2015年5月28日木曜日

史記・五帝本紀第一③

 浦和レッズレディース
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 ※出典:Web漢文大系・史記
 Web漢文大系・史記

 【五帝本紀第一】

 堯帝①

  帝堯者,放勳。其仁如天,其知如神。就之如日,望之如雲。

 富而不驕,貴而不舒。黃收純衣,彤車乘白馬。能明馴德,以親九族。

 九族既睦,便章百姓。百姓昭明,合和萬國。


  帝(てい)堯(ぎょう)は放勲(ほうくん)、その仁は天のごとく、

 その知は神(しん)のごとく、これに就(つ)くこと日のごとく、

 これを望むこと雲(くも)のごとし。

 富めども驕(おご)らず、貴(たっと)けれども舒(あなど)らず。

 黄収(こうしゅう)純衣(じゅんい)、

 彤車(とうしゃ)にして白馬に乗る。

 よく馴徳(じゅんとく)を明らかにし、

 もって九族(きゅうぞく)を親しむ。

 九族すでに睦(むつまじ)くして、

 百姓(ひゃくせい)を便章(べんしょう)す。

 百姓昭明(しょうめい)にして、万国を合和(ごうわ)す。


 堯帝②

  乃命羲、和,敬順昊天,數法日月星辰,敬授民時。

 分命羲仲,居鬱夷,曰暘穀。敬道日出,便程東作。

 日中,星鳥,以殷中春。其民析,鳥獸字微。

 申命羲叔,居南交。便程南為,敬致。日永,星火,以正中夏。

 其民因,鳥獸希革。申命和仲,居西土,曰昧穀。

 敬道日入,便程西成。夜中,星虛,以正中秋。其民夷易,鳥獸毛毨。

 申命和叔;居北方,曰幽都。便在伏物。

 日短,星昴,以正中冬。其民燠,鳥獸氄毛。

 歲三百六十六日,以閏月正四時。信飭百官,眾功皆興。


  すなわち羲(ぎ)、和(か)に命じ、

 敬(つつし)みて昊天(こうてん)に順(したが)い、

 日月(じつげつ)星辰(せいしん)を数え法(のっと)り、

 敬みて民に時を授(さずけ)しむ。

 分(わか)ちて羲仲(ぎちゅう)に命じて、郁夷(いくい)におらしむ、

 暘谷(ようこく)という。

 敬(つつし)みて日の出(いず)るを道(みち)びき、

 東作(とうさく)を便程(べんてい)す。

 日(ひ)は中(ちゅう)、星は鳥(ちょう)、

 もって中春(ちゅうしゅん)を殷ただす。


 その民は析(わか)れ、鳥獣は字微(じび)す。

 申(かさね)て羲叔(ぎしゅく)に命じて、南交なんこうにおらしむ。

 南為なんいを便程(べんてい)し、敬(つつし)みて致す。

 日は永(なが)く、星は火(か)、

 もって中夏(ちゅうか)を正(ただ)す。

 その民は因より、鳥獣は希革(きかく)す。

 申(かさね)て和仲(わちゅう)に命じて、西土(せいど)におらしむ。

 昧谷(まいこく)という。

 敬(つつし)みて日の入いるを道(みち)びき、

 西成(せいせい)を便程(べんてい)。

 夜(よ)は中(ちゅう)、星は虚(きょ)、

 もって中秋ちゅうしゅうを正ただす。

 その民は夷易(いい)し、鳥獣は毛毨(もうせん)す。

 申(かさね)て和叔(かしゅく)に命じて、北方(ほくほう)におらしむ。

 幽都(ゆうと)という。

 伏物(ふくぶつ)を便在(べんざい)す。

 日は短く、星は昴(ぼう)、もって中冬(ちゅうとう)を正(ただ)す。

 その民は燠(あたたま)り、鳥獣は氄毛(じょうもう)す。

 歳(とし)三百六十六日、

 閏月(じゅんげつ)をもって四時(しいじ)を正(ただ)す。

 信(まこと)に百官(ひゃっかん)を飭(ととの)え、

 衆功(しゅうこう)みな興(お)こる。


 堯帝③

  堯曰:「誰可順此事?」放齊曰:「嗣子丹硃開明。」

 堯曰:「籲!頑凶,不用。」

 堯又曰:「誰可者?」讙兜曰:「共工旁聚布功,可用。」

 堯曰:「共工善言,其用僻,似恭漫天,不可。」

 堯又曰:「嗟,四岳,湯湯洪水滔天,浩浩懷山襄陵,

 下民其憂,有能使治者?」皆曰鯀可。

 堯曰:「鯀負命毀族,不可。」

 嶽曰:「異哉,試不可用而已。」

 堯於是聽嶽用鯀。九歲,功用不成。


  堯(ぎょう)曰く、たれかこの事ことに順(したが)うべき、と。

 放斉(ほうせい)曰く、

 嗣子(しし)丹朱(たんしゅ)開明(かいめい)なり、と。

 堯曰く、吁(ああ)、頑凶(がんきょう)なり、用(もちい)られず、と。

 堯(ぎょう)また曰く、たれか可なる者ぞ、と。

 讙兜(かんとう)曰く、共工(きょうこう)は

 旁(あまね)く聚(あつめ)て功(こう)を布しかん、

 用(もち)うべし、と。

 堯曰く、共工はよく言えども、その用うるや僻(へき)す。

 恭(きょう)に似たれども天を漫(あなど)る。不可なり、と。

 堯(ぎょう)また曰く、嗟(ああ)、四岳(しがく)、

 湯湯(しょうしょう)たる洪水(こうずい)天に滔(はびこ)り、

 浩浩(こうこう)として山を懐(つつ)み陵(おか)に襄(のぼ)る、

 下民それ憂う、よく治めしむる者あらんや、と。

 みな曰く、鯀可(こんか)なり、と。

 堯曰く、鯀(こん)は命に負(そむ)き族を毀(やぶ)る、不可なり、と。

