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『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
『明星院・広島県歴史&地名他』
『Yahoo!天気・災害』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」
『古事記』少毘古那神
「大国主神、出雲の御大の御前に坐す時、波の穂より」
故、大国主神、出雲の御大の御前に坐す時、
波の穂より天の羅摩船に乗りて、
鵞の皮を内剥に剥ぎて衣服に為て、
帰り来る神有りき。
爾に其の名を問はせども答へず、
且所従の諸神に問はせども、
皆「知らず。」と白しき。
中略、
故、爾に神産巣日の御祖命に白し上げたまへば、
答へて告りたまはく、
「此は実に我が子なり。
子の中に我が手俣よりくきし子なり。
故、汝、葦原色許男命と兄弟と為りて、
其の国を作り堅めよ」とのりたまひき。
故、爾より、大穴牟遅と小名毘古那と、二柱の神相並ばして、
此の国を作り堅めたまひき。
然て後には、其の小名毘古那神は、常世国に度りましき。
故、其小名毘古那神を顕はし白せし、謂はゆる久延毘古は、
今に山田のそふどといふ者なり。
此の神は足は行かねども、尽に天下の事を知れる神なり。
是に大国主神、愁ひて告りたまひけらく、
「吾独して何にか能く此の国を得作らむ。
孰れの神と吾と、能く此の国を相作らむや。」
とのりたまひき。
是の時に海を光して依り来る神ありき。
其の神の言りたまひけらく、
「能く我が前を治めば、吾能く共与に相作り成さむ。
若し然らず国成り難けむ。」とのりたまひき。
爾に大国主神曰しけらく、
「然らば治め奉る状は奈何にぞ。」とまをしたまへば、
「吾をば倭の青垣の東の山の上に伊都岐奉れ。」
と答へ言りたまひき。
此は御諸山の上に坐す神なり。
『日本書紀』
さて、大己貴命と少彦名命とは力をあわせ、
心を一にして天下を経営された。
またこの世の青人草と家畜のために療病の方法を定められ、
鳥獣や昆虫の災異を除くために、
まじないを払う方法を定められた。
だから百姓(人民)は今に至るまで
皆の神の恩をうけているのである。
昔、大己貴神が少彦名命に向って、
「おれたちのつくた国は、はたしてよくできたといえるだろうか」
と語られると、少彦名命は答えて、
「できたところもあるし、できていないところもある」
と仰せられた。
この二柱の神の相談には深い意味があるらしい。
その後、少彦名命は、熊野の御碕に行かれて、
そこからとうとう常世郷に去られた。
別伝では
淡嶋に行かれてそこで粟茎(から)にのぼられたところ、
はじかれて常世郷に渡り着かれたという。中略
大己貴神+少彦名神
するとそのとき、神々しい光が海を照らし、
やがて、そのなかから忽然と浮かび上がってくる神がある。
◎「少毘古那神」、「少彦名神」:"スクナヒコナ"
〇「スクナ」
(Heb.),סֻכַנ,SKN,sukan 天幕、幕屋
(Heb.),סֻכַה,SKH,sukah 幕屋、仮庵
(Grk.),σκινη,skine 天幕、幕屋、幕舎
(Grk.),σκινο-,skino- 幕舎の
(Lat.),scèno 天幕
〇「ヒコナ」
(Heb.),הִכֶננַה,HKNH,hikennah (知識などを)授ける、伝授する
※「スクナヒコナ神」:(知識を)授ける幕屋の神
※「大国主少彦名神」:(知識を)伝授する幕屋のガド族の神
※「スクナ」⇐「スキナ」
(Heb.),סהֶכהִינַה,ShKhYNH,shekhiynah
シェキナー 神の臨在〔栄光〕
「スクナ・ヒコナ」
(Heb.),הִכֶננַה-סהֶכהִינַהShKhYNH-HKNH,shekhiynah-hikennah
神の臨在を伝授する者:神の僕(しもべ)
「モーセ」を言う。
モーセは「赤子(児)」 の時に
小さな籠に入れられナイル川に流された。
少彦名神は小さな籠船に乗り光り[栄光]来た。
※「大汝:オオナムチ」
(Heb.),ֶֶַֻנ.מֶֻיָֻר,AYN.MVTR,aeuen.meuyuor
切断された[2枚に]石
※「大汝少彦名:オオナムチスクナヒコナ」
神の臨在を伝授する2枚の[切り割けられた]石板
2015年8月11日火曜日
2015年8月10日月曜日
少彦名神と山田〔海国:大倭・大和〕
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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
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さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」
少彦名神と山田〔海国:大倭・大和〕
『古事記』
故、爾に神産巣日の御祖命に白し上げたまへば、
答へて告りたまはく、
「此は実に我が子なり。
子の中に我が手俣よりくきし子なり。
故、汝、葦原色許男命と兄弟と為りて、其の国を作り堅めよ」
とのりたまひき。
故、爾より、大穴牟遅と小名毘古那と、二柱の神相並ばして、
此の国を作り堅めたまひき。
然て後には、其の小名毘古那神は、常世国に度りましき。
故、其小名毘古那神を顕はし白せし、謂はゆる久延毘古は、
今に山田の曾富謄(そふど)といふ者なり。
此の神は足は行かねども、尽に天下の事を知れる神なり。
久延毘古「クエ」
(Heb.),גֶַָֻל,GVAL,guoael 救世主、救済者、贖い主、"ゴエ"
