社(出雲市塩冶町) 、江田、大土神社・平(出雲市平野)

  (6)アロディ,ַרָדִי,ARVDY,arodiy

    アロド:八俣遠呂智族(オロチ)、大呂、原田(佐田町)

  (7)アルエリ,ַרֶֶַלִי,ARALY,areaeliy

      アレリ:オ師子様(久伊豆神社<埼玉県>)、有原町(出雲市有原町)

2015年9月12日土曜日

イスラエルの十二支族及びガド族


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 ≪イスラエルの十二支族及びガド族≫

  〔十二支族〕

                                   ┌ルベン Reuben רֶֻבֶנ
  アブラハム             │
    │                       ├シメオン Simeon סִמֶָנ
    イサク─ヤコブ ──┤
           〔イスラエル〕├レビ Lebi לֶבִ
                                  │ 
                                  ├ユダ Judah דַה
                                  │
                                  ├ダン Dan דַנ
                                  │
                                  ├ナフタリ Naph'tarlï נַפהאתַרל
                                  │
                                  ├ガド Gad גַד
                                  │               
                                  ├アセル Asher ַסהֶר
                                  │
                                  ├イッサカル Is'sachar ִסאסַצהַר
                                  │(イサカル)
                                  ├ゼブルン Zeb'ulun זֶבאֻלֻנ
                                  │
                                  ├デナ Dinah דִנַה
                                  │(ディナ)
                                  └ヨセフ Joseph יָסֶפה


   〔ガド Gad גַד 族〕

                                  ┌ゼポン Ziph'ion [TsFVN] זִפהאיָנ
                                  │(ツィフヨン) Σαπων
                     ├ハギ Haggi [KhGY] הַגגִ   
                                  │             Αγγιζ
                     ├シュニ Shuni [ShVNY] סהֻנִ
                     │            Σαυνζ
                                 ├エツボン Ezbon/Ozni [ATsBN]ֶזבָנ 
                    │             Οζνιβον/オズボン
                                 ├エリ Eri [IRY] רִ
                    │            Αηλιζ
                    ├アロデ Arodi [ARVDY] ַרָדִ   
                                  │(アロディ)  Αροηδιζ
                     └アレリ Are'li [ARALY] ַרֶאלִ
                 (アルエリ)  Αρεηλδιζ

    (1)「旧約聖書」創世紀第30章

    「日本聖書教会」

     9 さてレアは自分が子を産むことのやんだのを見たとき、

      つかえめジルバを取り、妻としてヤコブに与えた。

     10 レアのつかえめジルバはヤコブに子を産んだ。

     11 そこでレアは、「幸運がきた」と言って、

       名をガドと名づけた。

   (2)申命記第31章

     30 そしてモーセはイスラエルの全民衆に次の言葉を、

       ことごとく語り聞かせた。

        申命記第33章

     20 ガドについては言った。

       "ガドを大きくする者はほむべきかな。"

      ガドはししのように伏し、

      腕や頭の頂をかきさくであろう。

     21 彼は初穂の地を自分のために選んだ。

       そこには将軍の分も取り置かれていた。

       彼は民のかしらたちと共にきて、

       イスラエルと共に主の正義と審判とを行った。

   (3)The Holy Bible:King James Version "Deuteronomy" 33

        20 And of Gad he said, Blessed be he that ennlargeth

          Gad: he dwelleth as a lion, and teareth the arm

          with the crown of the head.

        21 And he provided the first part for himself,

          because tyere, in a portion of the lawgiver,

          was he seated, and he came with the heads

          of the people, he executed the justice of the Lord,

          and his judgements with Israel.

   (4)「ギリシャ語聖書

    ①創世記第30章

     9 Και συνελαβεζφα η παιδισκη

      Aειαζ, και ετεκε τω Ιακαβυιον.

        10 Καιειπε Aεια, εν Τυλη και

      επενομαδε το ονομα αντον,

           Ταζ.

    ②申命記第33章

     20 Καιτω Γαζειπεν,  ενλογηενοζ

       Ταζ ωζ λεαν.

         21 ενεπανσατο, συντριψαζ

            Bραχονα Και αρχοντα.