 岳がく曰く、异(あげ)んかな、

 試みて用うべからずんば而(すなわち)已(やめ)ん、と。

 堯ここにおいて岳(がく)に聴きて鯀(こん)を用もちう。

 九歳まで功用(こうよう)成らず。


 堯帝④

  堯曰:「嗟!四嶽:朕在位七十載,汝能庸命,踐朕位?」

 岳應曰:「鄙德忝帝位。」

 堯曰:「悉舉貴戚及疏遠隱匿者。」

 眾皆言於堯曰:「有矜在民間,曰虞舜。」

 堯曰:「然,朕聞之。其何如?」

 嶽曰:「盲者子。父頑,母嚚,弟傲,能和以孝,烝烝治,不至奸。」

 堯曰:「吾其試哉。」於是堯妻之二女,觀其德於二女。

 舜飭下二女於媯汭,如婦禮。堯善之,


  堯(ぎょう)曰く、嗟(ああ)、四岳(しがく)、朕(われ)、

 位(くらい)にあること七十載(しちじっさい)、

 なんじよく命を庸(もち)う、朕(わが)位を践(ふ)め、と。

 岳(がく)応(こたえ)て曰く、鄙徳(ひとく)なり、

 帝位を忝(はずかしめ)ん、と。

 堯(ぎょう)曰く、ことごとく貴戚(きせき)および


 疏遠(そえん)隠匿(いんとく)の者を挙(あげ)よ、と。

 衆(みな)堯に言いて曰く、矜(やもめ)ありて民間にあり、

 虞舜(ぐしゅん)という、と。

 堯曰く、しかり、朕(われ)もこれを聞けり。それいかん。

 岳曰く、盲者(もうしゃ)の子。

 父は頑(がん)に、母は嚚(ぎん)に、弟は傲(ごう)なるも、

 よく和(やわら)ぐるに孝をもってし、

 烝烝(じょうじょう)として治めて

 姦(かん)に至いたらしめず、と。

 堯(ぎょう)曰く、われ、それ試(こころみ)んかな、と。

 ここにおいて堯はこれに二女(にじょ)を妻(め)あわせ、

 その徳の二女におけるを観みる。

 舜(しゅん)、二女を媯汭(きぜい)に飭(ととの)え下し、

 婦(ふの)礼のごとくす。

 堯、これを善(よ)みす。


 堯帝⑤

  乃使舜慎和五典,五典能從。乃遍入百官,百官時序。

 賓於四門,四門穆穆,諸侯遠方賓客皆敬。

 堯使舜入山林川澤,暴風雷雨,舜行不迷。

 堯以為聖,召舜曰:「女謀事至而言可績,三年矣。女登帝位。」

 舜讓於德不懌。正月上日,舜受終於文祖。文祖者,堯大祖也。

 於是帝堯老,命舜攝行天子之政,以觀天命。


  すなわち舜(しゅん)をして慎(つつし)みて

 五典(ごてん)を和(やわら)げしむ、五典よく従う。

 すなわち徧(あまね)く百官(ひゃっかん)に入(い)らしむ、

 百官時これ序(じょ)し、四門に賓(ひん)せしむ、

 四門穆穆(ぼくぼく)たり、諸侯、遠方の賓客(ひんかく)、

 みな敬す。

 堯、舜をして山林・川沢(せんたく)に入らしむ、

 暴風・雷雨にも、舜行(ゆ)きて迷わず。

 堯もって聖となす、

 舜を召して曰く、女(なんじ)、事を謀ること至れり、

 しこうして言(げん)、績(せき)とすべきこと三年。

 女(なんじ)、帝位に登れ、と。

 舜、徳に譲り、懌(よろこ)ばず。正月上日(じょうじつ)、

 舜、終(おわ)りを文祖(ぶんそ)に受く。

 文祖とは堯の大祖(たいそ)なり。

 ここにおいて帝(てい)堯老(ろう)し、

 舜に命じて天子の政(まつりごと)を摂行(せっこう)せしめ、

 もって天命を観(み)る。


 堯帝⑥

  舜乃在璿璣玉衡,以齊七政。

 遂類于上帝,禋于六宗,望於山川,辯於群神。

 揖五瑞,擇吉月日,見四岳諸牧,班瑞。

 歲二月,東巡狩,至於岱宗,祡,望秩於山川。

 遂見東方君長,合時月正日,同律度量衡,

 脩五禮五玉三帛二生一死為摯,如五器,卒乃複。

 五月,南巡狩;八月,西巡狩;十一月,北巡狩:皆如初。

 歸,至於祖禰廟,用特牛禮。五歲一巡狩,群後四朝。

 遍告以言,明試以功,車服以庸。肇十有二州,決川。

 象以典刑,流宥五刑,鞭作官刑,撲作教刑,金作贖刑。

 眚災過,赦;怙終賊,刑。

 欽哉,欽哉,惟刑之靜哉!讙兜進言共工,

 堯曰不可而試之工師,共工果淫辟。

 四岳舉鯀治鴻水,堯以為不可,嶽彊請試之,

 試之而無功,故百姓不便。

 三苗在江淮、荊州數為亂。於是舜歸而言於帝,請流共工於幽陵,

 以變北狄;放驩兜於崇山,以變南蠻;遷三苗於三危,

 以變西戎;殛鯀於羽山,以變東夷:四罪而天下鹹服。


  舜(しゅん)すなわち璿璣(せんき)玉衡(ぎょくこう)を

 在(あきら)かにし、もって七政(しちせい)を斉(ととの)う。

 ついに上帝に類(るい)し、六宗(りくそう)に禋(いん)し、

 山川に望(ぼう)し、群神(ぐんしん)に弁(べん)す。

 五瑞(ごずい)を揖(おさ)め、吉月日(きつげつじつ)を択(えら)び、

 四岳(しがく)・諸牧(しょぼく)を見、瑞を班(わか)つ。

 歳(とし)の二月、東に巡狩(じゅんしゅ)し、

 岱宗(たいそう)に至り、祡(さい)し、山川を望秩(ぼうちつ)す。

 ついに東方の君長(くんちょう)を見、

 時月(じげつ)を合わせ、日を正(ただ)しゅうし、

 律(りつ)度量衡(どりょうこう)を同じゅうし、五礼を修め、