曾富謄「ソホド」
(Heb.),שׂהָתֶת,ShVFT,Shotet 裁判官、判事、〔聖書〕土師
(Heb.),לִסהֶהָת,LShHVT,lishehot 留まる、居残る、滞在する
<案山子と解釈された>
(Heb.),דַֻיַֻנ,DYM,duayuan 裁判官、判事
<『日本書紀』「豊国主尊」>
山田「ヤマタ」
(Heb.),יַמִֶַֻת,YMYT,yamauiet 海の、海に関する
➪"海人"➪"やまと":「大和」
「ヤマタ」:「海国」
<(sk.)toya 水、海、天、「豊国」=海国>
『古事記』
大国主神、出雲の御大
故(かれ)、大国主神、
出雲の御大(みほ)の御前(みさき)に坐(ま)す時、
波の穂より天(あめ)の羅摩船(かかみふね)に乗りて、
鵞の皮を内剥(うつはぎ)に剥ぎて
衣服(きもの)に為(し)て、帰(よ)り来(く)る神有りき。
爾(ここ)に其の名を問はせども答へず、
且(また)所従(みとも)の諸神(かみたち)に問はせども、
皆「知らず。」と白(まを)しき。
爾に多邇具久(たにぐく)白言(まを)しけらく、
「此(こ)は久延毘古(くえびこ)ぞ必ず知りつらむ。」
とまをしつれば、即ち久延毘古を召して問はす時に、
「此は神産巣日神の御子(みこ)、
小名毘古那(すくなびこなの)神ぞ。」と答へ白しき。
「海を光して依り来る神ありき」
『日本書紀』
そのとき、海上に突如として人の声がする。
そこで驚いてその声の主をさがされたが何も見えない。
不思議に思っておられると、
しばらくして一人の小男が白?(カガミ)の皮で舟をつくり、
鷦鷯(ミソサザイ)の羽を着物にして、
潮の流れのまにまに浮んでやって来た。
大己貴神はそれを拾い上げて、
掌においてもてあそんでおられたところ、
ぴょんとはねて大己貴神の頬に噛み付いた」
………これが少彦名命である。
山田(奈良県桜井市山田):大和(おおやまと)神社
※磐余池:伊波礼(Heb.),Iורִִ,IVRY,Ivrii ヘブライ人
大和神社(天理市神泉)和名類聚抄「朝和之宮」
祭神『日本書紀』崇神天皇六年、倭大国魂神、日本大国魂神
(現在)大和(おおやまと)大国魂大神、
八千矛大神、御年大神
延喜式神名帳大和国山辺郡 大和坐大國魂神社三座並名神大
"大和"「オホヤマト」
「オホ」(Heb.),ַָר,AVR,aor 光、光明、明かり
(Heb.),ַֻר,AVR,aur 火、火炎
「アサ」(Heb.),ֶַסה,ASH,aesh 火、炎
「和」"ヤマト"(Heb.),יַמִֶֻת,YMYT,yamuiet 海の、海に関する
「オホ・ヤマト」火炎-海の:
「海の火炎(光)」:「大和(おおやまと)」「大倭(おおやまと)」
少彦名神
『日本書紀』神しき光が海に照らして
……忽然に浮かび来る者有り。
『古事記』海を光して依り来る神ありき。
「大国」"オホクニ"
(Heb.),ָכיַנֻס,AVKYNVS,okyanus 海洋、大洋
>(Heb.),יַמ,YM,yam 海、湖
「山田の曾富謄」"大和国の裁判官"
「或は成せる所もあり、或は成らざる所もあり」
と大己貴命に答えた
「年」(大年神)
(Heb.),תסהִֻה,TshVIH,tshuih 救い、救済、解放
>久延毘古/救世主、救済者:少彦名神
『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
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《参考:年表・資料》
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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」
少彦名神と山田〔海国:大倭・大和〕
『古事記』
故、爾に神産巣日の御祖命に白し上げたまへば、
答へて告りたまはく、
「此は実に我が子なり。
子の中に我が手俣よりくきし子なり。
故、汝、葦原色許男命と兄弟と為りて、其の国を作り堅めよ」
とのりたまひき。
故、爾より、大穴牟遅と小名毘古那と、二柱の神相並ばして、
此の国を作り堅めたまひき。
然て後には、其の小名毘古那神は、常世国に度りましき。
故、其小名毘古那神を顕はし白せし、謂はゆる久延毘古は、
今に山田の曾富謄(そふど)といふ者なり。
此の神は足は行かねども、尽に天下の事を知れる神なり。
久延毘古「クエ」
(Heb.),גֶַָֻל,GVAL,guoael 救世主、救済者、贖い主、"ゴエ"
曾富謄「ソホド」
(Heb.),שׂהָתֶת,ShVFT,Shotet 裁判官、判事、〔聖書〕土師
(Heb.),לִסהֶהָת,LShHVT,lishehot 留まる、居残る、滞在する
<案山子と解釈された>
(Heb.),דַֻיַֻנ,DYM,duayuan 裁判官、判事
<『日本書紀』「豊国主尊」>
山田「ヤマタ」
(Heb.),יַמִֶַֻת,YMYT,yamauiet 海の、海に関する
➪"海人"➪"やまと":「大和」
「ヤマタ」:「海国」
<(sk.)toya 水、海、天、「豊国」=海国>
『古事記』
大国主神、出雲の御大
故(かれ)、大国主神、
出雲の御大(みほ)の御前(みさき)に坐(ま)す時、
波の穂より天(あめ)の羅摩船(かかみふね)に乗りて、
鵞の皮を内剥(うつはぎ)に剥ぎて
衣服(きもの)に為(し)て、帰(よ)り来(く)る神有りき。
爾(ここ)に其の名を問はせども答へず、
且(また)所従(みとも)の諸神(かみたち)に問はせども、
皆「知らず。」と白(まを)しき。