            Και ειδεν απαρχην αντον,
 
      οτι εκει εμερισθη ση

            αοχοταν συνηγμενεν αμα

            ανχηγοιζ λαων

            δικαιογυνην Κνριοζ

            εποιησε, Και κρισιν

            μετα Ισραηλ.

安来の十神山と支布佐神社


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 ≪安来の十神山と支布佐神社≫

 安来「出雲国風土記」意宇郡安来郷 訓を欠く

   「和名類聚抄」出雲国能義郡安来郷 訓を欠く

   中世 安来荘、その後屋杉、矢杉、安来などと表記

  伯太川「出雲国風土記」
 
 "ハダ":"源は仁多と意宇と二つの郡の堺なる葛野山より出で、

 北に流れて母里、楯縫、安来の三つの郷を経て、入海に入る。"

   (Heb.),בַתַ,BT,bata 石、岩

  葛野山「葛」カドーの ガド族(ヘブライ人・秦氏)

  安来「ヤスキ」:「ヤスライ」
 
   (Heb.),סַרַה,IRSH,iasarah 

    十(10、数字、男性形)、これは「十戒」の「十」

  (Heb.),ִססֶרת הַדִֻבֻרֻת,ISRT HDBRVT,issert haduiburut

     十戒〔"10のこだま"の字義〕

 十神山 入海(現)中海の安来港入口にある 92.9m(高さ)の小山

  砥神島「出雲国風土記」意宇郡砥神嶋。

   周り三里一百八十歩、高さ六十丈なり。

   この島の東側が埋めたてられ現在陸続きとなっていて、

   砥神嶋が十神山と改称されている。
   
   ここが「島」であった(小さな島)ことが重要である。

   〔砥-神〕"ト"

    (Heb.),דִַ,Di,dai ヤハウェ神の御名 砥神:ヤハウェ神

  十神:「十戒の神」・ヤハウェ神

   「トラ」(Heb.),תּוֹרָה‎,TVRH,torah 

   〔トーラー〕モーセ五書(創世記出エジプト、レビ記、
  
                 民数記、申命記)
 
  十神:「十戒の神」・ヤハウェ神

   「トラ」(Heb.),תּוֹרָה‎,TVRH,torah 

   〔トーラー〕モーセ五書

    創世記「בראשית」(ヘブライ語の原題は「初めに」)

    出エジプト記「שמות」(ヘブライ語の原題は「名」

    レビ記「ויקרא」(ヘブライ語の原題は「神は呼ばれた」)

    民数記「במדבר」(ヘブライ語の原題は「荒れ野に」)
   
    申命記「דברים」(ヘブライ語の原題は「言葉」)

  安来神社(安来市安来町)

  十神山山頂より遷座されたという(社伝)。
   
   安来公園は社日(しゃにち)公園ともいう。

   社日「シャカ」(Heb.),shakhtl,ShAKTL,shakhtl

      箱〔十戒の石板を納めた霊櫃〕

  下山神社(安来市安来町安来公園)

 「シモヤマ」(Heb.),סהַמַיִמ,ShMYM,shamayim 天、天国、空、天空

   安来に移住して来たヘブライ人たちは

   この地を「天国」と考えたのであろう。

  町「ハシマ」=羽島神社(安来市今津)

   (Heb.),הַסהֶמ,HShM,hashem 「ヤハウェ神の御名」

  飯・羽「ハン・ハネ」 (Heb.),הָנ,HVN,hon

   富、財産、資産、資本(金)、飯島/羽島:「富・福島」

   〇これは砥神島を表す表現

  門生(かど)町

   「カド」(Heb.),גַד,,gad ガド族

   「カド・エ」(Heb.),גדי גַדֻי,,gdy gaduy ガド人

   門生神社(門生町)「延喜式」神名帳出雲国 門江神社

  支布佐神社(吉佐町)「出雲国風土記」支布佐神社

   祭神:天穂日命 「延喜式」神名帳能義郡一座天穂日命神社

   支布佐「キフサ」

 (Heb.),כֻכסַ,KVFSH,kufsa 箱、小箱〔十戒の石板を納めた聖櫃〕 

  伯太(はくた)町(能義郡の町名、安来市の東南に位置。

          伯太(ハタ)川流域)