 五玉・三帛(さんぱく)・二生・一死を摯(し)となし、


 五器を如(ひとしゅう)し、卒(おわ)ればすなわち復(か)えす。


 堯帝⑦

  堯立七十年得舜,二十年而老,令舜攝行天子之政,薦之於天。

 堯辟位凡二十八年而崩。百姓悲哀,如喪父母。

 三年,四方莫舉樂,以思堯。

 堯知子丹硃之不肖,不足授天下,於是乃權授舜。

 授舜,則天下得其利而丹硃病;授丹硃,則天下病而丹硃得其利。

 堯曰「終不以天下之病而利一人」,而卒授舜以天下。

 堯崩,三年之喪畢,舜讓辟丹硃於南河之南。

 諸侯朝覲者不之丹硃而之舜,獄訟者不之丹硃而之舜,

 謳歌者不謳歌丹硃而謳歌舜。

 舜曰「天也」,夫而後之中國踐天子位焉,是為帝舜。


  五月、南に巡狩(じゅんしゅ)し、八月、西に巡狩し、

 十一月、北に巡狩す。みな初はじめのごとし。

 帰りて祖禰(そでい)の廟(びょう)に至り、

 特牛(とくぎゅう)の礼を用う。

 五歳に一たび巡狩し、群后(ぐんこう)四たび朝(ちょう)す。

 徧(あまねく)告ぐるに言をもってし、

 明らかに試みるに功をもってし、

 車服(しゃふく)は庸(よう)をもってす。

 十有二州を肇はじめ、川を決(け)っす。

 象(しょう)するに典刑(てんけい)をもってし、

 流(りゅう)して五刑を宥(ゆる)し、鞭(むち)を官刑と作なし、

 扑(ぼく)を教刑と作し、金を贖刑(とくけい)と作し、

 眚(せい)、烖(さい)の過(あやま)ちは赦ゆるし、

 怙終(こしゅう)の賊をば刑す。欽(つつ)しめよや、欽めよや、

 これ刑をこれ静(しずか)にせんかな、と。

 讙兜(かんとう)、共工(きょうこう)を進め言う、

 堯(ぎょう)曰く、不可なり、と。

 しこうしてこれを工師に試(こころ)む、

 共工果はたして淫辟(いんぺき)なり。

 四岳、鯀(こん)をあげて鴻水(こうずい)を治めしめんとす、

 堯、もって不可となす、岳、彊(しい)てこれを試みんと請(こう)、

 これを試みたれども功なし、ゆえに百姓、便とせず。

 三苗(さんびょう)、江(こう)・淮(わい)・荊州(けいしゅう)にありて

 しばしば乱をなす。

 ここにおいて、舜帰りて帝(てい)に言い、

 請(こう)て共工を幽陵(ゆうりょう)に流し、

 もって北狄(ほくてき)に変じ、

 驩兜(かんとう)を崇山(すうざん)に放ち、

 もって南蛮(なんばん)に変じ、

 三苗を三危(さんき)に遷(うつ)し、

 もって西戎(せいじゅう)に変じ、

 鯀(こん)を羽山(うざん)に殛(きょく)し、

 もって東夷(とうい)に変ず、四辠(しざい)して天下みな服す。


 堯帝⑧

  堯立七十年得舜、二十年而老、令舜攝行天子之政、薦之於天。

 堯辟位凡二十八年而崩。百姓悲哀、如喪父母。」
 
 三年、四方莫舉樂、以思堯。堯知子丹朱之不肖、不足授天下。

 於是乃權授舜。

 授舜、則天下得其利、而丹朱病、授丹朱、則天下病而丹朱得其利。

 堯曰、終不以天下之病而利一人。而卒授舜以天下。

 堯崩、三年之喪畢、舜讓辟丹朱於南河之南。

 諸侯朝覲者不之丹朱而之舜、獄訟者不之丹朱而之舜、

 謳歌者不謳歌丹朱而謳歌舜。

 舜曰、天也夫。而後之中國踐天子位焉、是爲帝舜。


  堯(ぎょう)立ちて七十年にして舜(しゅん)を得え、

 二十年にして老(ろう)し、

 舜をして天子の政(まつりごと)を摂行(せっこう)せしめ、

 これを天に薦(すす)む。

 堯、位を辟(さ)けておよそ二十八年にして崩(ほう)ず。

 百姓悲哀し、父母を喪(うしな)うがごとし。

 三年、四方(しほう)、楽(がく)を挙ぐるなく、もって堯を思う。

 堯、子の丹朱(たんしゅ)の不肖(ふしょう)にして、

 天下を授(さず)くるに足らざるを知る。

 ここにおいてすなわち権(はか)りて舜に授く。

 舜に授くれば、すなわち天下その利を得て、

 丹朱(たんしゅ)病(や)まん、丹朱に授くれば、

 すなわち天下病みて丹朱(たんしゅ)その利を得ん。

 堯曰く、ついに天下の病をもって一人を利(り)せじ、と。

 しこうして卒(つい)に舜に授くるに天下をもってす。

 堯崩(ほうじ)、三年の喪も畢(おわ)り、

 舜、譲(ゆず)りて丹朱を南河の南に辟(さ)く。

 諸侯の朝覲(ちょうきん)する者、

 丹朱に之(ゆ)かずして舜に之(ゆ)き、獄訟(ごくしょう)する者、

 丹朱に之(ゆ)かずして舜に之(ゆ)き、謳歌(おうか)する者、

 丹朱を謳歌せずして舜を謳歌す。舜曰く、天なるかな、と。

 しこうして後(のち)、中国に之(ゆ)き、天子の位を践(ふ)む、

 これを帝(てい)舜となす。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年5月27日水曜日

史記・五帝本紀第一②

 浦和レッズレディース
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 《課題》 孔子は和人〔倭人〕の社会習性を理想とした
     ―堯舜の賢政は和人の思想―