爾に多邇具久(たにぐく)白言(まを)しけらく、
「此(こ)は久延毘古(くえびこ)ぞ必ず知りつらむ。」
とまをしつれば、即ち久延毘古を召して問はす時に、
「此は神産巣日神の御子(みこ)、
小名毘古那(すくなびこなの)神ぞ。」と答へ白しき。
「海を光して依り来る神ありき」
『日本書紀』
そのとき、海上に突如として人の声がする。
そこで驚いてその声の主をさがされたが何も見えない。
不思議に思っておられると、
しばらくして一人の小男が白?(カガミ)の皮で舟をつくり、
鷦鷯(ミソサザイ)の羽を着物にして、
潮の流れのまにまに浮んでやって来た。
大己貴神はそれを拾い上げて、
掌においてもてあそんでおられたところ、
ぴょんとはねて大己貴神の頬に噛み付いた」
………これが少彦名命である。
山田(奈良県桜井市山田):大和(おおやまと)神社
※磐余池:伊波礼(Heb.),Iורִִ,IVRY,Ivrii ヘブライ人
大和神社(天理市神泉)和名類聚抄「朝和之宮」
祭神『日本書紀』崇神天皇六年、倭大国魂神、日本大国魂神
(現在)大和(おおやまと)大国魂大神、
八千矛大神、御年大神
延喜式神名帳大和国山辺郡 大和坐大國魂神社三座並名神大
"大和"「オホヤマト」
「オホ」(Heb.),ַָר,AVR,aor 光、光明、明かり
(Heb.),ַֻר,AVR,aur 火、火炎
「アサ」(Heb.),ֶַסה,ASH,aesh 火、炎
「和」"ヤマト"(Heb.),יַמִֶֻת,YMYT,yamuiet 海の、海に関する
「オホ・ヤマト」火炎-海の:
「海の火炎(光)」:「大和(おおやまと)」「大倭(おおやまと)」
少彦名神
『日本書紀』神しき光が海に照らして
……忽然に浮かび来る者有り。
『古事記』海を光して依り来る神ありき。
「大国」"オホクニ"
(Heb.),ָכיַנֻס,AVKYNVS,okyanus 海洋、大洋
>(Heb.),יַמ,YM,yam 海、湖
「山田の曾富謄」"大和国の裁判官"
「或は成せる所もあり、或は成らざる所もあり」
と大己貴命に答えた
「年」(大年神)
(Heb.),תסהִֻה,TshVIH,tshuih 救い、救済、解放
>久延毘古/救世主、救済者:少彦名神
2015年8月9日日曜日
「島々」と「地の果て」〔イザヤ書第41章、第49章〕
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出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」
「島々」と「地の果て」〔イザヤ書第41章、第49章〕
「イザヤ書」
※ヘブライ語については省略
第41章1
島々よ、わたしのもとに来て静まれ
第41章5
島々は恐れをもって仰ぎ、
地の果てはおののき共に近づいて来る
第41章10
新しい歌を主に向って歌え。
地の果てから主の栄誉を歌え。
海に漕ぎ出す者、海に満ちる者。
第43章6
わたしの息子たちを遠くから、
娘たちを地の果てから連れ帰れ、という。
※島々よ (Heb.),ִײמ ,AYYM,iyym
地の果て (Heb.),,HARTs,
,הַ,,ha ~の
,,ARTs, 地 (Eng.)earth
〔第41章〕(Heb.),כֶתסָת,KTsVT,ketsot 果て、端
〔第43章〕(Heb.),מִ,,mi ~から
(Heb.),כֶתסֶ,KTsH,ketse 果て、端
◎島々 日本の「九州」を中心とする諸島
地の果て〔英語の end of earth〕
極東<ユーラシアの東の果てにある所>
海に漕ぎ出す者 海洋交易商人たち
海に満ちる者 海上を生活の場とする者たち、
海上生活者、「海人」
※九州「キュウシュウ」
(Heb.),כֶתסֶה,KTSh,ketseh "クツェエ"「果て」の地
「イザヤ書」第49章6
わたしはあなたを国々の光として、
わたしの救いを地の果てまで、
もたらす者とする
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「島々」と「地の果て」〔イザヤ書第41章、第49章〕
「イザヤ書」
※ヘブライ語については省略
第41章1
島々よ、わたしのもとに来て静まれ
第41章5
島々は恐れをもって仰ぎ、
地の果てはおののき共に近づいて来る
第41章10
新しい歌を主に向って歌え。
地の果てから主の栄誉を歌え。
海に漕ぎ出す者、海に満ちる者。
第43章6
わたしの息子たちを遠くから、
娘たちを地の果てから連れ帰れ、という。
※島々よ (Heb.),ִײמ ,AYYM,iyym
地の果て (Heb.),,HARTs,
,הַ,,ha ~の
,,ARTs, 地 (Eng.)earth
〔第41章〕(Heb.),כֶתסָת,KTsVT,ketsot 果て、端
〔第43章〕(Heb.),מִ,,mi ~から
(Heb.),כֶתסֶ,KTsH,ketse 果て、端
◎島々 日本の「九州」を中心とする諸島
地の果て〔英語の end of earth〕
極東<ユーラシアの東の果てにある所>
海に漕ぎ出す者 海洋交易商人たち
海に満ちる者 海上を生活の場とする者たち、
海上生活者、「海人」
※九州「キュウシュウ」
(Heb.),כֶתסֶה,KTSh,ketseh "クツェエ"「果て」の地
「イザヤ書」第49章6
わたしはあなたを国々の光として、
わたしの救いを地の果てまで、
もたらす者とする
2015年8月8日土曜日
北九州の伊都から石見・北陸へと秘匿された「像石」