    (Heb.),בַתַ,BT,bata 石、岩 〔ここでは十戒石〕

   伯太=秦 十年畑(じゅうねんはた)「トネハーた」

   (Heb.),תַֻנַַשֻ,TN''X,tuanaaxu

    旧約聖書(律法・預言書、諸書の総称)

  草野「クサーの伯太川」(Heb.),כֻכסַ,KVFSH,kufsa 箱、小箱

  広瀬町(能義郡の町名、伯太町の西隣り)

   縄久利(なわくり)神社(伯太町草野と町境を挟んだ地に鎮座)

    葛野山(伯太川の水源)にある。

    「シャクリ」(Heb.),סהַכהתל,ShSKTL,shakhtl 箱

   比田(広瀬町、東・西)「ヒタ」

    櫃(ひつ)の転訛。

    櫃=箱 大櫃神社

     (広瀬町西谷、西比田の北方)

   久比須(くびす)ー峠

    (広瀬町西比田の西方、仁多郡仁多町との堺にある峠名、

    仁多町久比須の住宅地名)

    「クヒス」(Heb.),כֻכסַ,KVFSH,kufsa 箱、小箱

  五神神社(安来市佐久保町)

   佐久保「サクボ」叫び

    (ガドの祖、ヤコブの子ガドの出生に係わる名称)