 【五帝本紀第一】

 黄帝①

 黃帝者,少典之子,姓公孫,名曰軒轅。生而神靈,弱而能言,

 幼而徇齊,長而敦敏,成而聰明。軒轅之時,神農氏世衰。

 諸侯相侵伐,暴虐百姓,而神農氏弗能征。於是軒轅乃慣用干戈,

 以征不享,諸侯咸來賓從。而蚩尤最為暴,莫能伐。

 炎帝欲侵陵諸侯,諸侯咸歸軒轅。

 軒轅乃修德振兵,治五氣,五種,撫萬民,度四方,

 教熊羆貔貅貙虎,以與炎帝戰於阪泉之野。三戰,然後得其志。

 蚩尤作亂,不用帝命。

 於是黃帝乃徵師諸侯,與蚩尤戰於涿鹿之野,遂禽殺蚩尤。

 而諸侯咸尊軒轅為天子,代神農氏,是為黃帝。


  黄帝(こうてい)は少典の子なり。

 姓は公孫(こうそん)、名は軒轅(けんえん)という。

 生まれて神霊(しんれい)、弱(じゃく)にしてよく言い、

 幼(よう)にして徇斉(じゅんせい)、長じて敦敏(とんびん)、

 成(ひととな)りて聡明(そうめい)なり。

 軒轅(けんえん)のとき、神農氏(しんのうし)の世(よ)衰(おとろ)う。

 諸侯あい侵(おか)し伐(う)ち、

 百姓(ひゃくせい)を暴虐(ぼうぎゃく)す。

 しこうして神農氏征(せい)するあたわず。

 ここにおいて軒轅(けんえん)すなわち干戈(かんか)を

 用うることを習い、もって不享(ふきょう)を征(せい)す。

 諸侯咸(みな)来(き)たりて賓従(ひんじゅう)す。

 しかして蚩尤(しゆう)もっとも暴をなすも、よく伐(う)つものなし。

 炎帝(えんてい)諸侯を侵陵(しんりょう)せんと欲す。

 諸侯みな軒轅(けんえん)に帰す。

 軒轅(けんえん)すなわち徳を修め兵を振(ととの)え、五気を治め、

 五種を蓺(うえ)、万民を撫(な)で、四方を度(はかり)、

 熊(ゆう)・羆(ひ)・貔(ひ)・貅(きゅう)・貙(ちゅ)・虎(こ)に教え、

 もって炎帝と阪泉(はんせん)の野やに戦う。

 三(み)たび戦いて、しかる後(のち)その志を得う。

 蚩尤(しゆう)乱を作なし、帝(てい)の命を用いず。

 ここにおいて黄帝すなわち師を諸侯に徴(ちょう)し、

 蚩尤(しゆう)と涿鹿(たくろく)の野に戦い、

 ついに蚩尤を禽殺(きんさつ)す。

 しこうして諸侯咸(みな)軒轅を尊びて天子となす。

 神農氏(しんのうし)に代わる。

 これを黄帝(こうてい)となす。

 黄帝②

  天下有不順者,黃帝從而征之,平者去之,披山通道,未嘗甯居。

 東至於海,登丸山,及岱宗。西至於空桐,登雞頭。

 南至於江,登熊、湘。北逐葷粥,合符釜山,而邑于涿鹿之阿。

 遷徙往來無常處,以師兵為營衛。官名皆以雲命,為雲師。

 置左右大監,監于萬國。萬國和,而鬼神山川封禪與為多焉。

 獲寶鼎,迎日推筴。舉風後、力牧、常先、大鴻以治民。

 順天地之紀,幽明之占,死生之說,存亡之難。時播百穀草木,

 淳化鳥獸蟲蛾,旁羅日月星辰水波土石金玉,勞勤心力耳目,

 節用水火材物。有土德之瑞,故號黃帝。


  天下に順(したが)わざる者あれば、黄帝従ってこれを征し、

 平(たいら)げばこれを去る。

 山を披(ひら)きて道を通じ、いまだかつて寧居(ねいきょ)せず。

 東は海に至り、丸山(がんざん)に登り、岱宗(たいそう)に及ぶ。

 西は空桐(くうとう)に至り、雞頭(けいとう)に登る。

 南は江(こう)に至り、熊(ゆう)・湘(しょう)に登る。

 北は葷粥(くんいく)を逐(お)い、

 符(ふ)を釜山(ふざん)に合わせて、

 涿鹿(たくろく)の阿(くま)に邑(ゆう)す。

 遷徙(せんし)往来して常処(じょうしょ)なく、

 師兵(しへい)をもって営衛(えいえい)となす。

 官の名はみな雲をもって命じ、雲師(うんし)となす。

 左右(さゆう)大監(たいかん)を置き、万国を監(かん)せしむ。

 万国和(やわら)ぎ、

 しこうして鬼神(きしん)山川(さんせん)の封禅(ほうぜん)は

 与(ゆる)して多(た)なりとなす。

 宝鼎(ほうてい)を獲え、日を迎え筴(さく)を推(お)す。

 風后(ふうこう)・力牧(りょくぼく)・常先(じょうせん)・

 大鴻(たいこう)を挙げ、もって民を治めしむ。

 天地の紀(き)、幽明(ゆうめい)の占(せん)、死生(しせい)の説、

 存亡(そんぼう)の難に順(したが)う。

 時に百穀(ひゃっこく)草木を播(し)き、

 鳥獣蟲蛾(ちゅうが)を淳化(じゅんか)し、

 日月・星辰・水波・土石・金玉を旁羅(ほうら)し、

 心力耳目を労勤(ろうきん)し、水火材物を節用(せつよう)す。

 土徳(どとく)の瑞(ずい)あり、ゆえに黄帝と号(ごう)す。


 黄帝③

  黃帝二十五子,其得姓者十四人。黃帝居軒轅之丘,

 而娶於西陵之女,是為嫘祖。嫘祖為黃帝正妃,生二子,

 其後皆有天下:其一曰玄囂,是為青陽,

 青陽降居江水;其二曰昌意,降居若水。

 昌意娶蜀山氏女,曰昌僕,生高陽,高陽有聖德焉。

 黃帝崩,葬橋山。其孫昌意之子高陽立,是為帝顓頊也。