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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
課題:北九州の伊都から石見・北陸へと秘匿された「像石」
―イスラエルの「証の石」はどこに?―
1.旧約聖書「ヨシュア紀」第22章ガド族等の祭壇と「証し」
2.平石権現神社[串木野市羽島]と
石船神社・鍋石神社[阿久津市折口]
3.大浦[鹿児島県・長崎県]
4.宮地嶽神社[糸島市、宗像郡津屋崎町<福岡県>]
5.「大己貴少彦名命」という呼称の実相
6.静間神社[島根県太田市]と石見国名
7.安来神社:砥神嶋[島根県安来市]
8.気多郡[因幡国]と気多神社[但馬国気多郡]&延喜式神名帳
9.北陸日本海岸と散在する石部神社と物部神社
10.気多神社と大穴持像石神社[石川県羽咋市]と
宿那彦像石神社[同七尾市]
11.寺町・寺島・大町[新潟県糸魚川市]と居多神社[同上越市]
12.御嶋石部神社と物部神社[新潟県西山市]と寺泊[同]
日本の古代史には謎が多く秘められています。
特に5世紀以前の歴史にはそれが顕著です。
当講座はそのような不明のままになっている謎を
『古事記』『日本書紀』など日本の古代史料は元より、
神社の由緒、神名また地名さらに
中国、インド、メソポタミア、ギリシアなどの
古代史料をも参照しつつ
解明すべく努力しています。
よって当講座は古代の秘密のヴェールを切り裂く
独特の研究成果となっています。
当講座の内容は
世間に多くある歴史解説と大分違っております。
そこにわたしが敢えて皆様に
お話申し上げる価値があるのだと考えております。
さて、鹿児島県串木野市に
「平石権現」「石船」などという神社がありますが、
これらは何を表わしているのでしようか。
此処から日本海沿岸の広くに得体の知れない祭祀が延び、
新潟県にまで及んでいます。
それらの多くを
「イスラエルの証しの石」信仰との視点からみれば
明白に理解できるのです。
その実相を内包しているのが、地名であります。
その代表が「北陸」です。
一般に「ほくりく」と呼ばわっていますが、
本義を知るには「キタリク」と訓まなければならないのです。
「キタ」は「気多」「居多」「像」と由来を同じくする同根語です。
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課題:北九州の伊都から石見・北陸へと秘匿された「像石」
―イスラエルの「証の石」はどこに?―
1.旧約聖書「ヨシュア紀」第22章ガド族等の祭壇と「証し」
2.平石権現神社[串木野市羽島]と
石船神社・鍋石神社[阿久津市折口]
3.大浦[鹿児島県・長崎県]
4.宮地嶽神社[糸島市、宗像郡津屋崎町<福岡県>]
5.「大己貴少彦名命」という呼称の実相
6.静間神社[島根県太田市]と石見国名
7.安来神社:砥神嶋[島根県安来市]
8.気多郡[因幡国]と気多神社[但馬国気多郡]&延喜式神名帳
9.北陸日本海岸と散在する石部神社と物部神社
10.気多神社と大穴持像石神社[石川県羽咋市]と
宿那彦像石神社[同七尾市]
11.寺町・寺島・大町[新潟県糸魚川市]と居多神社[同上越市]
12.御嶋石部神社と物部神社[新潟県西山市]と寺泊[同]
日本の古代史には謎が多く秘められています。
特に5世紀以前の歴史にはそれが顕著です。
当講座はそのような不明のままになっている謎を
『古事記』『日本書紀』など日本の古代史料は元より、
神社の由緒、神名また地名さらに
中国、インド、メソポタミア、ギリシアなどの
古代史料をも参照しつつ
解明すべく努力しています。
よって当講座は古代の秘密のヴェールを切り裂く
独特の研究成果となっています。
当講座の内容は
世間に多くある歴史解説と大分違っております。
そこにわたしが敢えて皆様に
お話申し上げる価値があるのだと考えております。
さて、鹿児島県串木野市に
「平石権現」「石船」などという神社がありますが、
これらは何を表わしているのでしようか。
此処から日本海沿岸の広くに得体の知れない祭祀が延び、
新潟県にまで及んでいます。
それらの多くを
「イスラエルの証しの石」信仰との視点からみれば
明白に理解できるのです。
その実相を内包しているのが、地名であります。
その代表が「北陸」です。
一般に「ほくりく」と呼ばわっていますが、
本義を知るには「キタリク」と訓まなければならないのです。
「キタ」は「気多」「居多」「像」と由来を同じくする同根語です。
2015年7月17日金曜日
黄帝の祖族は「彝族」
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第1章 倭人と東夷の原像
―和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させた―
(6)黄帝の祖族は「彝族」
史記五帝本紀第一の「黄帝」には「名は軒轅と曰ふ」とある。
この「軒轅」を漢字の字義で
その真義を解釈しようとしてはいけない。
この漢語の発音は〔xuān-yuān〕となるが、
これは氏族語の〔gai,ge〕〔hea,kea〕の漢語への音写で、
その語義は「星」である。
「大戴禮・帝繋」に「黄帝、軒轅之丘に居る」、
また「淮南子・墬形訓」
※(地形訓とも。「墬」は「地」に同じ、「墜」や「堕」とは別字)※
に「軒轅丘西方に在り」とある。
軒轅が「星」であるから「軒轅の丘」は「星の丘」の語義で、
ここが黄帝の宮殿のあるところである。
その宮を「合宮」という。
「合」は〔ge〕の発音で、前述の通り「星」で「星の宮」となる。
この「星の丘」を語義とする遺跡が四川省にはある。
成都市の北わずかの地広漢市の西方約7キロの南