   五神「五」モーセ五書を字義とする。
  
   (Heb.),כהָמַסה,khMSH,khomash 五、「五神」:ヤハウェ神

2015年9月10日木曜日

旧約聖書「イザヤ書」の「地の果ての島々」


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」
  
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦 132~136頁

 ≪旧約聖書「イザヤ書」の「地の果ての島々」≫

  「イザヤ書」とは旧約聖書のうち預言書と称されるものの

  第5番目の書である。

  その内容は3部に分割することができ、

  これまで第1のイザヤ書〔第1章から39章まで〕は

  紀元前8世紀に著されたといい、

  第2のイザヤ書と称される第40章から55章までは

  紀元前550年頃の成立、

  第3のイザヤ書と称される第56章から66章は

  同じく紀元前515年頃の成立とされる。

  ここでは特に第2のイザヤ書と称されるもののうちの

  第40章から49章までに注目する。

  この書は一般に預言書といわれ、

  神の啓示の記述となっている。

  しかし、

  その内容にバビロン捕囚事件やペルシャのキロス王名など、
  
  記述年より後の事件の具体的な固有名詞が


  載っていることから、
 
  当該書が宗教書としても、諸事項(件)発生後に記録として

  留められたとする方が妥当性がある。

  これまでのヘブライ学者は「預言」との通称にとらわれ、

  それぞれ事件以前の成立とすることにこだわってきたのでは

  ないかと推測される。

  歴史研究家的視点からすると、そういう第2イザヤ書は

  紀元前2世紀の終末期から同1世紀に記録されたものと、

  少なくとも加筆されたものと考える。

  なぜならば、その頃西方〔ローマ帝国、地中海東岸〕と

  極東との交易網が西方諸国の人々にやっと認知され始めた

  証左がその内容に含まれているからである。

  その状況は前章で説明した。

  この第2イザヤ書に興味深い事項がある

  「島々」「地の果て」などがそれである。

  以下に注目すべき箇所を

  ミルトス社ヘブライ語聖書対訳シリーズのイザヤ書から

  日本語部分を転載する。


  第40章
  
   15 見よ、主は島々を細かいちりのように取り上げる

   28 主は、永遠の神、地の果てまで創造された方

  第41章

    1 島々よ、わたしのもとに来て静まれ。

      国々の民よ、力を新たにせよ。
 
    5 島々は畏れをもって仰ぎ、地の果てはおののき、

      共に近づいて来る。

    9 わたしはあなたを固くとらえ、地の果て、

      その隅々から呼び出して言った

  第42章

    4 島々は彼の教えを待ち望む

   10 新しい歌を主に向かって歌え、
 
      地の果てから主の栄誉を歌え、

      海に漕ぎ出す者、海に満ちる者、島々とそこに住む者よ

   12 主に栄光を帰し、主の栄誉を島々に告げ知らせよ

  第43章

    6 娘たちを地の果てから連れ帰れ、と言う

  第45章

   22 地の果てのすべての人々よ

  第48章
 
   20 バビロンを出よ、カルデアを逃げ去るがよい。

      喜びの声をもって告げ知らせ、

      地の果てまで響かせ、届かせよ

  第49章

    1 島々よ、わたしに聞け、遠い国々よ、耳を傾けよ

    6 だがそれにもまして、わたしはあなたを国々の光とし、

      わたしの救いを地の果てまでもたらす者とする

 
 まず、この「島々」を日本聖書協会の「旧約聖書」は

 「海沿いの国々」と記している。

 「オックスフォード・ケンブリッジ版」は

 coasts and islands と記している。

 それに影響されたのだろう。

 それよりも古い King James Version は

 islands〔「島」の複数形〕とし、「島々」と同義である。

 ギリシャ語版を載せる The Septuagint with Apocryha においても

 νησοι〔nhsoi〕としνησος〔nhsos:島〕の複数形である。

 やはりヘブライ語版にあるAYYM「島々」というのが

 本来の表記であろう。

 また「地の果て」について各英語版とも

  end of earth とし共通している。

 この用語のうち「地」は

 ヘブライ語で ARTs で英語〔earth〕と近似している。

 「果て」はイザヤ書の各表記が

  KTsHT あるいは KTsHT で前者が原型である。

 「地の果て」表現はユーラシア大陸の東端を想起させる。

 紀元前数世紀から西方の関心は、

 東方特に極東への関心が高くなった。

 紀元前4世紀のアレキサンダー大王の東征の目的は

 アジア〔ユーラシア〕の東端に辿り着くことであった。

  実際は中央アジアまでで終わってしまった。

 イザヤ書のいう「地の果て」は

 明らかにその「極東」をいったものと考える。

 そして「島々」とは日本列島の西部地域とすることができる。

 「果て」である KTsH には「端」のほか「はずれ」の概念もある。

 大陸から少々はなれていてもかまわないのであり

 「島々」とはその「地の果て」の「はずれ」に

 あるものとすることができる。

 イザヤ書はそこに国々があると知らせている。

 KTsH の発音は「クェツェエ」であったと考えられ、

 これは「ウシュウ:九州」の祖語とみられる。

 「州」とは「国」である。

 「島々」とは

 日本の九州を中心とする諸島々を想定して


 言われたことになる。

 このヘブライ語の「果て」を原語とする地称が

 九州のシナ海〔日本海〕方面にはある。

 例えば鹿児島県加世田市名は KTsHT の音写であるし、

 串木野市名も KTsH-KNP〔果て-果て〕で「果ての果て」となり、

 いかにも「極地」らしい。

 長崎県の「口之津」も「クチノ」 KTsNI の音写で

 語義を同じくする。
 
  この「島々」の情報はイザヤ書第42章10に登場する
 
 「海に漕ぎ出す者」あるいは「海に満ちる者」と

 海洋航海に生きる交易商人たちが

 海路を経てもたらしたものとみられる。

 つまり、それらの記述は、

 その頃ヘブライ人の海洋商人たちが「地の果て:極東」へ

 達していたことを明白たらしめているのである。

 その続きに「島々とそこに住む者よ」と

 すでにそこにヘブライ人が居住しているといっている。

 さらにそればかりでなく、

 第43章6の「地の果てから連れ帰れ」

 と述べていることからも同様に、

 「地の果て」にはヘブライ人がすでに居住していたといえる。

 それが「国々」である。

2015年9月6日日曜日

契約の箱・石:島根県佐陀


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 契約の箱・石:島根県佐陀(サダ)


 佐陀「サダ」

  (Heb.),סָדַ,SVD,soda 秘密、内緒

  (Heb.),סֶתֶר,STR,seter 隠れ場所

 名分(みょうぶん)

  (Heb.),מַבִֻ,MBVI,mabui 泉、水源、井戸 大井神社

 武代(たけだい)

  (Heb.),בֶֻכֶתִֻינ,TKTYN,bueketuiyn 指令

 手結(たえ)