  黄帝二十五子あり、その姓を得たる者十四人。

 黄帝、軒轅(けんえん)の丘におりて、

 西陵氏の女(じょ)を娶(めと)り、これを嫘祖(るいそ)となす。

 嫘祖(るいそ)は黄帝の正妃(せいひ)たり、二子(にし)を生む、

 その後のちみな天下を有(たも)つ。

 その一(いつ)を玄囂(げんごう)という、

 これを青陽(せいよう)となす、青陽は降(くだ)りて江水におる。

 その二を昌意(しょうい)という、

 降(くだ)りて若水(じゃくすい)におる。

 昌意(しょうい)、蜀山氏(しょくざんし)の女(じょ)を娶(めと)る、

 昌僕(しょうぼく)という、高陽(こうよう)を生む、

 高陽、聖徳(せいとく)あり。

 黄帝崩(ほう)ず、橋山(きょうざん)に葬(ほうむ)る。

 その孫(まご)、昌意の子なる高陽立つ、

 これを帝(てい)顓頊(せんぎょく)となす。


 顓頊

  帝顓頊高陽者,黃帝之孫而昌意之子也。

 靜淵以有謀,疏通而知事;養材以任地,載時以象天,

 依鬼神以制義,治氣以教化,絜誠以祭祀。

 北至於幽陵,南至於交阯,西至於流沙,東至於蟠木。

 動靜之物,大小之神,日月所照,莫不砥屬。帝顓頊生子曰窮蟬。

 顓頊崩,而玄囂之孫高辛立,是為帝嚳。


  帝(てい)顓頊(せんぎょく)高陽(こうよう)は、

 黄帝(こうてい)の孫にして、昌意(しょうい)の子なり。

 静淵(せいえん)にしてもって謀(はか)りごとあり、

 疏通(そつう)にして事ことを知り、材を養いてもって地に任じ、

 時を載(おこな)いてもって天に象(かたど)り、

 鬼神(きしん)に依りてもって義を制し、気を治めてもって教化し、

 潔誠(けっせい)にしてもって祭祀(さいし)す。

 北のかた幽陵(ゆうりょう)に至いたり、

 南のかた交阯(こうし)に至り

 、西のかた流沙(りゅうさ)に至り、

 東のかた蟠木(はんぼく)に至(いた)る。

 動静(どうせい)の物、大小の神(かみ)、日月(じつげつ)の照す所、

 砥属(しぞく)せざるはなし。

 帝(てい)顓頊(せんぎょく)子を生む、窮蝉(きゅうせん)という。

 顓頊(せんぎょく)崩(ほう)ず。

 而(しこう)して玄囂(げんごう)の孫(まご)高辛(こうしん)立つ。

 是(これ)を帝(てい)嚳(こく)となす。


 高辛

  帝嚳高辛者,黃帝之曾孫也。

 高辛父曰蟜極,蟜極父曰玄囂,玄囂父曰黃帝。

 自玄囂與蟜極皆不得在位,至高辛即帝位。高辛於顓頊為族子。

 高辛生而神靈,自言其名。普施利物,不於其身。

 聰以知遠,明以察微。順天之義,知民之急。

 仁而威,惠而信,脩身而天下服。

 取地之財而節用之,撫教萬民而利誨之,曆日月而迎送之,

 明鬼神而敬事之。其色鬱鬱,其德嶷嶷。其動也時,其服也士。

 帝嚳溉執中而遍天下,日月所照,風雨所至,莫不從服。

 帝嚳娶陳鋒氏女,生放勳。娶娵訾氏女,生摯。

 帝嚳崩,而摯代立。帝摯立,不善,而弟放勳立,是為帝堯。


  高辛生れて神霊(しんれい)なり、みずからその名を言う。

 あまねく施(ほどこ)して物を利(り)し、その身においてせず。

 聡(そう)にしてもって遠きを知り、

 明(めい)にしてもって微なるを察し、天の義に順(したが)い、

 民の急を知り、仁にして威(い)あり、恵にして信あり、

 身を脩(おさめ)て天下服(ふく)す。

 地(ち)の財(ざい)を取りてこれを節用(せつよう)し、

 万民を撫教(ぶきょう)してこれを利誨(りかい)し、

 日月(じつげつ)を暦(れき)にしてこれを迎送(げいそう)し、

 鬼神を明らかにしてこれに敬事(けいじ)す。

 その色は郁郁(いくいく)たり、その徳は嶷嶷(ぎょくぎょく)たり。

 その動くや時(とき)あり、その服や士(し)なり。

 帝(てい)嚳(こく)、

 漑(すで)に中(ちゅう)を執(と)りて天下に徧(あまねく)、

 日月(じつげつ)の照す所、風雨(ふうう)の至る所、

 従服(じゅうふく)せざるなし。

 帝(てい)嚳(こく)、陳鋒氏(ちんほうし)の女(じょ)を娶(めと)り、

 放勛(ほうくん)を生む。

 娵訾氏(しゅしし)の女(じょ)を娶(めと)り、摯(し)を生む。

 帝(てい)嚳(こく)崩(ほう)じて、摯(し)代(かわ)りて立つ。

 帝(てい)摯(し)立ちて、不善(ふぜん)なり。崩(ほう)ず。

 しこうして弟(おとうと)放勳(ほうくん)立つ、

 これを帝(てい)堯(ぎょう)となす。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年5月21日木曜日

史記・五帝本紀第一①

 浦和レッズレディース
 『ひねもす至福の時』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 《課題》 孔子は和人〔倭人〕の社会習性を理想とした
     ―堯舜の賢政は和人の思想―