興鎮真武村にある「三星堆」遺跡がそれである。
「堆」は「土でできた台地」の意味で「星堆」は「星丘」と同じである。
「三」字が付されているのは、
遺跡の地域が三つの台地で構成されているからにすぎない。
1929年の最初の小規模発掘から
1986年の調査まで発掘が重ねられ、大量の遺物が出土した。
それらのうちに商周時代の青銅器類もあったが、
大多数は黄河流域(中原という)の文化とは
全く異なった青銅製の遺物であった。
それら遺物の製作年代は古くは今から4千年まで遡り、
商(殷)時代より古いものとみられる。
しかもその範疇に入る遺物が大多数である。
遺物の内容をここで詳説するのは適しくないが、
まかでも金箔を顔面に付着させた人頭像が数点あるほか
女人頭像も数点ある。
他に御面の型の人面具を含め人頭像が数多く出土している。
これらの諸像は四川盆地に独自に成立した政治権勢の象徴といえる。
その諸像の顔の特徴の一つは
「目」が顔面の半分を占めるほどの大きさである。
また「縦目」といって「目玉:瞼(瞳)」が突立っているものもある。
「華陽國志」には周の時代のこととして
蜀(四川省)の王侯に「蠶(蚕)叢」という者があって、
その目が縦であったといい、
その王が亡くなった時、彼を石棺に納め埋葬したが、
その塚を「縦目人塚」と称したとあり、
「目」「縦目」は同地方の王族の象徴だったとの証拠となっている。
つまり三星堆遺跡は「目族:姫氏」の遺跡であり、
金箔を付着させた人頭像は「黄帝」であったといえる。
次の「黄帝の正妃嫘祖」の説明を確認してもらえれば
因みに、三星堆遺跡所在の広漢市名の「広」 は
概述の〔gai,ge〕あるいは〔hea,kea〕の漢語の音写で「星」を表わし、
また「漢」は漢語のうちにも「天ノ川」の意味とされているように、
その実態は。〔hun〕が「雲」で、「星の雲」=「星雲」となり、
「広漢」はその「星雲」の語義である。
四川省地域は「北の雲」の省で、雲南省名に対応する。
また参考資料として引用した「華陽國志」の「華陽」もまた
「星」の語義で「華陽國」は「星国」であり、「軒轅」と係わる。
ここは黄帝の国である。
なお同資料は
漢時代に四川省についての地理や産業・鉱物について書かれたもの。
『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
『明星院・広島県歴史&地名他』
『Yahoo!天気・災害』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
第1章 倭人と東夷の原像
―和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させた―
(6)黄帝の祖族は「彝族」
史記五帝本紀第一の「黄帝」には「名は軒轅と曰ふ」とある。
この「軒轅」を漢字の字義で
その真義を解釈しようとしてはいけない。
この漢語の発音は〔xuān-yuān〕となるが、
これは氏族語の〔gai,ge〕〔hea,kea〕の漢語への音写で、
その語義は「星」である。
「大戴禮・帝繋」に「黄帝、軒轅之丘に居る」、
また「淮南子・墬形訓」
※(地形訓とも。「墬」は「地」に同じ、「墜」や「堕」とは別字)※
に「軒轅丘西方に在り」とある。
軒轅が「星」であるから「軒轅の丘」は「星の丘」の語義で、
ここが黄帝の宮殿のあるところである。
その宮を「合宮」という。
「合」は〔ge〕の発音で、前述の通り「星」で「星の宮」となる。
この「星の丘」を語義とする遺跡が四川省にはある。
成都市の北わずかの地広漢市の西方約7キロの南
興鎮真武村にある「三星堆」遺跡がそれである。
「堆」は「土でできた台地」の意味で「星堆」は「星丘」と同じである。
「三」字が付されているのは、
遺跡の地域が三つの台地で構成されているからにすぎない。
1929年の最初の小規模発掘から
1986年の調査まで発掘が重ねられ、大量の遺物が出土した。
それらのうちに商周時代の青銅器類もあったが、
大多数は黄河流域(中原という)の文化とは
全く異なった青銅製の遺物であった。
それら遺物の製作年代は古くは今から4千年まで遡り、
商(殷)時代より古いものとみられる。
しかもその範疇に入る遺物が大多数である。
遺物の内容をここで詳説するのは適しくないが、
まかでも金箔を顔面に付着させた人頭像が数点あるほか
女人頭像も数点ある。
他に御面の型の人面具を含め人頭像が数多く出土している。
これらの諸像は四川盆地に独自に成立した政治権勢の象徴といえる。
その諸像の顔の特徴の一つは
「目」が顔面の半分を占めるほどの大きさである。
また「縦目」といって「目玉:瞼(瞳)」が突立っているものもある。
「華陽國志」には周の時代のこととして
蜀(四川省)の王侯に「蠶(蚕)叢」という者があって、
その目が縦であったといい、
その王が亡くなった時、彼を石棺に納め埋葬したが、
その塚を「縦目人塚」と称したとあり、
「目」「縦目」は同地方の王族の象徴だったとの証拠となっている。
つまり三星堆遺跡は「目族:姫氏」の遺跡であり、
金箔を付着させた人頭像は「黄帝」であったといえる。
次の「黄帝の正妃嫘祖」の説明を確認してもらえれば
因みに、三星堆遺跡所在の広漢市名の「広」 は
概述の〔gai,ge〕あるいは〔hea,kea〕の漢語の音写で「星」を表わし、
また「漢」は漢語のうちにも「天ノ川」の意味とされているように、
その実態は。〔hun〕が「雲」で、「星の雲」=「星雲」となり、
「広漢」はその「星雲」の語義である。
四川省地域は「北の雲」の省で、雲南省名に対応する。
また参考資料として引用した「華陽國志」の「華陽」もまた