  (Heb.),דִֶַה,DIH,deiah 智恵、知性、意見、見解

     DI(ヤハウェ神の呼称) 津上神社
 
 講武(こうぶ)

  (Heb.),גָוַל,GVAL,goval 救世主、救済王

          少彦名神・海代・海地呂 多久神社

  (Heb.),תֶיכ,TYK,teyk 箱

  (Heb.),תֶַוַה,TVH,taevah 木箱

 海地呂(かいじろ)山

  (Heb.),הַתסַלַה,HTsLH,hatsalah 救済、救助、救出

  (Heb.),הִתסִי,HTsYL,hitsiy 救う、救出する

  海地呂山=海代

 海代「延喜式神名帳」出雲郡久佐加社 

    同大穴持海代(あましろ) 日古社 同大穴持海代日女社

    久佐加社 出雲市日下町 別名:加佐加社
  
    来阪神社 出雲市矢尾町(日下町の西隣り)
 
    大穴持日神社 久佐加神社境内社

 久佐加

  (Heb.),הַתסַלַה,HTsLH,hatsalah 救済、救助、救出

 市場(佐陀宮内)(Heb.),,TsVN,

 土井(佐陀宮内)or土井垣

  (Heb.),דִֶַה,DIH,deiah 智恵、知性、意見、見解

  御井神社(延喜式内社) (現)佐陀神社境内社(摂社)

  (Heb.),מִַיַנ,MIYH,maiyan 泉、水源、井
 
 日田神社(延喜式内社) (現)佐陀神社境内社(摂社)

  (Heb.),הֶד,HD,hed こだま、響き

 垂氷神社(延喜式内社) (現)佐陀神社境内社(摂社)
 
  「風土記」において”垂水”とする校本もあるが、

  ここは「タルヒ」である。
  
  佐陀神社の西方に現在垂水池がある。

 「タルヒ」(Heb.),,TRVH, 巻物、「旧約聖書」を表す。

 毛之神社(延喜式内社) (現)佐陀神社境内社(摂社)
 
  「風土記」

  「モシ」(Heb.),מָסהֶה,MShH,mosheh モーセ(モーシェ)

  「三社大明神」

  「ミシャ」(Heb.),,MShH, 

   三笠山「佐陀神社の鎮座地:三笠山の麓」

  「ミカサ」(Heb.),מַכֶסֶה,MKSH,makeseh 

    隠れ場、避難所、避け所

   ※長野県御岳山三笠山・神社と同根

    佐陀 seter、sodaと同義=志戸

  志戸(佐陀本郷)(Heb.),סֶתֶר,STR,seter 隠れ場所

  廻谷:さこだに(佐陀本郷)

   「サコ=サク」册・冊(短冊のサク)

   "ふみ、かきもの"の意:「十戒」旧約聖書

   廻:「めぐり」

 (Heb.),מֶגִלַה,MGLH,megilah

 巻物(紙、羊皮紙などの):「経」<東京都目黒区>
 
  経塚(きょうつか)山
   
   「経」めぐり。 


  鹿島町古浦と松江市秋鹿町との境界にある山名

    (Heb.),מֶגִלַה,MGLH,megilah

  別称:足日(たるひ)山

   「タルヒ」(Heb.),,TRVH, 巻物、「旧約聖書」を表す。

  朝日山(鹿島町古浦と松江市東長江町との境界の山名)

   「アサヒ」:「風土記」朝日山 足日山ともいう
 
  多久神社(鹿島町南講武)「風土記」「延喜式」

   (Heb.),תֶיכ,TYK,teyk 箱、書類入れ

  鹿島(町名)(Heb.),הַסהֶמ,HShM,hashem 

   "神"石川県鹿島町と同根:神の別称

  美濃(佐陀本郷)