 【五帝本紀第一】

  太史公言う。学者が五帝の事績を論ずるのは久しいことだが、

 尚書にはただ帝堯以来のことを記してあるだけで、

 黄帝のことを記したのは百家の書である。

 しかし、百家の書は文章が典雅穏当でなく、

 貴顕・学者には妄誕すぎるので、口にするのもはばかられる。

 孔子の伝えた宰予問や五帝徳・帝繁姓は、」

 経伝に記されていないので、

 漢の儒者は聖人の言ではないとして多く伝え学ばない。

 わたしは、かつて旅行を試み、西は空桐に行き、北は涿鹿を訪ね、

 東は海に到り、南は江淮に浮かんだが、長者老人が、

 往々黄帝や堯・舜を語る地方に行くと、

 風俗がほかの地方と違っていた。

 総じて古文を離れないものが真実に近く、

 わたしが春秋や国語を読むと、

 五帝徳や帝繁姓の記述で明らかに発明するところがある。

 想うに、ただ深く考えぬだけのこと、

 記されていることはけっして虚言ではない。

 書経は一部分が欠けているが、散逸した部分は、

 往々他の書物に記されている。

 学問を好み、深く思い、心にその意を知るものでなければ、

 浅見寡聞の者には、かようなことを言ってもむだであろう。

 わたしはこれらの説を検討し、

 ことばのもっとも典雅なものをえらんで、

 この篇を著し、本紀の書のはじめとした。

 ≪黃帝

  黃帝者,少典之子,姓公孫,名曰軒轅。

 生而神靈,弱而能言,幼而徇齊,長而敦敏,成而聰明。

 軒轅之時,神農氏世衰。諸侯相侵伐,暴虐百姓,而神農氏弗能征。

 於是軒轅乃習用干戈,以征不享,諸侯咸來賓從。

 而蚩尤最為暴,莫能伐。炎帝欲侵陵諸侯,諸侯咸歸軒轅。

 軒轅乃修德振兵,治五氣,蓺五種,撫萬民,度四方,教熊羆貔貅貙虎,

 以與炎帝戰於阪泉之野。三戰,然後得其志。蚩尤作亂,不用帝命。

 於是黃帝乃徵師諸侯,與蚩尤戰於涿鹿之野,遂禽殺蚩尤。

 而諸侯咸尊軒轅為天子,代神農氏,是為黃帝。


  黃帝は少典の子なり。姓は公孫,名は軒轅と曰ふ。

 生れて神靈、弱にして能く言ひ、幼にして徇齊、長じて敦敏、

 成りて聰明なり。

 軒轅の時、神農氏の世衰ふ。

 諸侯相侵し伐ち、百姓を暴虐す。

 而して神農氏征する能はず。

 是に於て軒轅乃ち干戈を用ふることを習ひ、以って不享を征す。

 諸侯咸來りて賓從す。

 而して蚩尤最も暴を為すも、能く伐つもの莫し。

 炎帝諸侯を侵陵せんと欲す。諸侯咸軒轅に歸す。

 軒轅乃ち德を修め兵を振へ、五氣を治め、五種を蓺え、

 萬民を撫で、四方を度り、熊・羆・貔・貅・貙・虎に教へ、

 以て炎帝と阪泉の野に戰ふ。三たび戰ひて、然る後其の志を得。

 蚩尤亂を作し、帝の命を用ひず。

 是に於て黃帝乃ち師を諸侯に徵し、蚩尤と涿鹿の野に戰ひ、

 遂に蚩尤を禽殺す。

 而して諸侯咸軒轅を尊びて天子と為す、神農氏に代る。

 是に黃帝と為す。


 天下有不順者,黃帝從而征之,平者去之,披山通道,未嘗甯居。

 東至於海,登丸山,及岱宗。西至於空桐,登雞頭。

 南至於江,登熊湘。北逐葷粥,

 合符釜山,而邑於涿鹿之阿。遷徙往來無常處,以師兵為營衛。

 官名皆以雲,命為雲師。置左右大監,監於萬國。