「星」の語義で「華陽國」は「星国」であり、「軒轅」と係わる。
ここは黄帝の国である。
なお同資料は
漢時代に四川省についての地理や産業・鉱物について書かれたもの。
2015年7月16日木曜日
「和氏」及び「羲氏」
浦和レッズレディース 猶本光サポーターズサイト
『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
第1章 倭人と東夷の原像
―和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させた―
(5)「和氏」及び「羲氏」
ここでは前記した「彝族」「哈尼族」の古代を考察する。
ここで確認しておきたい重要な点は
「彝語」あるいは「哈尼語」の語圏は漢語系とは
全く異なった発祥と展開を経てきたということである。
「哈尼族」は実は書経「禹貢」の「梁州」に
「和夷底績」と記述される「和夷」の後裔である。
因みに「梁州」とは四川省の四川盆地地方である。
書経は孔子が纏めたいわれるくらいだから
紀元前5世紀以前のシナにおける書物で、
そのうちの「禹貢」はシナにおける「山海経」より古い
最初の地理書で揚子江・黄河流域を九つの州に分け、
夏王朝の開祖「禹」がその各地を治めたという内容になっている。
新釈漢文大系の「書経」はその通釈で
「和夷の住む地が遂に治まった」といっており、
「和夷」とはそういう人々がいたと解釈している。
しかもその住む地が梁州、つまり四川盆地だといっている。
「哈尼族簡志」では
「漢文史籍中の歴史名称は和夷、和蛮、和泥、禾泥、和泥、俄泥、
阿泥、哈尼~有り」といっており、
彼等の祖族が「和夷」であるとしている「尼」「泥」は
哈尼語、彝語で「人」を表わし、当該族は「和人」となる。
この「和人」について書経「堯典」に興味ある記述がある。
第二節に「堯四岳を任命し暦を作る」に依る(新釈漢文大系)
乃ち羲和に欽んで昊天に若って、日月星辰を暦象し、
敬んで民の時を授へんことを命ず。
分けて羲仲に嵎夷に宅を命じて曰く、
「晹谷に出日を寅賓し、東作を平秩せよ。
日は中にして星を鳥にて、以って仲春を殷せ。
厥の民は折れ、鳥獣は孳尾せん」と。
申ねて羲叔に南交に宅子を命じて〔曰く〕、
「南訛を平秩せよ。日は永く星は火にて、以って仲夏を正せ。
厥の民は因し、鳥獣は希革せん」と。
分けて和仲に西に宅子を命じて曰く、
「味谷に納日を寅餞し、西成を平釈せよ。
宵は中にして星は虚にて、以って仲秋を殷せ。
厥の民は夷り、鳥獣は毛せん」と。
申ねて和叔に朔方に宅子を命じて曰く、
「朔易を平在せよ。日は短く星は昴にて、以って仲冬を正せ。
厥の民は隩し、鳥獣は氄毛せん」と。
帝曰く
「咨、汝羲および和、朞は三百有六旬有六日にし、
閏月を以って、四時を定めて、歲を成せ」。
※出典:『尚書』虞書・堯典 第一
乃命羲和,欽若昊天,歷象日月星辰,敬授人時。
分命羲仲,宅嵎夷,曰暘谷。寅賓出日,平秩東作。
日中,星鳥,以殷仲春。
厥民析,鳥獸孳尾。
申命羲叔,宅南交。
平秩南訛,敬致。
日永,星火,以正仲夏。
厥民因,鳥獸希革。
分命和仲,宅西,曰昧谷。
寅餞納日,平秩西成。
宵中,星虛,以殷仲秋。
厥民夷,鳥獸毛毨。
申命和叔,宅朔方,曰幽都。
平在朔易。
日短,星昴,以正仲冬。
厥民隩,鳥獸氄毛。
帝曰:
「咨!汝羲暨和。
朞三百有六旬有六日,以閏月定四時,成歲。
允釐百工,庶績咸熙。」
羲氏と和氏に、暦と季節を調査させた。
羲仲は東で、春の発生を調べた。
羲叔は南で、夏の生長を調べた。
和中は西で、秋の成熟を調べた。
和叔は北で、冬の蓄積を調べた。
それぞれの季節で、すべきことを定めた。
帝堯はいう。
「羲氏と和氏の兄弟たちよ。
1年を366日として、閏月でズレを補正せよ。
1年の行事を定めよ」と。
暦と行事が整備された。※
当記述にある羲和とは「羲氏」と「和氏」である。
つまり黄帝から第5代の「帝堯」が
羲氏と和氏の両族に命じて東西南北に彼等を配置し、
「暦」つまり「歳」ごとの人々の生活様式を
整えさせたというのである。
ここに登場する「和氏」は「和人」にして「哈尼族」の祖先であろう。
まさに「和人」及び「羲人」が
シナ大陸を最初に開化させてとの趣旨である。
「和」字の語義をみると同字の「咊」で「こゑを合わせる」が由来であり、
歌をコーラスで奏する際の声が合う、
調えられている様子をいう。
さて、「羲氏」であるが、これは「彝族」の別称である。
同族の呼称を「彝語簡志」は〔no-su〕という。
この表音はすでに述べた通り「石・目」の合成で「瞳」を表わす。
つまり彝族は「目族」なのである。
「彝羲」と合成すると、これまた IGI で「目」の意義である。
シナの古来からの姓名を一字で表わす慣習から
「イ」「キ」と分けられたと考えられる。
「目族」はまた前述のように「姫氏」でもある。
『ひねもす至福の時』
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第1章 倭人と東夷の原像
―和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させた―
(5)「和氏」及び「羲氏」
ここでは前記した「彝族」「哈尼族」の古代を考察する。
ここで確認しておきたい重要な点は
「彝語」あるいは「哈尼語」の語圏は漢語系とは
全く異なった発祥と展開を経てきたということである。
「哈尼族」は実は書経「禹貢」の「梁州」に
「和夷底績」と記述される「和夷」の後裔である。
因みに「梁州」とは四川省の四川盆地地方である。
書経は孔子が纏めたいわれるくらいだから