     (Heb.),מִַיַנ,MYN,maiyan

  泉、水源、井 岐阜県の旧国名と同根

2015年9月1日火曜日

像石・気多・石部・寺・物部


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 像石・気多・石部・寺・物部

  ③気多神社「延喜式」神名帳越中国射水郡
    
    氣多神社「ケタノ」

   「全国神社名鑑」気多神社 高岡市伏木一ノ宮 

    祭神:大己貴命、如奈加波比売命

  ④磯部神社「延喜式」神名帳越中国射水郡

    磯部神社「イソヘノ」

   (現)磯部神社 氷見市磯辺

 15.新潟県(1)頚城郡

  ※この地域には「寺」が付く地名が多い。
   
   そのうちのかなりは下記の用語の音写とみられる。

   (Heb.),תָרַה,TVRH,torah トーラー律法、モーセ五書

  ①寺、寺島、押上(糸魚川市)

   押上。伝承「霊石」を乗せた神舟が押上浜に着いた。

   寺「トーラー」律法

   寺島「トーラーの島」島根県安来市の

    「出雲風土記」に載る「砥神島」

   大町「オウ」(Heb.),ֶֶַֻנ,AVN,aeuen 石[霊石]

  ②物部神「延喜式」神名帳越後國頚城郡

    物部神社「モノノヘ」

   (現)揖取神社 頚城郡能生町小泊

  ③水嶋磯辺神社「延喜式」神名帳越後國頚城郡

    水嶋磯部神社「ミツシマノ」

   (現)頚城郡能生町筒石

  ④居多神社「延喜式」神名帳越後國頚城郡

    居多神社「ケタノ」

   「全国神社名鑑」居多神社 上越市五智 祭神:大国主命他
 
 16.新潟県(2)三嶋郡

  ①御嶋石部神社「延喜式」神名帳越後國三嶋郡

    御嶋石部神社「ミシマ、イソベノ」

   (現)御嶋石部神社 苅羽郡西山町石地二田添

    祭神:大己貴命

  ②物部神社「延喜式」神名帳越後國三嶋郡

    物部神社「モノノヘノ」

   「全国神社名鑑」物部神社(二田大明神)

     苅羽郡西山町二田 祭神:二田天物部命、物部稚桜命

   二田「ニタ」(Heb.),נָֻֻת,NVT,nouut (船の)舵手、舵取り

   西山「ニシヤマ」(Heb.),נִסִימ,NSYM,nisiym 驚異
  
 〔つまり信じられないような奇跡がここにもち上がったのある〕

  ③寺泊町[三島郡]

    この「寺:トーラー」の「律法」を指す。

    よって「十戒石」は未だ安心のできる

    「隠し場所」に至ることができず、

    漂泊の後ここまでやってきた。

    しかし、「泊」とあるからには一時停泊していたものの、
   
    さらに何処かへと行ってしまったのである。

    どこへ?
 

像石・能登・羽咋・宿那彦神


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 像石・能登・羽咋・宿那彦神

 12.石川県(2)能登国

  ①羽咋郡〔羽咋国造〕「和名類聚抄」能登国羽咋郡
 
   能登「ノト」(Heb.),נָֻֻת,NVT,nouut (船の)舵手

    羽咋「ハクイ」(Heb.),הֶגֶה,HGH,hegeh (船の)舵
    
     (Heb.),כהַגַֻי,KhGY,khaguay ガドの第二子、ハギ、ハガイ

         ※能登と羽咋は「舵」に係わる同義語

 ②気田神社「延喜式」神名帳能登国羽咋郡 氣田神社「ケタノ」

   「全国神社名鑑」気多(けた)神社

        羽咋市寺家町 祭神:大己貴命

   気多「ケタ」(Heb.),כֶתַֻ,KTV,ketau 文字、筆跡

  ③大穴持神像石神社「延喜式」神名帳能登国羽咋郡
 
    大穴持神像石神社「オホアナモチノ」「オホアナカタノ」

   「全国神社名鑑」大穴持像石(おおあなもちかたいし)神社 

    羽咋市寺家町ケ1 祭神:大己貴命、少彦名命

   像石「カタ」(Heb.),כֶתַֻ,KTV,ketau 文字、筆跡

   「像」(Heb.),כַתַֻ,KTV,katau 書く、記す

       "文字が刻(書)された石"