 萬國和,而鬼神山川封禪,與為多焉。獲寶鼎,迎日推筴。

 舉風後、力牧、常先、大鴻以治民。

 順天地之紀,幽明之占,死生之說,存亡之難。

 時播百穀草木,淳化鳥獸蟲蛾,旁羅日月星辰水波土石金玉,

 勞勤心力耳目,節用水火材物。

 有土德之瑞,故號黃帝。


 天下不順はざる者有れば、黃帝從って之を征し、平がば之を去る。

 山を披きて道を通じ、未だ嘗て甯居せず。

 東は海に至り、丸山に登り、岱宗に及び、

 西は空桐に至り、雞頭に登り。

 南は江に至り、熊湘に登り、北は葷粥を逐ふ。

 符を釜山に合はせて、涿鹿の阿に邑す。

 遷徙往來して常處無く、師兵を以て營衛と為す。

 官の名は皆雲を以て、命じて雲師と為す。左右大監を置き、

 萬國を監せしむ。

 萬國和ぐ。而して鬼神山川の封禪は、與して多なりと為す。

 寶鼎を獲、日を迎へ筴を推す。

 風後・力牧・常先・大鴻を舉げ、以て民を治めしむ。

 天地の紀・幽明の占・死生の說,存亡の難に順ふ。

 時に百穀草木を播き、鳥獸蟲蛾を淳化し、

 日月・星辰・水波・土石・金玉を旁羅し、

 心力耳目を勞勤し、水火材物を節用す。

 土德の瑞有り、故に黃帝と號す。


 自黄帝至舜、禹、皆同姓。而異其國號、以章明徳。

 故黄帝爲有熊、帝顓頊爲高陽、帝嚳爲高辛、帝堯爲陶唐、帝舜爲有虞、

 帝禹爲夏后。而別氏、姓姒氏。契爲商、姓子氏。弃爲周、姓姫氏。


 黄帝より舜・禹(う)に至るまで、みな同姓なり。

 しこうしてその国号を異(こと)にし、もって明徳を章(あきら)かにす。

 ゆえに黄帝を有熊(ゆうゆうと)なし、

 帝(てい)顓頊(せんぎょく)を高陽となし、

 帝(てい)嚳(こく)を高辛となし、

 帝堯を陶唐(とうとう)となし、帝舜を有虞(ゆうぐ)となし、

 帝禹(う)を夏后(かこう)となす。

 しこうして氏(し)を別って、姓は姒氏(じし)。

 契(せつ)を商となす、姓は子氏(しし)。

 弃(き)を周となす、姓は姫氏(きし)。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

孔子と論語

 浦和レッズレディース
 『ひねもす至福の時』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 《課題》 孔子は和人〔倭人〕の社会習性を理想とした
     ―堯舜の賢政は和人の思想―


 ※出典:論語(ろんご)ガイド
 
 論語(ろんご)は、孔子と彼の弟子の言行を、

 孔子の死後に弟子達が記録した書物です。

 論語は、儒教の「四書」の1つで、

 512の短文が全20編で構成されています。

 ≪孔子と論語≫

 孔子とは?

  孔子は、幼くして両親を失い孤児として育ち、

  苦学して礼学を修めた流浪の学者です。

  孔子の思想を学んだ弟子の数は3000人にも及んだといわれています。

  孔子およびその思想は、その後の中国だけでなく日本、

  アジア諸国に多大な影響を与えました。

  孔子は、古代中国(紀元前6~5世紀 春秋時代)の思想家で、

  儒教(じゅきょう)の始祖です。

 論語とは?