紀元前5世紀以前のシナにおける書物で、
そのうちの「禹貢」はシナにおける「山海経」より古い
最初の地理書で揚子江・黄河流域を九つの州に分け、
夏王朝の開祖「禹」がその各地を治めたという内容になっている。
新釈漢文大系の「書経」はその通釈で
「和夷の住む地が遂に治まった」といっており、
「和夷」とはそういう人々がいたと解釈している。
しかもその住む地が梁州、つまり四川盆地だといっている。
「哈尼族簡志」では
「漢文史籍中の歴史名称は和夷、和蛮、和泥、禾泥、和泥、俄泥、
阿泥、哈尼~有り」といっており、
彼等の祖族が「和夷」であるとしている「尼」「泥」は
哈尼語、彝語で「人」を表わし、当該族は「和人」となる。
この「和人」について書経「堯典」に興味ある記述がある。
第二節に「堯四岳を任命し暦を作る」に依る(新釈漢文大系)
乃ち羲和に欽んで昊天に若って、日月星辰を暦象し、
敬んで民の時を授へんことを命ず。
分けて羲仲に嵎夷に宅を命じて曰く、
「晹谷に出日を寅賓し、東作を平秩せよ。
日は中にして星を鳥にて、以って仲春を殷せ。
厥の民は折れ、鳥獣は孳尾せん」と。
申ねて羲叔に南交に宅子を命じて〔曰く〕、
「南訛を平秩せよ。日は永く星は火にて、以って仲夏を正せ。
厥の民は因し、鳥獣は希革せん」と。
分けて和仲に西に宅子を命じて曰く、
「味谷に納日を寅餞し、西成を平釈せよ。
宵は中にして星は虚にて、以って仲秋を殷せ。
厥の民は夷り、鳥獣は毛せん」と。
申ねて和叔に朔方に宅子を命じて曰く、
「朔易を平在せよ。日は短く星は昴にて、以って仲冬を正せ。
厥の民は隩し、鳥獣は氄毛せん」と。
帝曰く
「咨、汝羲および和、朞は三百有六旬有六日にし、
閏月を以って、四時を定めて、歲を成せ」。
※出典:『尚書』虞書・堯典 第一
乃命羲和,欽若昊天,歷象日月星辰,敬授人時。
分命羲仲,宅嵎夷,曰暘谷。寅賓出日,平秩東作。
日中,星鳥,以殷仲春。
厥民析,鳥獸孳尾。
申命羲叔,宅南交。
平秩南訛,敬致。
日永,星火,以正仲夏。
厥民因,鳥獸希革。
分命和仲,宅西,曰昧谷。
寅餞納日,平秩西成。
宵中,星虛,以殷仲秋。
厥民夷,鳥獸毛毨。
申命和叔,宅朔方,曰幽都。
平在朔易。
日短,星昴,以正仲冬。
厥民隩,鳥獸氄毛。
帝曰:
「咨!汝羲暨和。
朞三百有六旬有六日,以閏月定四時,成歲。
允釐百工,庶績咸熙。」
羲氏と和氏に、暦と季節を調査させた。
羲仲は東で、春の発生を調べた。
羲叔は南で、夏の生長を調べた。
和中は西で、秋の成熟を調べた。
和叔は北で、冬の蓄積を調べた。
それぞれの季節で、すべきことを定めた。
帝堯はいう。
「羲氏と和氏の兄弟たちよ。
1年を366日として、閏月でズレを補正せよ。
1年の行事を定めよ」と。
暦と行事が整備された。※
当記述にある羲和とは「羲氏」と「和氏」である。
つまり黄帝から第5代の「帝堯」が
羲氏と和氏の両族に命じて東西南北に彼等を配置し、
「暦」つまり「歳」ごとの人々の生活様式を
整えさせたというのである。
ここに登場する「和氏」は「和人」にして「哈尼族」の祖先であろう。
まさに「和人」及び「羲人」が
シナ大陸を最初に開化させてとの趣旨である。
「和」字の語義をみると同字の「咊」で「こゑを合わせる」が由来であり、
歌をコーラスで奏する際の声が合う、
調えられている様子をいう。
さて、「羲氏」であるが、これは「彝族」の別称である。
同族の呼称を「彝語簡志」は〔no-su〕という。
この表音はすでに述べた通り「石・目」の合成で「瞳」を表わす。
つまり彝族は「目族」なのである。
「彝羲」と合成すると、これまた IGI で「目」の意義である。
シナの古来からの姓名を一字で表わす慣習から
「イ」「キ」と分けられたと考えられる。
「目族」はまた前述のように「姫氏」でもある。
2015年7月15日水曜日
娰氏〔姫氏〕
浦和レッズレディース 猶本光サポーターズサイト
『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
『明星院・広島県歴史&地名他』
『Yahoo!天気・災害』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
第1章 倭人と東夷の原像
―和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させた―
(4)姒氏〔姫氏〕
これに対し「姒氏」についてはどうか。
その発音は[ssu]は「姫氏」の「姫:シ」に由来するとみられる。
「姫」字も甲骨文字(亀甲文字20815)にある。
同字の「臣」は「亀甲文字:目」が元で
これは「亀甲文字:目」をタテにしたものである。
現在「臣下」のように使われているが、
本来「目を上に向ける」語柄で、
「臣下」は「王ないし皇帝を見上げ崇める」の語義となる。
殷(商)時代に多くみられる「臣」字の意義はそれである。
しかし、その背後には「目を上げて天に向く」、
つまり「神」に対する崇拝の態度を表現する語柄がある。
この語性は「夷」字に係わる用語として
白川静が「字通」で指摘した「尸」字の語義「祭司」に相当し、
男性の「巫」を表わす。
そこに「女」が付され「姫」となれば
「神を崇拝する(神を司る)女」で「巫女」を表わすこととなる。
日本語ではこれを「ヒメ」と訓むのはPA・ME〔呼ぶ‐神託〕で
「神に呼び掛ける役目の女」に依っている。
よって「姫氏」とは「天神を崇拝する人々」となる。
「見」は「見上げる人:目+人」の語義で、
「視」を「シ」と表現するように「臣」は「シン」というより
本来「シ」で「姒〔ssu〕」に近い。
「目」を「シ」と表現することをここで確定している理由は、