   寺家「ジケ」(Heb.),זִֶֻג,ZVG,ziueg (動詞)一対にする

         (Heb.),זֻגִי,ZVGY,zugiy (形)対の、二つで一組の

   ※この地に"2枚1組の(十戒の)文字が書(刻)れた石" が

    奉祭されていたのである。

  それらは「船乗り(舵取り)」たちによって当地にもたらされた。

    つまり「石船」で運ばれてきたのである。しかし~。

  ④宿那彦神像石神社
  
   「延喜式」神名帳能登国能登郡宿那彦神像石神社

    「スクナヒコノ」「スクナヒコノカミノカタイシ」

   「全国神社名鑑」宿那彦神像石神社 

    鹿島郡鹿西町金丸 祭神:少彦名命他

   鹿島「カシマ」(Heb.),הַסהֶֻמ,HShM,hashuem
 
      (神の)御名、神の別称

    ※羽咋・寺家の地に「像石」にとっては

    安心のできる地でなかった。

    そのためある時、この「像石」は移動を始めた。

    その第一の地が「ハシェム」の地であったが、

    その後七尾市から城山[七尾城跡である]周辺の山中を

    超えて富山湾岸の黒崎へと至った。

  ⑤宿那彦神像石神社[巨石神霊] 七尾市黒崎 

    祭神:少彦名命他

 14.富山県

  ①須久那彦那神社 富山県氷見市脇 

    少彦名神社とも記される。
  
    ※「像石」は黒崎より海岸に沿って富山湾を南下、

    脇村に一時泊まっていたとみられる。

  ②射水郡「和名類聚抄」越中国射水郡

   射水「イミズ」(Heb.),מֶֻתס,AMTs,imuets 養子

   ※物部氏の祖饒速日命は登美族[等弥姫]の養子となった。

 物部神社「延喜式」神名帳越中国射水郡 物部神社「モノ・ヘノ」

   (現)高岡市東海老坂 祭神:饒速日命

石船:石部:物部


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」

 石船:石部:物部 

 9.兵庫県

  ①物部神社「延喜式」神名帳但馬國城崎郡

    物部神社「モノ・ヘノ」

 (現)兵庫県城崎郡日高町道場の岩船神社に比定されている。

   つまり「物部」と「岩船」は同義

   ※磐船神社〔大阪府交野私市(きさいち)、

     物部氏の祖神饒速日命〕

  ②気田神社「延喜式」神名帳但馬國氣田郡氣田神社「ケタノ」

   「全国神社名鑑」気田神社 城崎郡日高町上郷字大門
      
                祭神:大己貴命

 10.京都府

  ①岩船神社 熊野郡久美浜町字葛野

    箱船 久美浜町字湊宮の字名、函石浜遺跡

       [弥生時代金属の出土が多く、箱式石棺が出土]

    葛野「かずら」(Heb.),גַֻדָר,GDVL,guador 大きい

            〔ガド族の祖語〕

  ②物部郷「和名類聚抄」丹後國與謝郡「モノ・ヘノ」

   (現)与謝郡野田川町字石川、物部

    野田「ノタ」(Heb.),נָֻנת,NVT,nount (船の)舵手

 11.福井県

  ①石部(いしべ)神社「延喜式」神名帳越前國今立郡

     石部神社「イシヘノ」

   (現)鯖江市磯部町 祭神:吉日古命、吉日売命

   吉「キチ」(Heb.),כֶתַֻ,KTV,ketau 文字、筆跡

          ※2神であること:「十戒の石板は2枚組」

 12.石川県(1)加賀国

  ①気多(けた)御子神社「延喜式」神名帳加賀國江沼郡

    氣田御子神社「ケタミコノ」、「ケタノミコカミ」

   (現)小松市額見町

     祭神:気多神社「羽咋市寺家町」の御子神と大己貴神

  ②宮村石部(いそべ)神社「延喜式」神名帳加賀國江沼郡

    宮村石部神社「ミヤムライソヘノ」、「イソノ」

  ③石部(いそべ)神社「延喜式」神名帳加賀國能美郡

    石部神社「イソヘノ」

   (現)小松市古府町能見山

    主祭神:櫛日方別命 [石部総社明神]

  ④少名彦名神社「延喜式」神名帳加賀國石川郡

    神田神社「カムタノ」に比定されている。