  論語は、2000年以上前に、中国で記されたもので、

  特定の作者はいません。

  論語は、孔子(および 孔子の弟子)の言葉、

  行動の記録を集めた言行録で、孔子の死後にまとめられたものです。

  論語の内容は、古代中国の内容ではありますが、

  現代でも通用する「生きるために必要な言葉」と言われています。

  論語に登場する孔子(紀元前552~479年)が生きた

  春秋時代の中国は、国と国、人間と人間が武力で争いをおこない、

  互いの領土や地位を奪う「弱肉強食」の世の中でした。

  孔子は、争いの絶えない乱れた世を憂い、

  仁(じん)という思想を唱えます。

  仁とは、思いやりの心のことです。孔子は、仁をもって、

  乱れた世から、

  秩序を回復した調和のとれた世にしていくことを説きました。

 論語と編

  論語は、20編にまとめれていますが、

  それぞれの編の内容はまとまったものではありません。

  編の内容は文の区切りにより

  諸説(本サイトの文は 512)ありますが、

  500前後の文があります。

  同一の編の内容は、備忘録のように、

  関連のないものがほとんどです。

  「編」の名称は、先頭に漢字2文字(または3文字)に、

  漢数字がついた形式です。

  先頭の漢字2文字(または3文字)は、

  その編の最初の文章の冒頭文字であり、特に意味はありません。 

  編の名称、読み仮名、編に含まれる文章の数は、

  下表の通りです。

 編の名称  読み仮名 文章の数

 学而 第一 がくじ      16

 為政 第二 いせい       24

 八佾 第三 はちいつ      26

 里仁 第四 りじん      26

 公冶長第五 こうやちょ   28

 雍也 第六 ようや       30

 述而 第七 じゅつじ       26

 泰伯 第八 たいはく 21

 子罕 第九 しかん  32

 郷党 第十 きょうとう 23

 先進 第十一 せんしん 26

 顔淵 第十二 がんえん 24

 子路 第十三 しろ   30

 憲問 第十四 けんもん 46

 衛霊公第十五 えいれいこう 42

 季氏 第十六 きし      14

 陽貨 第十七 ようか   26

 微子 第十八 びし   11

 子張 第十九 しちょう 25

 堯曰 第二十 ぎょうえつ  5

 「孔子の一生」

 孔子の一生を表形式でまとめました。

 年齢 出来事

 誕生  周王朝・魯の国に生まれ、貧しい家で育つ

    幼少年期に儀礼作法、言葉を学んだ

 15歳 志学(しがく)

    学習した言葉、文献、知識が活用できる道に進みたいと決心した

 30歳 而立(じりつ)

     世に一人立つ決心をした礼学、古典学の教師として私塾を開き、

    学生に詩書礼楽の教育を始めた

    他人に認められないつらい30代を過ごす

    魯の君主・昭公、魯の実権を握る重臣の家系・

    三桓氏(季孫氏、孟孫氏、叔孫氏)とのつながりを持つ

 40歳 不惑(ふわく)

     魯の君主・昭公が亡くなり、定公が後を継ぐ

    定公、重臣に注目される陽貨(ようか、陽虎)が

    三桓氏に反旗を翻して魯の実権を握ったがその後やぶれ、

    斉に追放された

 50歳 知命(ちめい)

     定公が孔子を中都の行政長官に任命した

    その後、魯の中央政府・政権担当者の一人となった

    道徳的にしっかりとした政治をおこない、

    魯の国を建てなおした

    隣国(斉)からの道徳を破壊する作戦(微子第十八_04)に

    嫌気がさし、

    孔子が辞職魯の国を離れて10数人の弟子と流浪の旅を始めた

 60歳 耳順(じじゅん)

     近くの大国、小国、南方の国などを流浪孔子と弟子たちは

    魯の国に戻った

    孔子の息子・鯉(伯魚)が亡くなる

 70歳 古希(こき)

     孔子は国老(顧問)として遇された教育、礼学、古典などの

    仕事のに専念

    孔子の弟子・顔回(がんかい)が亡くなる

    孔子の弟子・子路(しろ)が亡くなる

 73歳  孔子が亡くなる

    孔子の弟子・子貢(しこう)は6年、喪に服した


 子曰く

  論語では「子曰く」というの書き出しの文が多いです。

  子=先生、曰く=言った(おっしゃった)という意味ですので、

  直訳すると「先生がおっしゃった」となります。

  論語の場合は、先生=孔子ですので、

  「孔子がおっしゃった」となります。

  孔子の本名は、

  氏名が「孔」、

  諱(いみな)が「丘」、

  字(あざな、あだな)は「仲尼(ちゅうじ)」です。

  孔子とは氏名の「孔」と、先生の「子」をあわせた尊称です。

 論語と漢文

  論語は中国でできた言行録ですので、原文は「漢文」です。

  漢文は、日本人には読みにくいため、

  漢文の漢字にひらがなを足した

  「書き下し文」(または、「読み下し文」)

  というものが考えれました。

  しかし、書き下し文では、

  元々の漢字の読み方がわからない場合に音読に困ります...。

  日本人向けの書き下し文も、作成された時代によって(?) 

  いまでは意味が伝わりにくいものも多いです。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