シナの西南部四川省あるいは雲南省にいる
少数民族「彝族」「哈尼族」あるいは「納西族」の
言葉によっているからである。
1985年の「彝語簡志」は「眼清:瞳」を〔no-dzi〕〔na-du〕、
また同じ頃の「哈尼語簡志」は「眼清」を〔nia,matsi,natsj〕とし、
明治期に日本の民俗学者鳥井龍蔵が収集した「目」に当たる用語は
「中国の少数民族地帯をゆく」によると
〔nitt,nisu,nes,ness〕などとある。
このうち〔n-〕語は本来「石」、
〔dzj,du,ja,tsi,ts〕〔-tt,-s,-su〕が
「目」の語義を表わしている。
「眼清」あるいは〔n-dzi〕はつまり「目の石」で「瞳」をいう。
〔ma-,m-〕は日本語で当該部分を「メ」というのに同じで、
鳥井龍蔵の収集語のうちに〔med〕とあり同語が混在している。
それは「マツ」で日本語の「目の毛」である「マツ毛」に相当する。
いずれにしても
同族類では「目」を「シ」あるいは「ツィ」と表現している。
これらの用語収集は19世紀のことである。
彝族の用語に「夷」を〔zi〕といっているのも参考になる。
本書が検討しているのは現在あるいは鳥井龍蔵の時より
2千年以上3千年も前の古い時代である。
その間の転訛などの変化を考慮しなければならないし、
地域差も加味しなければならない。
しかし、
「姫」は「シ」にして「姫氏」は「シ氏」にして「眼族」と解釈される。
つまり、黄帝から夏王朝の始祖禹までは姒族にして「姫氏」で、
姬族とは全く別系の人々であることが判明してくる
その夏王朝の「夏」は哈尼語にze,je,ja,彝語でsiと
現在でも表音されるように正に「シ:眼」と同意にして
姫氏の出であることを示している。
史記の五帝本紀には司馬遷かあるいはその一族の意図か、
双方をあえて同族とみなそうとする企図がある。
図1 帝から始まる「帝」の系譜[史記]
図2 古代資料ににる「姫」「姬」
『ひねもす至福の時』
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第1章 倭人と東夷の原像
―和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させた―
(4)姒氏〔姫氏〕
これに対し「姒氏」についてはどうか。
その発音は[ssu]は「姫氏」の「姫:シ」に由来するとみられる。
「姫」字も甲骨文字(亀甲文字20815)にある。
同字の「臣」は「亀甲文字:目」が元で
これは「亀甲文字:目」をタテにしたものである。
現在「臣下」のように使われているが、
本来「目を上に向ける」語柄で、
「臣下」は「王ないし皇帝を見上げ崇める」の語義となる。
殷(商)時代に多くみられる「臣」字の意義はそれである。
しかし、その背後には「目を上げて天に向く」、
つまり「神」に対する崇拝の態度を表現する語柄がある。
この語性は「夷」字に係わる用語として
白川静が「字通」で指摘した「尸」字の語義「祭司」に相当し、
男性の「巫」を表わす。
そこに「女」が付され「姫」となれば
「神を崇拝する(神を司る)女」で「巫女」を表わすこととなる。
日本語ではこれを「ヒメ」と訓むのはPA・ME〔呼ぶ‐神託〕で
「神に呼び掛ける役目の女」に依っている。
よって「姫氏」とは「天神を崇拝する人々」となる。
「見」は「見上げる人:目+人」の語義で、
「視」を「シ」と表現するように「臣」は「シン」というより
本来「シ」で「姒〔ssu〕」に近い。
「目」を「シ」と表現することをここで確定している理由は、
シナの西南部四川省あるいは雲南省にいる
少数民族「彝族」「哈尼族」あるいは「納西族」の
言葉によっているからである。
1985年の「彝語簡志」は「眼清:瞳」を〔no-dzi〕〔na-du〕、
また同じ頃の「哈尼語簡志」は「眼清」を〔nia,matsi,natsj〕とし、
明治期に日本の民俗学者鳥井龍蔵が収集した「目」に当たる用語は
「中国の少数民族地帯をゆく」によると
〔nitt,nisu,nes,ness〕などとある。
このうち〔n-〕語は本来「石」、
〔dzj,du,ja,tsi,ts〕〔-tt,-s,-su〕が
「目」の語義を表わしている。
「眼清」あるいは〔n-dzi〕はつまり「目の石」で「瞳」をいう。
〔ma-,m-〕は日本語で当該部分を「メ」というのに同じで、
鳥井龍蔵の収集語のうちに〔med〕とあり同語が混在している。
それは「マツ」で日本語の「目の毛」である「マツ毛」に相当する。
いずれにしても
同族類では「目」を「シ」あるいは「ツィ」と表現している。
これらの用語収集は19世紀のことである。
彝族の用語に「夷」を〔zi〕といっているのも参考になる。
本書が検討しているのは現在あるいは鳥井龍蔵の時より
2千年以上3千年も前の古い時代である。
その間の転訛などの変化を考慮しなければならないし、
地域差も加味しなければならない。
しかし、
「姫」は「シ」にして「姫氏」は「シ氏」にして「眼族」と解釈される。
つまり、黄帝から夏王朝の始祖禹までは姒族にして「姫氏」で、
姬族とは全く別系の人々であることが判明してくる
その夏王朝の「夏」は哈尼語にze,je,ja,彝語でsiと
現在でも表音されるように正に「シ:眼」と同意にして
姫氏の出であることを示している。
史記の五帝本紀には司馬遷かあるいはその一族の意図か、
双方をあえて同族とみなそうとする企図がある。
図1 帝から始まる「帝」の系譜[史記]
図2 古代資料ににる「姫」「姬」
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